八軒家浜と渡辺津
2008年、往時の八軒家浜の賑わいを水都大阪の再生の拠点とするため、天満橋駅の北側の「八軒家浜」船着場が、水陸交通ターミナルとして整備され、京阪天満橋駅の改札と直結しています。
平安時代後期(12世紀頃)から熊野参詣が盛んになった。
白河上皇や鳥羽上皇は鳥羽離宮(京都市城南宮あたり)で身を清め道中の無事を祈願した後、京を出立。淀川を舟で下って渡辺津(現在の天神橋のあたり)で上陸し、熊野古道を通って熊野三山(和歌山県)へ、往復ほぼ一カ月かけて参詣した。
熊野本宮、新宮、那智いわゆる熊野三山への路は、右図のようにメインスルートの中辺路のほか大辺路・小辺路・伊勢路があり、峠越えの古道を中心に、2004年世界遺産に登録されている。
江戸時代以降このあたりは八軒家浜と呼ばれている。
江戸時代、天神橋と天満橋に挟まれた大川南岸が八軒家と呼ばれた。八軒家には京都と大坂を結ぶ三十石船が発着する船着場があり、淀川における貨客輸送のターミナルであった。道路沿いには旅籠や問屋が並び、船着場には旅人や運送にかかわる人々、客を呼び込む人たちの喧騒に包まれていた。そのようすは落語『三十石』や十辺舎一九の『東海道中膝栗毛』にいきいきと描かれている。
この地域は八軒家と呼ばれる以前には渡辺と呼ばれ、渡辺津(わたなべのつ)を中心に平安時代から瀬戸内海と淀川を結ぶ水上交通の拠点として栄えた。また、熊野三山への参詣道である熊野街道の拠点であり、交通の要衝として古くから賑わいをみせるところであった。現在も船着場が整備され、「みち」と「かわ」を繋ぐ、水の都大阪の拠点として、賑わいをみせている。
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