源頼家

2025年5月16日 (金)

源頼家ゆかりの建仁寺(5)

次は変わった名前の庭園です(^0^;)

〇△☐乃庭
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三つの図形は、 禅宗の四大思想(地水火風)を、〇(苔山と砂紋)は水、△(白砂の部分)は火、☐(井戸)は地面を表しているそう。

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画像からは、△はわかりにくいですよね。

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潮音庭は、 中央に三尊石その東には坐禅石・廻りに紅葉を配し、どの方向から眺めても美しいという四方正面の禅庭です。

潮音庭
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以前、秋に見学したことがあるのですが、紅葉に彩られたこちらの庭園が大変印象に残っています。

 

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2025年5月 3日 (土)

源頼家ゆかりの建仁寺(4)

建仁寺の方丈は、大玄関を介して本坊と連結しています。

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元々は、広島の安国寺にありましたが、安国寺恵瓊が、慶長4年(1599年)に建仁寺に移築しました。

建仁寺には、大雄苑(だいおうえん)、〇△□乃庭(まるさんかくしかくのにわ)、潮音庭(ちょうおんてい)の3つがあります。

方丈庭園の大雄苑は、白砂に緑苔と巨石を配した枯山水庭園。

 

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中国の百丈山の眺めを模して造られ、百丈山の別名が大雄山であることから「大雄苑」と名付けられたそうです。

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その名の通り、雄大な雰囲気のする庭園です。

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花頭窓を通して見る大雄苑
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方丈の北側にある納骨堂
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踏み石がお洒落ですね。

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2025年4月24日 (木)

源頼家ゆかりの建仁寺(3)

本坊の玄関を入ると、俵屋宗達の「風神雷神図」が出迎えてくれます。

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国宝「風神雷神図」屛風は、現在、京都国立博物館に寄託されており、レプリカが飾られています。

方丈には、海北友松の襖絵が、キャノンの文化財未来継承プロジェクト「綴TSUZURI」による高精細複製品として復元、展示されています。

「雲龍図」
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「竹林七賢図」
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「山水図」
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「琴棋書画図」
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花鳥図
IMG_9830 建仁寺 花鳥図

凪(鳥羽実花)
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金沢翔子さんの書
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大書院にもキャノンが3D印刷した風神雷神図屛風が展示されています。

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ここで寄り道(^^ゞ


キヤノンの前身は、精機光学研究所。観音菩薩の慈悲にあやかりたいという気持ちから、1934年(昭和9年)に完成した
日本産初の精密小型カメラの試作機を「KWANON」(カンノン)、そのレンズを「KASYAPA」(カシャパ)と命名した。
KASYAPAは、釈迦の弟子のひとりである大迦葉(梵: Mahākāśyapa マハーカーシャパ、巴: Mahākassapa マハーカッサパ)に由来している。

1935年(昭和10年)、世界で通用するカメラのブランド名として、Canon(キヤノン)が採用された。(Wikipediaより)


私はカメラやプリンターなどのcanonユーザーなのですが、初めて社名の由来を知りました(^^ゞ

 

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2025年4月10日 (木)

源頼家ゆかりの建仁寺(2)

法堂は、仏殿と法堂を兼ねている建仁寺の本堂です。

法堂
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法堂の側面
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方丈と渡り廊下で繋がっており、2002年(平成14年)創建800年を記念して、天井に小泉淳作により「双龍図」が描かれました。


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2025年3月31日 (月)

源頼家ゆかりの建仁寺(1)

建仁寺は、京都市東山区にある臨済宗建仁寺派の大本山の寺院。

鎌倉幕府2代将軍・源頼家栄西を開山として建立しました。


建久2年(1191年)栄西は、宋より帰国。

当時、京都では比叡山延暦寺の勢力が強大で、禅寺を開くことは困難であったため、初め九州博多に聖福寺を建て、後に鎌倉に移り、北条政子の援助で正治2年(1200年)寿福寺を開山。

その2年後の建仁2年(1202年)、源頼家の援助を得て、元号を寺号とし、京都における臨済宗の拠点として建仁寺を建立。

伽藍は宋の百丈山に擬して造営されました。

勅使門
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北門
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三門
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大正12年、静岡県浜名郡雄踏町山崎の安寧寺から移建したもの。

「御所を望む楼閣」という意味で「望闕楼」と名づけられました。

楼上には釈迦如来、迦葉・阿難両尊者と十六羅漢が祀られています。

方丈と大玄関
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本坊
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2025年2月14日 (金)

妙本寺(4)源頼家の娘・源媄子の墓

妙本寺の境内に、源頼家の娘・源媄子(よしこ)の墓があります。

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寺伝によると、

鎌倉幕府2代将軍 源頼家と比企能員の娘 讃岐局との間に生まれましたが、比企の乱で一族が滅ぼされました。
生き残った媄子(よしこ)は、祖母 北条政子の死後、幕府の中で唯一、頼朝の血をひく者として御家人一同の尊敬を集め、彼らをまとめる役割を果たしました。
幕府は政権維持のため、京都から藤原頼経を迎え、4代将軍とし、媄子は4代将軍の奥方となりました。
懐妊しましたが死産で、本人も32歳で死去されました。遺言に「自分はお釈迦様を信仰しているので、亡き後はこのお像をお祀りする堂を造り、供養をしてほしい」とあり、遺言通り釈迦堂が造られました。
釈迦堂は、天保年間(江戸末期)に祖師堂前左側に移築され(現存せず)、釈迦堂跡地にお墓が建てられました。

