高野山を訪ねて(4)西行桜と三昧堂
鳥羽法皇の北面の武士だった西行は、奥州平泉の旅から帰った後、高野山に草庵を結んで移り住み、以来30余年もの間、高野山で過ごしました。
西行が修行を行ったという三昧堂
高野山の座主・済高(さいこう)が、平安時代中期、延長7年(929年)「理趣三昧」という儀式のために建てたお堂です。
当初は総持院境内にありましたが、平安時代末期にこの場所に移築されました。
この移築に、蓮華乗院(大会堂)の奉行だった西行が関わったと伝えられています。
現在の建物は、江戸時代後期、文化13年(1816年)の再建です。
その御堂の前には、西行が三昧堂の移築・修造をした際の記念に植えたという桜があり、西行桜と呼ばれています。
その桜は三昧堂が再建された文化年間(江戸時代後期)に枯れてしまいましたが、現在は何代目かの桜が後継ぎとして植えられています。
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