嵯峨天皇

高野山を訪ねて(20)奥之院 棺掛桜

弘法大師入定7年後の承和9年(842)、嵯峨天皇が崩御され、御棺を京都の嵯峨野に安置したところ、高野山から天人が降りてきて、御棺を担いで高野山の壇上伽藍近くの山上に奉安しました。

弘法大師が禅定からお出ましになり、弟子たちとともに天皇を荼毘に付し、その御骨を覚鑁坂の西に納め、桜を植えたと伝えられています。
この桜が棺掛桜呼ばれています。
 
Img_2320 Img_23202

応援のポチッのご協力お願いします。wink

にほんブログ村 歴史ブログ 歴女・女性歴史ファンへ
にほんブログ村


偉人・歴史人物 ブログランキングへ

| | コメント (2)
|

離宮八幡宮

JR東海道線「山崎駅」から南西に徒歩約2、3分の所に離宮八幡宮があります。

惣門

Img_3684_b Img_3682_b

石清水八幡宮の元社にあたる神社で、八幡大神を祭神とします。

Img_3668_b

貞観元年(859年)大安寺の僧行教が、豊前国(大分県)宇佐神宮に参詣した際、「私を都に近い男山の峯に移し祀れば、国家を守護しよう」との神託を受けました。帰京した行教が山崎の津で夜の山に霊光を見て、その地を掘ってみると湧き水が出たため、清和天皇の勅命によりその地に石清水八幡宮が建立されました。

その後、嵯峨天皇の離宮「河陽(かや)離宮」跡であったことから、離宮八幡宮となりました。

Img_3681_b

また、石清水八幡宮の内殿に灯油を奉納したことから、油座の本所として栄えました。

Img_3670_b Img_3680_b

貞観年間に、荏胡麻(えごま)油の製造が始まったことから、日本における製油発祥地とされ、その後、荏胡麻油の販売権を独占し、江戸時代まで栄えました。

しかし、幕末の禁門の変の際、長州藩の屯所が山崎にあったため、会津藩に攻撃を受け焼失しました。現在の社殿は、昭和になってからの再建です。

拝殿・本殿

Img_3671_b Img_3672_b

Img_3673_c Img_3674_b Img_3675_b Img_3676_b

応援のポチッのご協力お願いします。wink

にほんブログ村 歴史ブログ 歴女・女性歴史ファンへ
にほんブログ村


偉人・歴史人物 ブログランキングへ

| | コメント (4)
|

その他のカテゴリー

イベント | 丹後局 | 亀井六郎 | 京菓子 | 仁田忠常 | 今井兼平 | 今若(全成) | 伊東祐親 | 伊東祐隆 | 佐藤継信・忠信 | 八条女院 | 八重姫 | 北条政子 | 北条時政 | 北条氏 | 千葉氏 | 土佐坊昌俊 | 堀河天皇 | 大姫 | 大庭景親 | 大河ドラマ展 | 安徳天皇 | 富樫泰家 | 小督 | 尼御前 | 山吹御前 | 崇徳院 | 嵯峨天皇 | 巴御前 | 常盤御前 | 平宗盛 | 平康頼 | 平忠度 | 平忠盛 | 平敦盛 | 平時子(二位尼) | 平時忠 | 平景清 | 平業盛 | 平清宗 | 平清盛 | 平盛俊 | 平知盛 | 平知章 | 平経正 | 平維盛 | 平親範 | 平道盛 | 平重盛 | 平重衡 | 平頼盛 | 建礼門院 | 弁慶 | 待賢門院 | 後嵯峨天皇 | 後白河天皇 | 後醍醐天皇 | 後鳥羽上皇 | 文覚上人 | 斉藤実盛 | 日蓮 | 曾我兄弟 | 木曽義仲 | 松尾芭蕉 | 梶原景季 | 梶原景時 | 比企氏 | 法然上人 | 浄瑠璃姫 | 清和天皇 | 渡辺綱 | 湛増 | 源実朝 | 源平グッズ | 源朝長 | 源満仲 | 源為義 | 源範頼 | 源経基 | 源義光 | 源義家 | 源義朝 | 源義経 | 源頼信 | 源頼光 | 源頼家 | 源頼政 | 源頼朝 | 源頼義 | 滋賀のイベント・観光情報 | 滝口入道・横笛 | 熊谷直実 | 熊野御前 | 白河天皇 | 祇園祭 | 祇王・祇女・仏御前 | 美福門院 | 義経ゆかりの地を訪ねて | 藤原師長 | 藤原秀衡 | 袈裟御前 | 西行 | 近江路・歴女ブロガーの旅紀行 | 近衛天皇 | 那須与一 | 金売り吉次 | 長田忠致 | 阿古屋 | 阿波内侍 | 静御前 | 高倉天皇 | 鬼一法眼 | 鳥羽天皇