河内源氏の里を訪ねて(5)源頼信の墓
源頼信の墓は義家の墓からさらに数10m登ったところにあります。
国指定史跡「源頼信の墓」(0968~1048)
源頼信は、清和源氏の家系である満仲の三男として生まれた。
20歳の時中央官界に身を置き、藤原通兼や道長に仕えた。
特に長元元年(1028)に勃発した平忠常の乱の際には、追討使平直方にかわり反乱を鎮圧した。この乱を鎮圧したことによって、頼信は武家の棟梁としての確固たる地位を築いた。
また上野・常陸・石見伊勢・美濃などの国司を歴任しており最期に河内国司となる。その時、河内国古市郡壺井里(現壺井・通法寺)に本拠地を構え河内源氏をひらくもとになった。
永承3年(1048)81歳の時、この地で死去し遺言により通法寺の巽(東南)の丘陵に葬られた。
(案内板より)
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