源頼家の面が伝わる韮山の光照寺
伊豆の国市韮山の政子産湯の井戸の近くに、光照寺があります。
もとは北条時政が源頼朝のために建てた館の跡で、頼朝の死後に寺になったそうです。
伊豆には、源頼家の面に伝わる伝承がいくつか残されています。
頼家の病状を伝えるため、面に写して鎌倉に送ったという共通点はあるものの、面を刻むに至った理由については
・北条氏が密かに温泉に漆を混入させ、頼家の全身をかぶれさせた
・単に伝えるため
の2種類が認められ、
面を届ける使者を武田信光とするもの、「何某」とするもの
頼家の死を知った使者が
・怒りのあまり命を絶った
・面を近くの寺に預け、修禅寺に戻った
・仏門に入り、守山に庵を結び住んだ
の3種類があるそうです。
光照寺に伝わる話によると、
修善寺で療養していた頼家の病状が悪化し、それを北条政子に伝えるため、頼家の顔を面に刻み、使者が鎌倉へ運ぼうとしましたが、
当寺付近で、頼家の訃報を別の使者から聞いたため、その面を光照寺に納め、ただちに修禅寺に引き返したといいます。
*以前、こちらに伝わる源頼家のお面をご住職のご厚意で見せていただきました。
修禅寺の宝物館で見た頼家の面とは違って、ユーモラスな表情に見えました。
光照寺の面は、病により、目を閉じ口を開けた苦しげな様子、修禅寺の面は、歯をむき出した苦悶の表情という違った印象を与えています。
これらの面と似たものが、舞楽面にあります。
私の母は、学生時代、演劇部に所属していて、文化祭で「修禅寺物語」で上演した際、頼家を演じたことから、以来頼家の面に興味を持っていたので、この面を拝ませていただき、大変感動していました。
なお、光照寺の頼家の面は、通常非公開となっています。
ブログランキングに参加しています。
応援よろしくお願いします!











最近のコメント