今井兼平

2010年10月29日 (金)

今井兼平の墓

今井兼平は木曽義仲と乳兄弟にあたる平安時代末期の武将で、木曽の四天王とも呼ばれていた人物です。
義経軍に追われた義仲が死に場所を求めて行く途中、首を取られてしまうと、兼平は、自ら太刀先を口に加え、馬から真っ逆さまに飛び降り、自害して果てました。
この話は、謡曲「兼平」の素材となって語られています。

謡曲「兼平」

木曾に住む僧が、木曾義仲の霊を弔おうと、義仲が討ち死にした粟津に行く途中、矢橋の浦で柴を積んだ老船頭の船に乗せてもらいます。粟津に着くと船頭が消えてしまいますが、それは、義仲とともに命を落とした忠臣、今井四郎兼平でした。夜、回向をする僧の前に甲冑姿の兼平が現れ、主君と自分の弔いを頼み、と同時に「自害の手本」を見せた、兼平自身の壮絶な最後について語り始めます。

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江戸時代に兼平を尊敬する膳所藩の本多俊次が、兼平の霊を弔うために、この墓を建てました。

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現在の墓は、今井家末裔によって建てられたもので、墓石には「今井四郎兼平」と刻まれています。
(「滋賀の風景」「義経ハンドブック」「滋賀県観光情報」参照)

今井兼平の墓   滋賀県大津市晴嵐2-4-16

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2010年10月26日 (火)

粟津の番所跡(膳所城勢多口総門跡)

粟津は、木曽義仲の最期を遂げた地です。
義経軍に攻められた義仲は、巴御前を逃がし、兼平と二人になりました。
義仲は、自害する場所を求め、粟津の松原へ馬を走らせます。
江戸時代になると、ここに番所が建ち、旧東海道を通って、京都へ向かう旅人を監視していました。

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以前は粟津の番所跡建物があったそうですが、今では膳所城下の南の入り口にあたる勢多口総門の位置を記す標柱がマンションの前にあるのみです。

この石碑を探すにあたって、ガイドブックに掲載されていた住所を手がかりに探したのですが、石碑の場所が移転したために、なかなか見つからず、犬を散歩している方に聞いてようやくわかりました。
「粟津の番所跡」でなく、「膳所城勢多口総門跡」で検索すれば出てきますね。

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2010年10月 3日 (日)

近江路・歴女ブロガーの旅紀行(3) 京阪電車おおつ1day切符の旅

一日目の午後13:00 かがみの里を発って守山へ

寛永19年(1642年)江戸幕府は、中仙道を整備し、

守山宿を67番目の宿場としました。

中仙道の町並み

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中仙道沿いには、今も宿場町を思わせる建物が残っています。

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守山の源内塚

頼朝に逆討ちにされた源内兵衛弘が村人に供養されたという塚です。(左側)

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JR守山からJR石山まで電車で移動。

京阪線との連絡通路には芭蕉像が

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おおつ1day切符 石山坂本線一日乗り放題 (500円)で、

京阪線沿いの史跡巡り

ちょっとした待ち時間もラッピング電車を見て楽しんでいました。

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龍馬さんも!

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唐橋前下車 

東国へ攻め上がる義経・範頼軍と義仲軍の戦った瀬田の唐橋

瀬田川の攻防戦は、戦の勝敗を決めるところとして、

「唐橋を制するものは、天下を制す」といわれてきました。

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石山寺下車 

頼朝、淀殿、芭蕉ともゆかりのある石山寺

駅を降りるとこの塔のモニュメントが

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駅からてくてく歩いて10分ほどで東大門(仁王門)に到着。

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1190年、頼朝が寄進したと伝えられ、1600年には

淀殿によって大修理が行われました。

多宝塔の下には、巨大なケイカイ石がcoldsweats02

これが寺名の由来になっているそうです。

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多宝塔、鐘楼も頼朝寄進とされています。

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石山寺は別名「花の寺」とも呼ばれています。

この季節は、秋の七草のひとつ萩に彩られていました。

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京阪膳所下車 

木曽義仲ゆかりの義仲寺

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ここには、義仲と愛妾・巴御前が眠っています。

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三井寺下車 三井寺

琵琶湖疎水を眺めながら歩くと

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弁慶橋と書かれたような橋がsign02

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やはり三井寺は、弁慶ゆかりの寺だからなのか・・・

駅から歩いて約10分で仁王門に到着

仁王門

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三重塔

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弁慶の引き摺り鐘を見学

比叡山と三井寺の争いの際、弁慶が鐘を比叡山まで引き摺って

持ち帰り、鐘を撞いたところ、「イノー(帰りたい)」と響くので、

弁慶が怒って谷に投げ捨てました。

その時ついたとされるヒビや引き摺ったような跡が残っています。

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おまけに汁鍋もΣ(゚д゚;)

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弁慶の伝説に纏わるものは、豪快なものが多いですね。

また近江八景のひとつ三井の晩鐘も見逃せません。

弁慶の引き摺り鐘の跡継ぎとして、鋳造されたそう。

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とにかく三井寺は広いsign01

まだまだ紹介しきれないので、また後日ゆっくりと・・・

粟津下車 

膳所城勢多口総門跡(粟津の番所跡)

粟津は、木曽義仲が最期を遂げた地。

家臣の今井兼平と二人になった義仲は、自害する場所を求めて

粟津の松原へ馬を走らせました。

Img_1138_b

その後、江戸時代になり、番所が建ち、京へ向かう旅人を

監視していたといいます。

膳所城は、関ヶ原に勝利した家康が、膳所崎に築かせた水城で、

今は膳所城勢多口総門跡の石碑がポツンと残されています。

京阪石山下車 

義仲の家臣・
今井兼平の墓へ

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義仲が討ち取られると、兼平も自ら太刀先を口に銜えて

馬から飛び降り、壮絶な最期を遂げました。

18時をまわったとlころで、一日目の日程を無事終了happy02

あ~疲れた~ι(´Д`υ)アセアセ

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