赤羽八幡神社
江戸時代には、赤羽根村 下村 袋村 稲付村 岩淵郷の総鎮守とされました。
この急な坂道を登っていきます。
この階段を上っても行けます。
どちらにしても急な参道です(;゚ロ゚)
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ここは旧善源寺村の産土神社が鎮座したところで、1909年(明治42年)に櫻宮に合祀され、現在は櫻宮のお旅所となっています。
このあたりは、かつて善源寺荘と呼ばれ、大江山の鬼退治で有名な源頼光が支配する荘園でした。
長徳年間(995~998)頼光は源氏の八幡大神を祀り、この地に産土神社を創建しましたが、そのとき頼光自らが、この樟を植えたといわれています。
駒つなぎの呼び名は、頼光の四天王の1人で、この荘園の管理をまかされていた渡辺綱が、この神社に詣でるとき、いつも馬をこの樟につないだためであると伝えられています。
樹齢900年と推定される樟は、昭和のはじめに大阪府の天然記念物第1号に指定されましたが、残念なことに戦災にあい現在は枯死状態になっています。
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上品蓮台寺は、真言宗智山派の古刹です。
聖徳太子が開基で、960年(天徳4)寛空が再興しましたが、応仁の乱で消失。
文禄年間に根来寺の性盛が復興して、12坊の子院を擁したことから十二坊の名が生まれました。
天平時代の作として、貴重な国宝「絵因果経」のほか多数の文化財や、平安時代の仏師の定朝の墓などがあります。
この上品蓮台寺の本堂裏の墓地の木の根元に、源頼光朝臣塚の石碑があります。
ある日、源頼光が、熱病にうなされている時、枕元に法師が現れた。
咄嗟に銘刀の膝丸で斬りつけたが、法師の姿は消えてしまった。
しかし畳の上に血痕が落ちている。
四天王にその血痕跡を辿らせると、北野の大きな塚まで続いていた。
渡辺綱が塚を掘り返すと、巨大な蜘蛛が苦しそうにもがいていた。
綱はその蜘蛛を串刺しにして、河原に晒した。
すると、頼光の熱病はただちに良くなったという。
それ以来この塚を蜘蛛塚と呼ぶようになった。
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頼光たちが酒を持っていると知った童子は大喜びし、直ちに鬼どもと頼光一行の大酒宴が始まった。
頼光は、酔ったふりをしながら機会を伺っていた。
頃はよしと住吉、熊野、八幡宮の三神からいただいてきた神変鬼毒酒を鬼たちに飲ませたら、効き目ははちまち表れ、酔いつぶれて大いびきをかき始めた。
頼光は「今だ!酒呑の首を落とすのじゃ!」
一行はそれぞれの笈から武具を取り出し、童子の寝床へ押し入った。
頼光は「えい!」と一刀のもとに童子の首を切り落とした。
首は空中高く舞い上がり、眼を見開き、大口を開け、赤い炎を噴出して頼光に向かって飛び掛って来た。そして頼光の額に噛み付こうとしたが、頼光には三神の星兜が付いていたため、童子の首はど~んと下に落ちた。
鬼の家来も変鬼毒酒にやられて動きがとれず、頼光は鬼どもをすべて退治した。
こうして、捕われていた池田大納言の娘をはじめ、十数人の娘や姫は命が助かり、一行と供に帰ることができた。
頼光一行は、御殿へ参上し、天皇に報告すると、天皇は大変お喜びになり、たくさんの褒美を一行に与えたのであった。(終)
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頼光主従が険路を進んで行くと、川で血に染まった衣服を洗っている若い娘を見かけた。
娘に話しかけると、娘は「私は都の者ですが、鬼どもに捕らえられてしまいました。
これは、堀川中納言さまの姫君の着物です。鬼達は、若い娘の血を酒として飲み、娘の肉を肴としているのです。次は自分の番かと思うと、生きた心地がしません。」と言って泣き崩れた。
頼光は、自分達のことを娘に話し、「必ず鬼どもを倒すから、鬼の岩屋まで案内してくれぬか。」と頼んだ。
娘はその言葉に喜び、さっそく頼光らを岩屋へ案内した。
しかし、岩屋には鉄の門があり、番兵の鬼が見張っていた。
一行は、「道に迷ったので、今晩泊めてもらえぬか?」と言うと、番兵の鬼が酒呑童子にそのことを伝えに行った。
宴の最中であった酒呑童子は、「それは思わぬご馳走じゃ。ここへ連れてまいれ。」と言った。
頼光らは許しが出たので、奥御殿へと進んで行った。
中に入ると、大格子模様の着物、紅の袴をつけた童子がいた。
そして童子は、「この深い山の中にどうやって入って来れたのだ?」と聞いてきた。
頼光は、「私たちは役行者の山伏の一行で、出羽の国羽黒山から大和の大峰山へと旅に出ました。途中、山道を修行しているうちに、童子どのにお目にかかれたのです。
これもひとえに役行者のお引き合わせでしょう。
私どもは佳酒も持ち合わせています。どうか一夜の宿をお願いしたい。」と言った。
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毎日暑い日が続いていますね
そんな暑さを少し和らげるような夏の夜
にふさわしい妖怪話をお届けします。
皆さんは日本三大悪妖怪といったらなにが浮かびますか?
そう、酒呑童子、崇徳の大天狗、白面金毛九尾の狐ですね。
その中からまずは、酒呑童子の話を取り上げてみます。
時は平安時代。
京の都で、美しい少女や姫たちが一晩のうちに行方不明になるという奇怪な出来事が相次いで起こった。
その中に、院に仕える堀川納言の娘、花園天皇の姫もいたのだった。
丹波の大江山には酒呑童子という鬼神が住んでいて、若い娘や姫をさらい、側に仕えさせたり、刀で切って肉を食べたり、血を飲んだりしていた。
これが、酒呑童子の仕業だと知った天皇は、武勇の誉れ高い源頼光に退治を命じた。
頼光は、渡辺綱(わたなべつな)、坂田金時(さかたきんとき)、ト部李武(うらべのすえたけ)、碓井貞光(うすいのさだみつ)らと四天王による討伐隊を結成し、鬼退治へと向かった。
頼光らは、具足、冑、太刀を笈の中に隠して背負い、法螺貝を吹き、金剛杖をつく山伏姿になって山を登っていった。
すると山奥に粗末な小屋が見えてきた。
その小屋の中から三人の老翁が現れ、一行を迎え入れてくれた。
その老翁の話では、酒呑童子を頭にした鬼どもに妻子を奪われたという。
頼光が、実は自分達は山伏ではなく、鬼を退治に行くところであると告げると、老翁は、童子の大好物である酒を持って来た。
その酒は、人間が飲めば妙薬、鬼が飲めば、猛毒になるという。
鬼どもへの土産と見せかけて退治してくれないかと、酒壺と星形をつけた冑を取り出した。
その瞬間、たちまち三人の姿は消えてしまった。
頼光らは、「今の方達は、岩清水、熊野、住吉宮の神々の御化身ですぞ。その神からいただいた酒で必ず討ち取らねば。」
と頼光主従はさらに険しい道を進んで行った。
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