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2026年8月

2026年8月21日 (金)

源頼家の面が伝わる韮山の光照寺

伊豆の国市韮山の政子産湯の井戸の近くに、光照寺があります。

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もとは北条時政が源頼朝のために建てた館の跡で、頼朝の死後に寺になったそうです。

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伊豆には、源頼家の面に伝わる伝承がいくつか残されています。

頼家の病状を伝えるため、面に写して鎌倉に送ったという共通点はあるものの、面を刻むに至った理由については

・北条氏が密かに温泉に漆を混入させ、頼家の全身をかぶれさせた

・単に伝えるため

の2種類が認められ、


面を届ける使者を武田信光とするもの、「何某」とするもの


頼家の死を知った使者が

・怒りのあまり命を絶った

・面を近くの寺に預け、修禅寺に戻った

・仏門に入り、守山に庵を結び住んだ

の3種類があるそうです。


光照寺に伝わる話によると、

修善寺で療養していた頼家の病状が悪化し、それを北条政子に伝えるため、頼家の顔を面に刻み、使者が鎌倉へ運ぼうとしましたが、
当寺付近で、頼家の訃報を別の使者から聞いたため、その面を光照寺に納め、ただちに修禅寺に引き返したといいます。

*以前、こちらに伝わる源頼家のお面をご住職のご厚意で見せていただきました。

修禅寺の宝物館で見た頼家の面とは違って、ユーモラスな表情に見えました。

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光照寺の面は、病により、目を閉じ口を開けた苦しげな様子、修禅寺の面は、歯をむき出した苦悶の表情という違った印象を与えています。

これらの面と似たものが、舞楽面にあります。

私の母は、学生時代、演劇部に所属していて、文化祭で「修禅寺物語」で上演した際、頼家を演じたことから、以来頼家の面に興味を持っていたので、この面を拝ませていただき、大変感動していました。


なお、光照寺の頼家の面は、通常非公開となっています。

 

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2026年8月13日 (木)

修善寺の旅(20)源頼家ゆかりの月見ヶ丘愛童将軍地蔵尊

修禅寺に幽閉されていた源頼家が非業の死を遂げたことを知った地元の人々は、笠冠地蔵を建立しました。

元は月見ヶ丘の中腹にありましたが、昭和36年に道路拡張工事で山の一部が削られたため、修善寺橋の袂に移されました。

幽閉されていたころの頼家は、修禅寺の山を下り、狩野川のほとりの月見ヶ丘で月を眺めてその憂さを晴らしたり、里の子どもと遊びながら、鎌倉に残した息子・一幡に思いを馳せていたといいます。

23歳の若さで無残に暗殺されたことを哀れんだ里の人たちは浄財を集め、月見ヶ丘に地蔵を建立しました。

頼家は、里の子ども達を大変かわいがった将軍であったことから『愛童将軍地蔵』と呼ばれています。

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修善寺橋
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月見ヶ丘愛童将軍地蔵尊
ここより二百メートル下った狩野川沿いに月見ヶ丘と呼ばれる丘がある。
この丘は、建仁ニ年(一ニ〇三)に鎌倉府ニ代将軍源賴家公が、北條氏の政略により修善寺に幽閉されていた時、幽棲の寂しさを慰める為いつもここで月を眺めては鎌倉を偲び、この里子達と遊んでは我が子を思ったという。
丘の上のわずかな平地は、八幡神祠と保倉神の小さな石の祠が今に残っている。又丘の中腹には非業の最後(期)を遂げた頼家公の冥福を祈り、里人による愛童将軍地蔵と名付けられた笠冠地蔵が建立されていたが、昭和三十六年の道路拡巾工事により月見ヶ丘が削られて修善寺橋際に移転された。
地蔵尊の縁日は八月ニ十四日で、この日は地元老人クラブにより祭礼が催され、参拝者には、家内安全のお礼と手づくりのだんごが渡される。又近くの広場では子供角力大会や盆踊り大会も開催される。

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2026年8月 4日 (火)

修善寺の旅(19)横瀬八幡神社(2)北条政子ゆかりの孔門石

横瀬八幡神社の境内には、源頼家の母・北条政子の悪病平癒の伝説を持つ『孔門石(紅門石)』または『玉門石』と呼ばれる女陰の石尊がまつられており、女性特有の病や子宝開運のご利益があると言われています。

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こちらの祠の中にあるのですが、石の姿は見えません。

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横瀬八幡宮縁起
兼ねて修善寺温泉に湯あみしける徒然に横瀬八幡宮に詣うで、ゆかりある祠にてめづらかなる世のまれごとを伝えたり此所は、狩野川と桂川との合流点にあたり此の辺一帯は碧潭六十尺葛羅のたれさがれる磐石の断崖なるも船土のわたりより舟もて渡りなば、渓谷をひらきて修善寺温泉に通ずる小径あり、すぐその道上に昼なお暗き老杉の森ありて、八幡宮はここに鎭座するなり。
前從ニ位征夷大将軍源頼家公を奉祀すときくだに英雄武運つたなく、とらわれの身となり、元文元年修善寺に於いて北條氏のため人浴中虐殺されたる末路を思ふだに哀れなり。誠に祇園精舎の鐘の声諸行無情のひびきあり。御年いまだニ十三才。
北條氏の専横を憎しみて青雲の志、軒昂にすぎたるが災いを招くに至り果敢なき悲運に魅せられて若き御命をおとし給う。又この宮の末社に比賣神社と云う小祠ありて御神体は女陰なり。高さも巾も一尺五寸ばかりの自然石にて、上方やや恰も擬宝珠に似たるが、正面に女陰大きく深く刻みあり。但し決して人間の刻みたるものにあらず、社伝に日く昔尼将軍政子、修善寺に湯あみし折、時秋深く、奥殿の病に罹りて鎌倉より名医を招き、病状を断定せしめ給う。その時に侍従日く奥殿の扉を開くべからず、手もふるるなかれしと申しつけられ、名医も困りはて勘考の極み、糸の一端をとりて他の一端をおそれながら尼将軍にささげまいらせ、その動きによって患部を察知するを得たり。
さて次に薬石を如何ようなるわざにしてつけまいらせと謀るに、これには応答一人だになし、しかる処に八幡宮の神主、横瀬の主人と云うありて神夢の御告げに從い、右なる女陰の石尊を奉昇して見参しければ名医相手して、いたく喜び即ちこの石尊によって丹粉鉄(丹はべに、粉はおしろい、鉄はおはぐろ)の三色を、そのところにぬり、以って薬石を色別したるに尼将軍うなづき給ひて、これにしたがいければ立ち処に平愈したり。それより婦女の下の病、子宝開運の御霊験あらたかなり。あなかしこ。(石尊のまたの名を紅門石とも孔門石とも云うなり)


北条と源氏ゆかりの史跡めぐり 修善寺温泉街モバイルスタンプラリー」の源頼朝のパネル

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