源満仲

2018年10月17日 (水)

源満仲(多田満仲)を祀る多田神社

東京都中野区南台に鎮座する多田神社は、源頼光や頼信の父である多田源氏の祖・源満仲(多田満仲)を御祭神とした神社です。
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社伝によれば、「頼義、義家の父子二公は前九年後三年の両役に大軍を率いて、奥羽の地に赴きその凱旋の帰途、寛治6年(1092)祈願達成の報賽として大宮八幡宮に神鏡を献じ、別当宝仙寺を建立すると共に大宮八幡宮造建の時の八幡宮神供の雑色料の地である当地に日頃淑敬する満仲公の祠を建てたところ雑色村の鎮守社として住民に崇敬せられてきたということが「武蔵名勝図会」に記されている。」といいます。
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多田稲荷神社
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御祭神:宇迦之御魂大神・保食命(うかのみたまのおおかみ・うけもちのみこと)
多田神社の鬼門を守り、衣食住という日常生活を守護される神である。江戸時代には多田権現稲荷合社として祀られていた。
三社合祀 榛名神社・御嶽神社・阿夫利神社
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榛名神社
御祭神:火産霊神・埴山毘売命(ほむすびのかみ・はにやまひめのみこと)
かまど(台所)とご不浄(お手洗い)を守る
御嶽神社
主神:櫛真知命(くしまちのみこと)
配神:大己貴命・少彦名命(おおむなむちのみこと・すくなびこなのみこと)
火災・盗難除けの神として信仰が厚い
阿夫利神社
御祭神:大山祇命(おおやまつみのみこと)雨降山とも呼ばれ、雨乞いの神である。
(多田神社HPより)

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2017年6月21日 (水)

高野山を訪ねて(19)奥之院 多田(源)満仲の墓

多田満仲(源 満仲)の墓
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源満仲/菊池容斎画『前賢故実』より
清和源氏、六孫王経基の嫡男。多田源氏の祖。
当初は都で活動する武官貴族であった。天徳4年(960年)平将門の子が入京したとの噂があり、検非違使や大蔵春実らと共にこの捜索を命じられた武士の一人として現れたのが史料上の初見。武蔵権守の任期を終えていた応和元年(961年)に満仲の邸宅が強盗に襲撃される事件が起こり、自ら強盗の一味であった倉橋弘重を捕らえた。弘重の供述によれば醍醐天皇の皇孫親繁王と清和天皇の皇孫源蕃基がそれぞれ主犯と共犯であったという。
左馬助在任時の康保2年(965年)に、多公高・播磨貞理らと共に村上天皇の鷹飼に任ぜられる。同4年(967年)に村上天皇が崩御すると、藤原千晴と共に伊勢に派遣される固関使に命ぜられるが、離京することを嫌った双方が辞退を申し出たが、満仲のみ病による辞退を許された。
安和2年(969年)の安和の変では、源連らによる皇太子・守平親王(のち円融天皇)廃太子の謀反があると密告して事件の端緒をつくった。この事件で左大臣・源高明が失脚したが、満仲は高明の一派であり、これを裏切り密告したとの噂がある。また、この事件で満仲の三弟・満季が対立する有力武士・藤原千晴の一族を追捕している。満仲は密告の恩賞により正五位下に昇進した。
藤原摂関家に仕えて、摂津国・越後国・越前国・伊予国・陸奥国などの受領を歴任し、左馬権頭・治部大輔を経て鎮守府将軍に至る。こうした官職に就くことによって莫大な富を得た満仲は他の武士からの嫉妬を受けたらしく、天延元年(973年)には武装した集団に左京一条にあった自邸を襲撃、放火されるという事件が起きている。この事件による火災は周辺の建物300軒から500軒にまで延焼したという。また、この事件でも同日中に三弟満季が嫌疑人を捕らえているが、実行犯については明らかでない。
二度国司を務めた摂津国に土着。摂津国住吉郡(現在の大阪市住吉区)の住吉大社に参籠した時の神託により、多田盆地(後の多田荘。現在の兵庫県川西市多田)に入部、所領として開拓するとともに、多くの郎党を養い武士団を形成した。武士団の中心として坂上党の棟梁坂上頼次を摂津介に任命し、山本荘司に要請して西政所、南政所、東政所を統括して警衛にあたらせた。
また寛和元年(986年)に起きた花山天皇退位事件に際し、花山天皇を宮中から連れ出した藤原道兼を警護した「なにがしといふいみじき源氏の武者たち」とは、満仲の一族であったと考えられている。この政変後、満仲と主従関係にあったとみられる藤原兼家は一条天皇の摂政に就任した。
翌永延元年(987年)多田の邸宅において郎党16人及び女房30余人と共に出家して満慶と称し、多田新発意(しんぼち)とよばれた。この出家について、藤原実資は日記『小右記』に「殺生放逸の者が菩薩心を起こして出家した」と記している。また『今昔物語集』には満仲の末子で延暦寺の僧となっていた源賢が父の殺生を悲しみ、天台座主院源と仏法を満仲に説き出家させたという説話がある。なお同書ではこのときの年齢を六十余歳と伝えており、これによれば生年は延喜19年(919年)から延長6年(928年)の間となる。
長徳3年(997年)8月27日に卒去。遺骸は多田院(現在の多田神社)に葬られた。
(Wikipediaより)
多田神社の記事はこちらをご覧ください→http://shizuka.cocolog-tnc.com/shizuka/2013/08/post-0e8e.html

