源満仲

2013年9月13日 (金)

頼光寺

川西市の頼光寺も美女丸ゆかりのお寺です。

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能勢電鉄畦野駅下車し、北西へ500mほどのところにあります。

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この能勢電鉄の高架下のトンネルを抜けるとくぐると、頼光寺の入り口にがあります。

頼光寺は、源満仲の夫人である法如尼の発願で、子の源賢僧都(美女丸)を開基にして、源頼光の子・永寿が法如尼の念持仏であった地蔵菩薩を本尊として開山しました。

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本堂には北摂七福神寿老人像、源頼光神像が安置されています。

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梅雨時になると、500株ものあじさいが、咲きほこることから、あじさい寺とも呼ばれています。

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2013年9月 9日 (月)

小童寺

美女丸伝説の伝わる源満仲ゆかりの寺は他にもあります。

能勢電鉄山下駅から川西市立川病院を目指して20分ほど歩いたところにある小童寺です。 

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清和天皇の後裔摂津守源満仲公は、仏心篤く我子美女丸を僧侶にすべく中山寺の善観和尚に預けるが、武門の血をひく美女丸は、僧侶になる事えお不服に思い、罪なき人々に乱暴を働く、父満仲は怒り、重臣藤原仲光に美女丸を手討にすりよう命じるが仲光は、若君に刃を向ける事が出来ず悩んでいた。仲光の一人息子十五才の幸寿丸が、父の苦しみを知り、私が若君の身代わりにと自ら生命をさし出す。
幸寿丸「君がため命に代へる後の世の 辞世の歌 やみじを照らせ山の端の月」
この後、美女丸は比叡山の恵心僧都のもとにて出家し、名僧源賢僧都となり、幸寿丸の菩提を弔うため小童寺を建立した。


本堂裏に、藤原仲光・幸寿丸・美女丸の墓があるそうですが、見逃してしまいました(;O;)

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2013年9月 6日 (金)

満願寺

兵庫県川西市の満願寺は、多田神社と同じく源氏にゆかりのある寺院です。

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寺伝によれば奈良時代、聖武天皇の勅願により勝道上人が創建。

平安時代中期には源満仲がこの寺院に帰依し、以来源氏一門の祈願所として栄えました。

山門

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1881年再建のモダンな造りの仁王門です。仁王像は、もとは、多田院山門にあったもので、神仏分離の際、移転されました。

本坊 (旧円覚院)

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満願寺金堂

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毘沙門堂

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観音堂

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石造九重塔 (国の重要文化財)正応6年(1293年)造立の銘があります。

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八幡神社               稲荷神社

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坂田金時の墓

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美女丸・幸寿丸・藤原仲光の墓 室町時代造立

美女丸伝説

源満仲は、素行が悪い末子の美女丸を修行させるため、寺に預けました。しかし、これを不満に思った美女丸は、和歌や管弦もできず、経文も読むことができなかったのです。怒った満仲は、家臣の藤原仲光に美女丸の首をはねるように申しつけましたが、主君の子の命を奪うことなどできず困っていたところ、仲光の実子の幸寿丸が、自分が身代わりになると申し出ました。
仲光は、泣く泣く、幸寿丸の首を打ち、美女丸逃したのでした。
後にそのことを知った美女丸は、今までの自分の行いを悔い改めて比叡山で修行に励み、やがて源賢阿闍梨という高僧になりました。

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源家の七塔 - 源国房、光国、明国、仲政、国直、行国、国基の供養塔

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2013年8月31日 (土)

清和源氏発祥の地・多田神社(2)

多田神社の摂社です。

田尻稲荷神社

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旧多田荘の田尻より移築されました。社殿は一間社流造。

厳島神社(弁財天)

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市杵嶋姫命を祀っています。
一間社造りの社殿は室町後期に再建されたものです。

六所宮

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伊勢、賀茂、稲荷、春日、住吉、熊野の神々を祀っています。
旧多田院の鎮守社として、また多田荘72ケ村の総社として鎌倉期に創建された神社です。
現在の社殿は室町後期に再建された三間社造りです。

無患子(ムクロジ)

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本州、四国、九州に分布するムクロジ科の落葉高木です。
黒い実は羽子突きの羽子の球として用いられるそうです。

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2013年8月26日 (月)

清和源氏発祥の地・多田神社(1)

阪急電鉄宝塚線「川西能勢口駅」下車。阪急バスにて「多田神社前」で降りるとすぐに鳥居が見えます。

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猪名川にかかる橋を渡ると、多田神社の南大門に行き着きます。

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多田神社
は、兵庫県川西市にある神社で、多田院として国の史跡に指定されています。この地は清和源氏武士団発祥の地であり、この地に居城を構えた源満仲によって天禄元年(970年)に天台宗寺院として建立されました。明治以前までは多田院と称した寺院でしたが、神仏分離の際に神社となりました。

多田神社は清和源氏の霊廟として、源満仲、源頼光、源頼信、源頼義、源義家を祀っています。

現在の社殿は、寛文年間に徳川家綱が再建したものです。

南大門

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多田院のもとの仁王門。
明治4年神仏分離で、仁王像は満願寺山門に移転され、安置されています。

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随神門

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徳川四代将軍家綱公により再興されました。
両脇に築地塀が付いた三楝造と呼ばれる八脚門。

神馬舎

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拝 殿

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徳川四代将軍・家綱公により再興。入母屋造、檜皮葺屋根

本殿

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徳川四代将軍家綱公により再興。桃山時代の姿をそのまま継承した、
素木の入母屋造、檜皮葺屋根

神廟(源満仲、頼光両公の御廟所)

足利尊氏公以下、足利歴代将軍の分骨も収められています。
本殿真裏にあり、禁足地帯になっています。

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