藤原師長

2013年10月16日 (水)

藤原師長の史跡(4)津賀田神社

瑞穂区の鎌倉街道を歩きながら、津賀田神社を目指しました。

Img_7384_b

清盛に流された藤原師長が、当社に祈願したところ、3年後に京都への帰還が叶ったといいます。

Img_7388_b

Img_7389_b Img_7385_b

津賀田神社

「尾張志」に「本國帳に愛智郡従三位津賀田ノ天神とある是也・・」とあり、天照大神と仁徳天皇を祀る古社で、俗に若宮八幡ともいった。
また、社宝の書写大般若経は、「尾張志」に「此社に古写の大般若経六百巻を唐櫃におさめ・・」とあり、その大般若経の多くは南北朝ごろに書き写されたもので、このことから神社の創建は鎌倉末までさかのぼるとされる。
(名古屋市教育委員会) 

応援のポチッのご協力お願いします。

にほんブログ村 歴史ブログ 歴女・女性歴史ファンへ
にほんブログ村


偉人・歴史人物 ブログランキングへ

2013年10月13日 (日)

藤原師長ゆかりの史跡(3)姫宮神社

藤原師長が井戸田に配流され、村の長・横江深光氏の娘・槐女(かいじょ)が大臣の身の回りをお世話しました。
横江氏の子孫が娘の霊を慰めるよう祠(姫塚)を建て、個人宅内裏山に残っていましたが、現在は姫宮町集会所の姫宮神社として祀られています。

201210101522111c5

応援のポチッのご協力お願いします。

にほんブログ村 歴史ブログ 歴女・女性歴史ファンへ
にほんブログ村


偉人・歴史人物 ブログランキングへ

2013年10月 9日 (水)

藤原師長ゆかりの史跡(2)藤原師長謫居趾

藤原師長の瑞穂区に伝わる史跡を訪ねました。
師長の法名「妙音院」ゆかりの妙音通を南に下ると、嶋川稲荷社があり、鳥居の後ろに、「藤原師長謫跡」の石碑があります。

2012100913424041b 20121009134239c8c 201210091342405a1

藤原師長謫居趾

太政大臣藤原師長は平清盛の勘氣を被り治承
3年(1179)11月井戸田村へ流されて来た。
花の朝な夕べ琵琶を弾じて京をしのんだ。
後に出家して妙音院と号したが、これが今の
妙音通の地名の起りである。身辺の世話をした
村長の横江の娘と契り師長が帰洛を許されるとき
土器野里(枇杷島)まで送ってきた娘に形見として
片貝の琵琶白菊を与えた。娘は悲しみのあまり
その形見を抱いて側なる池に身を投じたという。

四つ緒のしらべもたえて三瀬川
沈みはてぬと君につたえよ
(案内板より)

20121009134238afa

嶋川稲荷社からさらに南に進むと、山崎川にかかる師長の名が残る「師長小橋」があります。

201210091342387ba 20121009134607312

師長小橋より東に進むと「師長橋」があります。

201210091343461b5 2012100913434677c

応援のポチッのご協力お願いします。

にほんブログ村 歴史ブログ 歴女・女性歴史ファンへ
にほんブログ村


偉人・歴史人物 ブログランキングへ

2013年10月 5日 (土)

藤原師長ゆかりの史跡(1)小袖懸けの松

名古屋の栄のシンボルともいえるテレビ塔

20121005122439ada

そのふもとにある小袖懸けの松

20121005122438563

この松には次のような伝承が残されています。

そのひとつとして、藤原師長に関するものです。

藤原師長は、大河ドラマで、山本耕史さんが演じた藤原頼長の息子に当たります。

20121005122438dec

 この地は、名古屋大地の東端線に位置し、名古屋城築城以前は、自然に恵まれ、眺望のよいところであった。築城後は、基盤割の街づくりがされ、この辺は、袋町筋と本重筋の間で町人の町・小塚町(のち、小市場町と合併)として栄えた。
その昔、この地に「小袖懸けの松」と呼ばれた古い松があり、古書に多くの伝説が記されている。
1.治承3年(1179)平清盛により京を追われ井戸田(現瑞穂区)に謫居していた太政大臣藤原師長に関するものである。師長が謫居一年余の後、赦免され帰京の際、彼に馴れ仕えた娘に愛用の琵琶を贈った。娘は恋慕を押さえきれず、送別の帰途、古松に小袖をかけ、入水したという。
2.いつの時代か不明であるが、兵乱のため、この辺の人々が四方に逃避し、乱が止んでそれぞれが地元に帰った。しかい、長者の娘は帰らず、両親は八方探し回った。娘の小袖が古松にかかっているのを見つけた。両親は悲嘆、小袖を埋め、塚を作ったという。

 人々は、その松を「小袖懸けの松」または「小袖松」といい、この辺りを「小袖塚」というようになった。

藤原師長

藤原頼長の次男で、保元の乱のあと土佐に配流された。後白河院政のもとで太政大臣、従一位となるが、治承3年(1179)清盛により尾張に流されて出家した。管弦、今様、声明に通じ、琵琶の名手でもあった。
藤原師長に関して、名古屋には他にもゆかりの史跡があるので、次の記事で紹介致します。

応援のポチッのご協力お願いします。

にほんブログ村 歴史ブログ 歴女・女性歴史ファンへ
にほんブログ村


偉人・歴史人物 ブログランキングへ

2019年10月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    
無料ブログはココログ