平景清

2013年4月11日 (木)

景清爪形観音

12月初旬、まだ紅葉が残る清水寺を訪ねました。

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何度も訪ねているところですが、今回は今まで見逃していた石灯籠を目指します。

景清爪形観音は、清水寺の随求堂の前に立つ石灯籠の火袋の中にある小観音像です。

三重塔の裏側に当たります。

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景清は、平氏の侍大将で平景清とも呼ばれていますが、藤原秀郷の子孫の伊勢藤原氏(伊藤氏)で、伊藤景清ともいい、「悪七兵衛」の異名を持つほど勇猛であったそうです。
大河ドラマでは、伊藤景清の名が使われていましたね。

景清は、壇ノ浦の戦いで敗れた後に捕られ、預けられた八田知家の邸で絶食し果てたといわれていますが、異説もあります。

景清爪形観音に伝わるのは、景清は、源頼朝の命を狙って、清水寺に潜んでましたが、失敗し捕えられ、「源氏の世は見られぬ」と自らの目玉を刳り抜き清水寺に納めたという伝説です。
また、景清は、謡曲や歌舞伎、浄瑠璃にも登場します。

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この悪七兵衛観音は、景清が爪で刻んだと伝えられています。

細長い穴が二つ開いていて、中に小さな石仏が納められているそうですが、覗いても見えませんでした。

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2012年10月28日 (日)

景清社

熱田神宮を左手に歩いて行くと、ひつまぶしで有名な蓬莱本店陣屋があります。

その近くにある景清社

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景清社(かげきよしゃ)

景清は平家の侍大将忠清の次子で、腕力に優れていた。
平家没落後、縁あって熱田の地に隠れ住んだといわれる。
謡曲「景清」では「尾張の国熱田にて遊女と相馴れ一人の子を設く」とうたわれている。
後年、景清は眼病を患い、失明したという伝説から、この景清社は、眼病に霊験があるとして信仰が篤い。

景清について

平家に仕えて戦い、都落ちに従ったため俗に平姓で平景清とも呼ばれているが、藤原秀郷の子孫の伊勢藤原氏(伊藤氏)で、伊藤景清ともいう。通称、上総七郎(上総介忠清の七男であるため)。信濃守(1180年)、兵衛尉。「悪七兵衛」の異名を持つほど勇猛であった。
平安末期における治承・寿永の乱(源平合戦)において活躍した。『平家物語』巻十一「弓流」において、源氏方の美尾屋十郎の錣を素手で引きちぎったという「錣引き」が特に有名である。壇ノ浦の戦いで敗れた後に捕られ、預けられた八田知家の邸で絶食し果てたといわれるが異説もある。
「悪七兵衛」の「悪」は悪人という意味ではなく、「悪党」と同様に勇猛さを指すものとされるが、壇ノ浦の敗戦後に自分を匿った叔父の大日房能忍を疑心暗鬼にかられて殺害してしまったためにそう呼ばれるようになったとの伝承もある。ただし近年は能忍の死因は病死または事故死とする説が有力。
実在したとはいえ生涯に謎の多い人物であるため、各地に様々な伝説が残されているが、いわゆる平家の落人として扱われる事は少ない。このためか各種の創作において主人公としてよく取り上げられている。
『吾妻鏡』の記述によれば、景清には兄がいて、上総五郎兵衛尉忠光といい、鎌倉二階堂の永福寺の造営中、源頼朝を暗殺しようと土工にまぎれこむも、怪しまれて捕まっている。(Wikipediaより)

大河ドラマでは、景清の父が伊藤忠清として登場しています。

愛知県にはこの他にも景清伝説の地があるそうなので、また機会をみて訪ねてみようと思います。

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