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2026年9月13日 (日)

伊豆の国市 「頼朝と政子 蛭ヶ島の夫婦の像」

韮山駅の東側には蛭ヶ小島、西側には狩野川。

蛭ヶ小島は、かつては狩野川の中州であったと考えられ、蛭が多かったことから「蛭ヶ小島」と名付けられたといいます。

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蛭ヶ小島は、源頼朝が14歳の時に配流され、北条政子と出会い、14歳から34歳まで過ごした地。

※配流地については諸説あり、はじめから北条であったという説、伊東から北条へ移ったという説もあります。
この碑が建つ場所は、後世の推測された伝承地であるそうです。)

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 蛭ヶ島(源頼朝配流の地跡)

 このあたりを、韮山町四日町字蛭ヶ島といい、平治の乱で敗れた源義朝の嫡子、兵衛佐頼朝 配流の地といわれている。
 狩野川の流路変遷の名残をとどめてか、近在には古河・和田島・土手和田等の地名が現存するところから、往時は大小の田島(中州)が点在し、そのひとつが、この蛭ヶ島であったことが想像される。

 永暦元年(1160)14才でこの地に流された頼朝は、治承4年(1180)34才で旗挙げ、やがては鎌倉幕府創設を成し遂げることとなるが、配流20年間における住居跡等の細部は詳らかではない。

しかし、 「吾妻鏡」治承4年の記事によれば、山木攻め(頼朝旗挙げ)の頃は、妻・政子の父、北条時政の館(当地より西方約1.5粁の守山北麓)に居住し館内で挙兵準備を整えたとある。

このことから考えると、頼朝は、北条政子と結ばれる治承元年(1177)頃までの約17年間を、ここ蛭ケ島で過ごしたものといえよう。

 当公園中央部にある「蛭島碑記」の古碑は、源氏が天下支配の大業を果たした歴史の原点を後世に伝承すべく、寛政2年(1790)豆州志稿の著者、秋山富南の撰文により、江川家家臣飯田忠晶が建立したもので、韮山町の有形文化財に指定されている。

また、この碑の西側にある高い碑は秋山富南の頌徳碑で、豆州志稿の増訂に当った荻原正夫が、明治26年に建立したものである。

 伊豆の国市


その蛭ヶ小島の公園の一角に頼朝と政子の夫婦の像があります。

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周囲は田園に囲まれ、夫婦の像は富士山を仰いでいます。

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蛭ヶ島茶屋
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蛭ヶ島公園内にある無料休憩所 。

無料のお茶サービスをはじめ、うどん、そば、味噌おでんなどの軽食を楽しめます。

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