以下、Wikipedeiaより
鎌倉幕府第2代将軍源頼家の娘。位記の名は鞠子。妙本寺の寺伝によれば媄子(よしこ)。一幡、公暁は異母兄または同母兄、栄実は異母兄、禅暁は異母兄または異母弟と考えられている。
母は『尊卑分脈』では源義仲の娘となっており、また『諸家系図纂』所収「河野系図」には河野通信と北条時政の娘の間に生まれた美濃局を母と伝えるが、「竹の御所」と呼ばれた鞠子の邸は比企ヶ谷の比企氏邸跡であることから、実際の母は比企能員の娘若狭局と考えられる(美濃局については竹御所の乳母が正しく、その後ろ盾で承久の乱に連座した河野氏が再興されたとする説もある)。

誕生の翌年に比企能員の変が起こり、頼家は北条氏によって将軍の座から逐われ、間もなく暗殺された。建保4年(1216年)3月5日、祖母・北条政子の命により、15歳で叔父の源実朝の御台所・坊門信子に謁見し、その猶子となる。他の頼家の子が幕府の政争の中で次々に非業の死を遂げていく中で、政子の庇護のもとにあり女子であった竹御所はそれに巻き込まれることを免れ、政子の死後にその実質的な後継者となる。幕府関係者の中で唯一、源頼朝の血筋を引く生き残りである竹御所は、幕府の権威の象徴として御家人の尊敬を集め、彼らをまとめる役目を果たした。

寛喜2年(1230年)、29歳で13歳の第4代将軍藤原頼経に嫁ぐ。夫婦仲は円満であったと伝えられる。その4年後に懐妊し、後継者誕生の期待を周囲に抱かせたが、難産の末に男児を死産し、本人も死去した。享年33。これにより頼朝の直系子孫は死に絶え、源氏将軍の血筋は断絶した。

藤原定家の日記『明月記』によると、竹御所の訃報がもたらされた鎌倉武士たちは、源氏棟梁の血筋が断絶したことに激しく動揺し、京都にあった御家人はこぞって鎌倉に下ったという。定家はこのことに対し「平家の遺児らをことごとく葬ったことに対する報いであろう」と述べている。

なお、『吾妻鏡』嘉禎元年七月二十七日条には、「竹御所の姫君」が喪の期間を終えたと記されている。

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2015年8月14日 (金)

三島の旅(19)信光寺

伊豆の国市にある曹洞宗の信光寺は、武田五郎信光の開基です。

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武田氏は、清和源氏の源義家(八幡太郎)の弟・源義光(新羅三郎)を祖とし、義光の三代後の信義の時、武田氏を名乗りました。

鎌倉幕府創建後、武田五郎信光が北条政子からこの地を賜り、12年間、居を置いたといいます。

信光は、修禅寺に流されていた源頼家を見舞い、その帰路、頼家が暗殺されたことを聞いて出家し、頼家の菩提を弔ったと伝えられています。

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境内には、信光のものとされる宝篋印塔があります。

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2015年7月20日 (月)

三島の旅(16)光照寺 源頼家の面

政子産湯の井戸の近くに、光照寺があります。

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もとは北条時政源頼朝のために建てた館の跡で、頼朝の死後に寺になったそうです。

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*前回訪問した時、こちらに伝わる源頼家のお面をご住職のご好意で見せていただきました。

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修禅寺の宝物館で見た頼家の面とは違い、ユーモラスな表情をしています。

こちらの面と見比べてください。

http://shuzenji-temple.com/jihou1.html

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2012年11月23日 (金)

修善寺の旅(4)指月殿~頼家の墓~十三士の墓

鎌倉幕府の二代将軍・源頼家は、修禅寺に幽閉され、北条時政の手により、当時、修禅寺門前の虎溪橋際にあった筥湯で、入浴中に23歳の若さで暗殺されました。
指月殿は、母・北条政子が頼家の冥福を祈って、建てた御堂です。




指月殿境内には頼家の墓があります。



十三士の墓は、頼家の墓近くにあります。
頼家の家臣十三人が、頼家が殺された6日後に謀叛を企てたものの、挙兵前に発見され、全員殺されたと伝えられています。



そして、指月殿の裏手の山を登っていくと、義経像があります。



でも、この像は、私が描いている義経さまのイメージとは程遠いな~(^_^;)



源範頼の墓

頼朝の弟で、義経の兄である蒲冠者と呼ばれた源範頼は、謀反を企てたと頼朝の誤解を招き、この地に幽閉され、悲しい最期を遂げました。



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2012年11月17日 (土)

修善寺の旅(3)修禅寺 

旅のメインである修善寺に到着



鎌倉第二代将軍・源頼家が幽閉された場所で、岡本綺堂の戯曲「修善寺物語」の舞台になりました。



秋は、紅葉の名所としても有名なお寺です。



山門を入ってすぐ左手にある鐘楼の周りの紅葉が見頃になっていました。









百度石



人面石?(笑)



本堂







宝物館では、平安時代の密教道具、頼家の仮面などが展示されていました。

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