藤原師長

2013年10月16日 (水)

藤原師長の史跡(4)津賀田神社

瑞穂区の鎌倉街道を歩きながら、津賀田神社を目指しました。

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清盛に流された藤原師長が、当社に祈願したところ、3年後に京都への帰還が叶ったといいます。

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津賀田神社

「尾張志」に「本國帳に愛智郡従三位津賀田ノ天神とある是也・・」とあり、天照大神と仁徳天皇を祀る古社で、俗に若宮八幡ともいった。
また、社宝の書写大般若経は、「尾張志」に「此社に古写の大般若経六百巻を唐櫃におさめ・・」とあり、その大般若経の多くは南北朝ごろに書き写されたもので、このことから神社の創建は鎌倉末までさかのぼるとされる。
(名古屋市教育委員会) 

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2013年10月13日 (日)

藤原師長ゆかりの史跡(3)姫宮神社

藤原師長が井戸田に配流され、村の長・横江深光氏の娘・槐女(かいじょ)が大臣の身の回りをお世話しました。
横江氏の子孫が娘の霊を慰めるよう祠(姫塚)を建て、個人宅内裏山に残っていましたが、現在は姫宮町集会所の姫宮神社として祀られています。

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2013年10月 9日 (水)

藤原師長ゆかりの史跡(2)藤原師長謫居趾

藤原師長の瑞穂区に伝わる史跡を訪ねました。
師長の法名「妙音院」ゆかりの妙音通を南に下ると、嶋川稲荷社があり、鳥居の後ろに、「藤原師長謫跡」の石碑があります。

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藤原師長謫居趾

太政大臣藤原師長は平清盛の勘氣を被り治承
3年(1179)11月井戸田村へ流されて来た。
花の朝な夕べ琵琶を弾じて京をしのんだ。
後に出家して妙音院と号したが、これが今の
妙音通の地名の起りである。身辺の世話をした
村長の横江の娘と契り師長が帰洛を許されるとき
土器野里(枇杷島)まで送ってきた娘に形見として
片貝の琵琶白菊を与えた。娘は悲しみのあまり
その形見を抱いて側なる池に身を投じたという。

四つ緒のしらべもたえて三瀬川
沈みはてぬと君につたえよ
(案内板より)

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嶋川稲荷社からさらに南に進むと、山崎川にかかる師長の名が残る「師長小橋」があります。

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師長小橋より東に進むと「師長橋」があります。

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2013年10月 5日 (土)

藤原師長ゆかりの史跡(1)小袖懸けの松

名古屋の栄のシンボルともいえるテレビ塔

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そのふもとにある小袖懸けの松

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この松には次のような伝承が残されています。

そのひとつとして、藤原師長に関するものです。

藤原師長は、大河ドラマで、山本耕史さんが演じた藤原頼長の息子に当たります。

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 この地は、名古屋大地の東端線に位置し、名古屋城築城以前は、自然に恵まれ、眺望のよいところであった。築城後は、基盤割の街づくりがされ、この辺は、袋町筋と本重筋の間で町人の町・小塚町(のち、小市場町と合併)として栄えた。
その昔、この地に「小袖懸けの松」と呼ばれた古い松があり、古書に多くの伝説が記されている。
1.治承3年(1179)平清盛により京を追われ井戸田(現瑞穂区)に謫居していた太政大臣藤原師長に関するものである。師長が謫居一年余の後、赦免され帰京の際、彼に馴れ仕えた娘に愛用の琵琶を贈った。娘は恋慕を押さえきれず、送別の帰途、古松に小袖をかけ、入水したという。
2.いつの時代か不明であるが、兵乱のため、この辺の人々が四方に逃避し、乱が止んでそれぞれが地元に帰った。しかい、長者の娘は帰らず、両親は八方探し回った。娘の小袖が古松にかかっているのを見つけた。両親は悲嘆、小袖を埋め、塚を作ったという。

 人々は、その松を「小袖懸けの松」または「小袖松」といい、この辺りを「小袖塚」というようになった。

藤原師長

藤原頼長の次男で、保元の乱のあと土佐に配流された。後白河院政のもとで太政大臣、従一位となるが、治承3年(1179)清盛により尾張に流されて出家した。管弦、今様、声明に通じ、琵琶の名手でもあった。
藤原師長に関して、名古屋には他にもゆかりの史跡があるので、次の記事で紹介致します。

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