長田忠致

2012年10月19日 (金)

源義朝最期の地・野間を訪ねて(8)長田屋敷跡&はりつけの松

長田忠致は桓武平氏の末流で、『尊卑分脈』による記述では道長四天王の1人とされた平致頼の5世孫(門真致俊の子)にあたります。
忠致は、尾張国野間の豪族で、娘は源義朝の乳兄弟である鎌田正清の妻となっていました。

平治元年(1159年)、平治の乱に敗れた源義朝は、東国への逃避行の途中、鎌田政清の舅である忠致のもとに身を寄せますが、長田忠致・景致父子は平家からの恩賞を目当てに義朝を浴場で殺害、政清をも殺し、二人の首を六波羅の平清盛の元に差し出しました。
これにより忠致は壱岐守に任ぜられますが、この行賞に対して不満を述べたために、清盛らの怒りを買い、慌てて逃げ帰りました。

後に源頼朝が挙兵すると、頼朝の元へ参上し、自らの罪を訴えました。
すると、頼朝から「懸命に働いたならば美濃尾張をやる」と言われ、平家追討に懸命に働いたといいます。

しかし平家滅亡後は、頼朝に父の仇として追われる身となり、頼朝の命で殺されたといいます。
「保暦間記」では、鎌倉に捕えられていた長田忠致は青墓宿で斬られたとされていますが、その一方、野間の密蔵院の裏山には、長田父子を磔にしたという松があります。

その際、「約束通り、美濃尾張(身の終わり)をやる」と言われたと伝えられています。

この松は、密蔵院の境内からも行けますが、野間駅から野間大坊に向かう道の田んぼの中を突っ切っても行きます。

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大河イヤーで舗装されていました! 

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辞世の句

ながらえし命ばかりは壱岐守  美濃尾張をばいまぞたくまはり

(清盛からの壱岐守と、頼朝からの美濃尾張(身の終わり)を掛けています。)

長田父子が処刑されたのは美濃青墓であったのか、それとも尾張野間だったのか。処刑場所だけでなく、処刑時期、処刑方法についても諸説あります。

下高田遺蹟では、縄文、弥生時代の遺跡が発見されているそうです。

最後に・・・
忠致は永井荷風や三島由紀夫は長田忠致の子孫なのだそうですね。

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