修善寺の旅(18)横瀬八幡神社(1)源頼家の廟
修善寺の横瀬八幡神社は、旧修善寺村の氏神として古来より厚く尊崇されている神社で、祭神は不詳、相殿は源頼家です。
元々は現在の場所より200mほど東側にある月見ヶ丘にありましたが、のちに現在の場所に社殿を建立し、頼家の束帯の立像を作り、廟(みたまや)とし、八幡と称しました。
2017年、道路の拡張のため境内の一部が削られた際、鳥居と神橋が撤去され新たに鳥居が奉納されました。(撤去された鳥居と神橋は本殿の横に置かれています。)
当社は、旧修善寺村の氏神として古来より厚く尊崇されている神社で、相殿は鎌倉二代将軍源頼家公である。当所はここより200m東側の月見ヶ丘に在り、二体の古像が祀られた旧祠であったが、後に当所へ社殿を建立し、頼家公束帯(正装)の立像を作り、神を引いて頼家公の廟(みたまや)とし、八幡と祢した。社殿は現在も両扉となっており旧規を残している。右側の本社には、頼家公の母北條政子悪病平癒の伝説をもつ「孔門石」又は「玉門石」と呼ばれる陰石が祀られている。
昔修善寺の総門が当地横瀬の大門(字名)これより2~300m下がった附近にあった時代に、仁王像があったが、総門がこわれてしまった時(徳川時代)当社に移され、さらにある老婆の夢枕にこの仁王像が現われて、修善寺に帰りたいと云うので、頼家公にゆかりのある指月殿に納めたという。この指月殿は、政子が非業の最後を遂げた、我が子の冥福を析って建立したものである。祭礼日は毎年十月十九日となっているが、最近は近くの日曜日に行なわれる。又昭和五十年迄は三番曳が奉納されていたが、現在は後継者が少く、行われていない。
こちらの狛犬は、一般的な狛犬とは異なります。
当時の石工が狛犬を見たことがなかったため、口伝のみの想像で彫られたものと言われています。
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