白峯神宮(2)伴緒社(ともおのしゃ)
白峯神宮の境内にある伴緒社は、源為義とその息子である為朝を祀ってあります。
源為義・・・源義親の子。義父である義忠が暗殺され、その犯人とされ逃亡した義綱を14歳で討ち取った。その後藤原摂関家に仕える。
保元の乱では、子の頼賢、為朝らと供に上皇側につき、天皇方の義朝、平清盛らと戦ったが、義朝らに敗れた。東国へ落ち延びようとしたが、義朝のもとに降伏、比叡山に出家した。義朝は、為義と弟たちの助命嘆願したが、認められず、自らの手で為義を斬首した。
源為朝・・・源為義と摂津江口の遊女との子であり、義朝の弟にあたる。
保元の乱では、父に従い、後白河天皇側につき、兄と敵対した。
敗れた後、近江に逃げたが捕らえられた。
弓の名手であったことから、剛弓を恐れられ、ひじの筋を切られてから、伊豆大島に配流された。
しかし、傷を癒し、伊豆諸島を治め始めると、為義追討の命が下り、軍船が押し寄せる中。自害したという。
一方では、大島から琉球に渡り逃亡したという説もある。
白峯神宮には、為義、為朝の画像が伝わっていて、ご神体として神殿に納められています。
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