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村上義光(むらかみよしてる)は、護良親王の忠臣で、吉野落城に際しては、自刃を覚悟した親王を諫め、親王の鎧直垂を着用して身代わりとなり、腹十文字に掻き切って壮烈な最期を遂げました。
鎌倉宮の境内に摂社があり、「村上社」(むらかみしゃ)と呼ばれています。
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鎌倉市二階堂にある鎌倉宮は、建武中興十五社の一社で、後醍醐天皇皇子の護良親王を主祭神としています。
1869年(明治2年)2月、武家から天皇中心の社会へ復帰させることを目的とした建武中興に尽力した親王の功を賛え、明治天皇は護良親王を祀る神社の造営を命じて自ら宮号を「鎌倉宮」と名づけ、7月に東光寺跡の現在地に社殿が造営されました。
護良親王の通称である大塔宮(おおとうのみや)に因み、地元では大塔宮(だいとうのみや)と呼ばれることも。
護良親王(もりよししんのう)
〈もりなが〉とも読む。後醍醐天皇の皇子。初め出家して尊雲と称し,世に大塔宮(おおとうのみや)という。元弘の乱に僧兵を率いて活躍,この間に還俗(げんぞく)して護良と称した。建武政権では征夷大将軍,兵部卿となったが,のち足利尊氏と反目して鎌倉に幽閉され,中先代の乱の際,足利直義に殺された。(コトバンク)
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