修善寺の旅(16)源頼家の墓
源頼家の墓は、鹿山のふもと源氏公園内の指月殿の隣にあります。
正面に立っている石碑は、元禄16年(1703年)頼家公500回忌の際に、時の修禅寺住職が建てた記念碑で、
墓は記念碑の裏にある小さな五輪石塔で、それぞれ頼家、側室の若狭の局、子の一幡のものといわれています。
毎年7月下旬ごろの『頼家まつり』では、頼家公行列と墓前供養が行なわれます。
正治元年(1199年)に父頼朝の後を継いで18歳で鎌倉幕府の二代将軍となった頼家は、父の没後に専横になった
北條氏を抑えて幕府の基礎作りに懸命であったが、大きく揺れ動く時流と、醜い駆け引きに終始する政争に破れ、在位わずか6年でこの修善寺に流され、元久元年(1204年)祖父北條時政の手で入浴中に暗殺された。(享年23歳)。
「修善寺物語」はこうした政治的背景の上に配所の若き将軍頼家と、面作り師夜叉王を中心にそれにまつわるロマンスを綴ったものである。
この碑は、元禄16年(1704年)頼家の500周忌にあたって、時の修禅寺住職伐山智船(ばっさんちせん)和尚が建てた供養塔であり、
墓はその裏側にある2基の小さな五輪石塔である。(案内板より)
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