修善寺の旅(20)源頼家ゆかりの月見ヶ丘愛童将軍地蔵尊
修禅寺に幽閉されていた源頼家が非業の死を遂げたことを知った地元の人々は、笠冠地蔵を建立しました。
元は月見ヶ丘の中腹にありましたが、昭和36年に道路拡張工事で山の一部が削られたため、修善寺橋の袂に移されました。
幽閉されていたころの頼家は、修禅寺の山を下り、狩野川のほとりの月見ヶ丘で月を眺めてその憂さを晴らしたり、里の子どもと遊びながら、鎌倉に残した息子・一幡に思いを馳せていたといいます。
23歳の若さで無残に暗殺されたことを哀れんだ里の人たちは浄財を集め、月見ヶ丘に地蔵を建立しました。
頼家は、里の子ども達を大変かわいがった将軍であったことから『愛童将軍地蔵』と呼ばれています。
月見ヶ丘愛童将軍地蔵尊
ここより二百メートル下った狩野川沿いに月見ヶ丘と呼ばれる丘がある。
この丘は、建仁ニ年(一ニ〇三)に鎌倉府ニ代将軍源賴家公が、北條氏の政略により修善寺に幽閉されていた時、幽棲の寂しさを慰める為いつもここで月を眺めては鎌倉を偲び、この里子達と遊んでは我が子を思ったという。
丘の上のわずかな平地は、八幡神祠と保倉神の小さな石の祠が今に残っている。又丘の中腹には非業の最後(期)を遂げた頼家公の冥福を祈り、里人による愛童将軍地蔵と名付けられた笠冠地蔵が建立されていたが、昭和三十六年の道路拡巾工事により月見ヶ丘が削られて修善寺橋際に移転された。
地蔵尊の縁日は八月ニ十四日で、この日は地元老人クラブにより祭礼が催され、参拝者には、家内安全のお礼と手づくりのだんごが渡される。又近くの広場では子供角力大会や盆踊り大会も開催される。
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