西行

高野山を訪ねて(4)西行桜と三昧堂

鳥羽法皇の北面の武士だった西行は、奥州平泉の旅から帰った後、高野山に草庵を結んで移り住み、以来30余年もの間、高野山で過ごしました。

西行が修行を行ったという三昧堂

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高野山の座主・済高(さいこう)が、平安時代中期、延長7年(929年)「理趣三昧」という儀式のために建てたお堂です。

当初は総持院境内にありましたが、平安時代末期にこの場所に移築されました。

この移築に、蓮華乗院(大会堂)の奉行だった西行が関わったと伝えられています。

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現在の建物は、江戸時代後期、文化13年(1816年)の再建です。

その御堂の前には、西行が三昧堂の移築・修造をした際の記念に植えたという桜があり、西行桜と呼ばれています。

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その桜は三昧堂が再建された文化年間(江戸時代後期)に枯れてしまいましたが、現在は何代目かの桜が後継ぎとして植えられています。

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西行の戻り橋

別所温泉を散策中、ある橋を通りかかりました。

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橋には「相染橋」とあります。

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しかし、案内板には、西行の戻り橋とあります。

西行の戻り橋とは、相染橋の別名なのだそうです。

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西行の戻り橋
昔、西行法師が小諸の布引観音から別所の北向観音への途すがら、このあたりでワラビを採って遊んでいた村童にたわむれて
「子どもらよ、ワラビ(わら火)をとって、手を焼くな」とと問いかけた。
子供らはすかさず「法師さん、ヒノキ(火の木)笠着て頭を焼くな」と返されさすがの法師も子供ですらこのように頓智のきく地に恐れをなして、この橋を渡らずに引き返したことからこの橋を西行の戻り橋という。
 


さすがの西行も、こどもたちには負けたという面白いエピソードですね!

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西行と頼朝

文治2年(1186)8月、西行が東大寺再建の責任者である重源の依頼により、奥州への砂金の勧請に行く途中、鎌倉に立ち寄り、源頼朝と会見したという有名な話があります。

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(伝源頼朝像)

その時の様子を「吾妻鏡」はこう伝えています。

文治2年(1186)8月15日、頼朝が、鶴ヶ岡八幡宮に参拝すると、鳥居のあたりに老僧が徘徊している。
これを梶原景時の長男・梶原景季が問いただしたところ、西行と名乗った。
頼朝は西行を自宅に招き、歌道や弓馬についていろいろ尋ねた。
西行は若い頃は弓馬もやったが、出世した今はすべて忘れたと言ったが、あまりにも頼朝が熱心に聞くので、兵法について語ったという。
 

頼朝は西行が語る弓馬の故事を側近の藤原俊兼に書き取らせた。 

翌16日  

頼朝はお礼に銀の猫を贈ったが、西行は通りで遊んでいた子どもに惜しげもなくあげてしまったという。
西行の今回の旅は、東大寺再建の責任者である重源の依頼により、奥州への砂金の勧請に行く途中、鎌倉に立ち寄ったということである。
 

陸奥守・秀衡公は、西行法師の遠戚の一族にあたる。

銀の猫のエピソード・・・西行は無欲な人だったのでしょうか?coldsweats01

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双林寺

西行庵から双林寺へ。

西行堂に安置されていた西行法師僧像は、現在こちらの本堂でお祀りされています。
(拝観不可)

双林寺(そうりんじ)

金玉山と号する天台宗の寺である。
延暦年間〔782~805)に尾張連定鑑(おわりのむらじじょうかん)が伝教大師ー最澄(さいちょう)-を開基に招じて創建したのが当寺の起こりと伝えられる。
その後、鳥羽天皇の皇女入寺などもあって栄え、広い境内と多くの塔頭子院(たっちゅうしいん)を有したが、中世になって衰微するに至った。
応永年間(1394~1427)に国阿上人(こくあしょうにん)が再興し、時宗一派の本山となり、東山道場と称したが、応仁の乱後再び衰え、明治維新のとき天台宗に改まった。
更に、明治の中頃、円山公園が設置された際に多くの寺地を失い、現在は本堂の一宇にその名残をとどめるのみである。
本堂に安置する木造薬師如来座像(重要文化財)は平安時代の翻波式衣文(えもん)がよく表現されている。
この地には、かって、西行(さいぎょう)、平康頼(たいらのやすより)、頓阿(とんあ)などが庵住したと伝えられ、本堂の南西飛地境内地には今も西行堂が建つ。また、豊臣秀吉もここで花見の宴を催したといわれる。
            京都市(案内板より)

