源頼家

三島の旅(19)信光寺

伊豆の国市にある曹洞宗の信光寺は、武田五郎信光の開基です。

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武田氏は、清和源氏の源義家(八幡太郎)の弟・源義光(新羅三郎)を祖とし、義光の三代後の信義の時、武田氏を名乗りました。

鎌倉幕府創建後、武田五郎信光が北条政子からこの地を賜り、12年間、居を置いたといいます。

信光は、修禅寺に流されていた源頼家を見舞い、その帰路、頼家が暗殺されたことを聞いて出家し、頼家の菩提を弔ったと伝えられています。

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境内には、信光のものとされる宝篋印塔があります。

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三島の旅(16)光照寺 源頼家の面

政子産湯の井戸の近くに、光照寺があります。

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もとは北条時政源頼朝のために建てた館の跡で、頼朝の死後に寺になったそうです。

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*前回訪問した時、こちらに伝わる源頼家のお面をご住職のご好意で見せていただきました。

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修禅寺の宝物館で見た頼家の面とは違い、ユーモラスな表情をしています。

こちらの面と見比べてください。

http://shuzenji-temple.com/jihou1.html

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世田谷八幡宮

東京の世田谷区宮の坂に、世田谷八幡宮があります。

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寛治5年(1091年)後三年の役(1083〜87)の帰途、源義家がこの宮の坂の地で豪雨に会い、天候回復を待つため、滞在することとなり、今度の戦勝は日頃氏神としている八幡大神の加護によるものと思い、豊前国の宇佐八幡宮の分霊をこの地に勧請し祀りました。

祭神は、八幡大神(応神天皇)、仲哀天皇、神功皇后。

後に世田谷城主七代目の吉良頼康が、天文15年(1546年)社殿を再興させて発展させました。

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この日は、井伊家の菩提寺・豪徳寺の帰りに立ち寄りました。

世田谷線の線路を越えて、すぐのところにあります。

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修善寺の旅(4)指月殿~頼家の墓~十三士の墓

鎌倉幕府の二代将軍・源頼家は、修禅寺に幽閉され、北条時政の手により、当時、修禅寺門前の虎溪橋際にあった筥湯で、入浴中に23歳の若さで暗殺されました。
指月殿は、母・北条政子が頼家の冥福を祈って、建てた御堂です。




指月殿境内には頼家の墓があります。



十三士の墓は、頼家の墓近くにあります。
頼家の家臣十三人が、頼家が殺された6日後に謀叛を企てたものの、挙兵前に発見され、全員殺されたと伝えられています。



そして、指月殿の裏手の山を登っていくと、義経像があります。



でも、この像は、私が描いている義経さまのイメージとは程遠いな~(^_^;)



源範頼の墓

頼朝の弟で、義経の兄である蒲冠者と呼ばれた源範頼は、謀反を企てたと頼朝の誤解を招き、この地に幽閉され、悲しい最期を遂げました。



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修善寺の旅(3)修禅寺 

旅のメインである修善寺に到着



鎌倉第二代将軍・源頼家が幽閉された場所で、岡本綺堂の戯曲「修善寺物語」の舞台になりました。



秋は、紅葉の名所としても有名なお寺です。



山門を入ってすぐ左手にある鐘楼の周りの紅葉が見頃になっていました。









百度石



人面石?(笑)



本堂







宝物館では、平安時代の密教道具、頼家の仮面などが展示されていました。

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