平知章

2010年12月 2日 (木)

神戸の源平史跡を訪ねて(26)源平勇士の碑

寿永三年(1184年)源平一ノ谷合戦で、平通盛は、この付近で、源氏方の木村源吾重章と相討ちで亡くなり、また平盛俊と討ち取った猪俣小平六則綱もこの付近で戦死したため、彼らを供養する碑が源平仲良く祀られています。これらの碑はもと西国街道沿いにありましたが、道路の拡幅工事によって現在の地に移築されました。また、明泉寺付近で討ち死にした平知章の碑をここに移し、敵味方の隔てなく、源平勇士の墓として、あわせ弔ったといわれています。

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高速・地下鉄長田駅から西に約200m、3分ほど歩くと、湊川の東川沿いにあります。東隣りは村野高等学校グランドになっています。

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2010年11月21日 (日)

神戸の源平史跡を訪ねて(25)明泉寺 平知章の墓

明泉寺は、行基が、水不足に悩む農民のために造成した蓮池の源である苅藻川の水が枯れないように、大日如来像を造り祈願した寺で、通称大日寺といわれています。

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一ノ谷の合戦の際、平盛俊がこの地に陣を張り、義経の来襲に備えたため、戦火で焼け、観応二年(1351)赤松判官光範公により、今の地に復興しました。

生田の盛りの大将軍・平知盛は、息子の知章、郎党の監物太郎頼方と三騎で落ちるところを、児玉党に包囲されます。
16歳の知章は、父に組み付こうとする敵の前に立ち塞がり、相手を討ち取りましたが、敵の童にやられてしまいます。監物太郎も討死にしますが、その間に知盛は、ひとり沖の船に逃れることができました。

知章が、父の知盛を助けようとして討ち死にしたのが、当寺の北の谷、モンナ池の辺りで、藪の中にあった塚を、神戸史談会会長・木村昇三氏等の手によって、境内に移したといわれています。

知章の墓(五輪塔)の横には、平知章孝死の図という説明版があります。

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本堂前には、知章御思出の松が植えられています。

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