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西行庵と西行堂

祇園女御の塚のある京都祇園堂からほど近いところに西行ゆかりの西行庵西行堂があります。

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西行庵

西行法師(1118~1190)は、平安時代末期の僧侶であり、新古今和歌集の代表的歌人の一人である。
出家をする前の俗名を佐藤義清(さとうのりきよ)といい、もと鳥羽上皇の北面の武士であったが、保延(ほうえん)6年(1140)に出家し諸国を行脚して全国各地の風光明媚な自然を愛で和歌を詠んだ。
この地は、西行が蔡華園院(さいかおういん)を営み、終焉の地であったところと伝えられている。
明治時代中頃には荒廃を極めていたが、明治26年(1893)に富岡鉄斎(とみおかてっさい)が勧進文(寄付を呼びかける文)を書き、小文法師(こぶんほうし)が浄財を募り、当時の京都市長内貴甚三郎(ないきじんざぶろう)らの尽力により再建されて現在に到る。
当庵は、母屋「浄妙庵(じょうみょうあん)」、茶室「皆如庵(かいにょあん)」からなる。茅葺(かやぶき)きの母屋は大徳寺塔頭真珠庵の別院を移したものである。
皆如庵は北野の久我(こが)別邸より移された桃山時代の名席で、円窓床(えんそうどこ)と道安囲(どうあんがこい)の点前座(てまえざ)が有名である。
毎年3月中旬には、皆如庵で西行忌(さいぎょうき)茶会が執り行われる。
  願わくは花の下にて春死なむ その如月(きさらぎ)の望月(もちづき)の頃  西行(山家集)
         京都市(案内板より)

西行庵の隣に、雙林寺の塔頭・蔡華園院があります。
西行は出家した翌年の1141年からここに住んでいたといわれています。
この入り口を入ると、奥には西行堂があります。

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西行堂

西行法師(1118~1190)は、平安末期から鎌倉初期の歌僧で、俗名を「佐藤義清(さとうのりきよ)」という。
もともと鳥羽上皇に仕えていた北面の武士であったが、23歳の時、武士の名誉などを棄て、突然出家した。
翌年、永治元年(1141)から、双林寺塔頭である「蔡華園院(さいけおんいん)」に止住し始めた。
「山家集 上、冬歌」
野辺寒草といふことを双林寺にてよみにける
「さまざまに 花咲きけりと見し野辺の 同じ色にも霜枯れにけり」
「山家集 上、春歌」
「願わくば 花の下にて春死なん その如月の望月の頃」
この有名な歌は、双林寺境内の桜のもとで詠まれたものではないかとも言われている。
この西行堂のもとは、天正時代に「蔡華園院」の跡地に建立され、享保21年(1731)、摂津池田李孟寺の天津禅師により、この地に移築再興された。
明和7年(1770)には、冷泉為村が修繕した。堂中央に為村筆「花月庵」と書した横額を掲げる。
その後、明治26年(1892)宮田小文法師によって、隣接する茶席(浄妙庵、・皆如庵)が移築され、現在に至っている。
堂内には、西行法師座像、頓阿法師座像を安置する。
      天台宗 金玉山 双林寺(案内板より)
 
西行法師僧像、頓阿法師僧像は、現在は双林寺本堂でお祀りされています。(拝観不可)

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西行井戸

京都の観光地・嵯峨野の落柿舎の北側、天龍寺塔頭・弘源寺の境外墓地の東側に西行井戸があります。

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西行が、二尊院の辺りに庵を設けたときに使っていた井戸といわれ、井戸の横に西行の歌碑が立てられています。

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「牝鹿なく 小倉の山の すそ近み ただ独りすむ わが心かな」

落柿舎の裏手にあるだけに、知らないで通り過ぎる人が多いかもしれませんね。

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