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2026年7月

2026年7月24日 (金)

修善寺の旅(18)横瀬八幡神社(1)源頼家の廟

修善寺の横瀬八幡神社は、旧修善寺村の氏神として古来より厚く尊崇されている神社で、祭神は不詳、相殿は源頼家です。

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元々は現在の場所より200mほど東側にある月見ヶ丘にありましたが、のちに現在の場所に社殿を建立し、頼家の束帯の立像を作り、廟(みたまや)とし、八幡と称しました。

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2017年、道路の拡張のため境内の一部が削られた際、鳥居と神橋が撤去され新たに鳥居が奉納されました。(撤去された鳥居と神橋は本殿の横に置かれています。)

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当社は、旧修善寺村の氏神として古来より厚く尊崇されている神社で、相殿は鎌倉二代将軍源頼家公である。当所はここより200m東側の月見ヶ丘に在り、二体の古像が祀られた旧祠であったが、後に当所へ社殿を建立し、頼家公束帯(正装)の立像を作り、神を引いて頼家公の廟(みたまや)とし、八幡と祢した。社殿は現在も両扉となっており旧規を残している。右側の本社には、頼家公の母北條政子悪病平癒の伝説をもつ「孔門石」又は「玉門石」と呼ばれる陰石が祀られている。
昔修善寺の総門が当地横瀬の大門(字名)これより2~300m下がった附近にあった時代に、仁王像があったが、総門がこわれてしまった時(徳川時代)当社に移され、さらにある老婆の夢枕にこの仁王像が現われて、修善寺に帰りたいと云うので、頼家公にゆかりのある指月殿に納めたという。この指月殿は、政子が非業の最後を遂げた、我が子の冥福を析って建立したものである。祭礼日は毎年十月十九日となっているが、最近は近くの日曜日に行なわれる。又昭和五十年迄は三番曳が奉納されていたが、現在は後継者が少く、行われていない。

こちらの狛犬は、一般的な狛犬とは異なります。

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犬ではない動物に見えますね。

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当時の石工が狛犬を見たことがなかったため、口伝のみの想像で彫られたものと言われています。

 

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2026年7月14日 (火)

修善寺の旅(17)十三士の墓

十三士の墓は、頼家の墓近くにあります。

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頼家の家臣十三人が、頼家が殺された6日後に謀叛を企てたものの、挙兵前に発見され、全員殺されたと伝えられています。

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北条氏との確執で、病気を理由に修禅寺に配流された頼家は、元久元年(1204)7月18日、入浴中に暗殺された。吾妻鏡(鎌倉時代史書)によると、この6日後、頼家の家臣らは謀反を企てたが、挙兵以前に発覚して、相州金窪太郎行親らに殺されたことが記されている。この墓はその頼家の家臣13名の墓と伝えられている。頼家と運命を共にしたこれら家臣の名前は判っていないが、全国的にある十三塚の一例との説もある。この墓は元々ここより東へ200m程の麓にあったが、台風被害により平成17年(2005年)7月17日にこの地に移築された。

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毎年7月中旬に『頼家まつり』が行なわれ、源頼家と十三士の武者行列と墓前供養が行われます。

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2026年7月 3日 (金)

修善寺の旅(16)源頼家の墓

源頼家の墓は、鹿山のふもと源氏公園内の指月殿の隣にあります。

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正面に立っている石碑は、元禄16年(1703年)頼家公500回忌の際に、時の修禅寺住職が建てた記念碑で、

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墓は記念碑の裏にある小さな五輪石塔で、それぞれ頼家、側室の若狭の局、子の一幡のものといわれています。 

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毎年7月下旬ごろの『頼家まつり』では、頼家公行列と墓前供養が行なわれます。

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正治元年(1199年)に父頼朝の後を継いで18歳で鎌倉幕府の二代将軍となった頼家は、父の没後に専横になった
北條氏を抑えて幕府の基礎作りに懸命であったが、大きく揺れ動く時流と、醜い駆け引きに終始する政争に破れ、在位わずか6年でこの修善寺に流され、元久元年(1204年)祖父北條時政の手で入浴中に暗殺された。(享年23歳)。
「修善寺物語」はこうした政治的背景の上に配所の若き将軍頼家と、面作り師夜叉王を中心にそれにまつわるロマンスを綴ったものである。
この碑は、元禄16年(1704年)頼家の500周忌にあたって、時の修禅寺住職伐山智船(ばっさんちせん)和尚が建てた供養塔であり、
墓はその裏側にある2基の小さな五輪石塔である。(案内板より)

 

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