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2013年9月13日 (金)

頼光寺

川西市の頼光寺も美女丸ゆかりのお寺です。

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能勢電鉄畦野駅下車し、北西へ500mほどのところにあります。

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この能勢電鉄の高架下のトンネルを抜けるとくぐると、頼光寺の入り口にがあります。

頼光寺は、源満仲の夫人である法如尼の発願で、子の源賢僧都(美女丸)を開基にして、源頼光の子・永寿が法如尼の念持仏であった地蔵菩薩を本尊として開山しました。

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本堂には北摂七福神寿老人像、源頼光神像が安置されています。

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梅雨時になると、500株ものあじさいが、咲きほこることから、あじさい寺とも呼ばれています。

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2013年9月 9日 (月)

小童寺

美女丸伝説の伝わる源満仲ゆかりの寺は他にもあります。

能勢電鉄山下駅から川西市立川病院を目指して20分ほど歩いたところにある小童寺です。 

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清和天皇の後裔摂津守源満仲公は、仏心篤く我子美女丸を僧侶にすべく中山寺の善観和尚に預けるが、武門の血をひく美女丸は、僧侶になる事えお不服に思い、罪なき人々に乱暴を働く、父満仲は怒り、重臣藤原仲光に美女丸を手討にすりよう命じるが仲光は、若君に刃を向ける事が出来ず悩んでいた。仲光の一人息子十五才の幸寿丸が、父の苦しみを知り、私が若君の身代わりにと自ら生命をさし出す。
幸寿丸「君がため命に代へる後の世の 辞世の歌 やみじを照らせ山の端の月」
この後、美女丸は比叡山の恵心僧都のもとにて出家し、名僧源賢僧都となり、幸寿丸の菩提を弔うため小童寺を建立した。


本堂裏に、藤原仲光・幸寿丸・美女丸の墓があるそうですが、見逃してしまいました(;O;)

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2013年9月 6日 (金)

満願寺

兵庫県川西市の満願寺は、多田神社と同じく源氏にゆかりのある寺院です。

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寺伝によれば奈良時代、聖武天皇の勅願により勝道上人が創建。

平安時代中期には源満仲がこの寺院に帰依し、以来源氏一門の祈願所として栄えました。

山門

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1881年再建のモダンな造りの仁王門です。仁王像は、もとは、多田院山門にあったもので、神仏分離の際、移転されました。

本坊 (旧円覚院)

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満願寺金堂

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毘沙門堂

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観音堂

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石造九重塔 (国の重要文化財)正応6年(1293年)造立の銘があります。

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八幡神社               稲荷神社

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坂田金時の墓

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美女丸・幸寿丸・藤原仲光の墓 室町時代造立

美女丸伝説

源満仲は、素行が悪い末子の美女丸を修行させるため、寺に預けました。しかし、これを不満に思った美女丸は、和歌や管弦もできず、経文も読むことができなかったのです。怒った満仲は、家臣の藤原仲光に美女丸の首をはねるように申しつけましたが、主君の子の命を奪うことなどできず困っていたところ、仲光の実子の幸寿丸が、自分が身代わりになると申し出ました。
仲光は、泣く泣く、幸寿丸の首を打ち、美女丸逃したのでした。
後にそのことを知った美女丸は、今までの自分の行いを悔い改めて比叡山で修行に励み、やがて源賢阿闍梨という高僧になりました。

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源家の七塔 - 源国房、光国、明国、仲政、国直、行国、国基の供養塔

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2013年8月31日 (土)

清和源氏発祥の地・多田神社(2)

多田神社の摂社です。

田尻稲荷神社

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旧多田荘の田尻より移築されました。社殿は一間社流造。

厳島神社(弁財天)

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市杵嶋姫命を祀っています。
一間社造りの社殿は室町後期に再建されたものです。

六所宮

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伊勢、賀茂、稲荷、春日、住吉、熊野の神々を祀っています。
旧多田院の鎮守社として、また多田荘72ケ村の総社として鎌倉期に創建された神社です。
現在の社殿は室町後期に再建された三間社造りです。

無患子(ムクロジ)

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本州、四国、九州に分布するムクロジ科の落葉高木です。
黒い実は羽子突きの羽子の球として用いられるそうです。

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2013年8月26日 (月)

清和源氏発祥の地・多田神社(1)

阪急電鉄宝塚線「川西能勢口駅」下車。阪急バスにて「多田神社前」で降りるとすぐに鳥居が見えます。

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猪名川にかかる橋を渡ると、多田神社の南大門に行き着きます。

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多田神社
は、兵庫県川西市にある神社で、多田院として国の史跡に指定されています。この地は清和源氏武士団発祥の地であり、この地に居城を構えた源満仲によって天禄元年(970年)に天台宗寺院として建立されました。明治以前までは多田院と称した寺院でしたが、神仏分離の際に神社となりました。

多田神社は清和源氏の霊廟として、源満仲、源頼光、源頼信、源頼義、源義家を祀っています。

現在の社殿は、寛文年間に徳川家綱が再建したものです。

南大門

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多田院のもとの仁王門。
明治4年神仏分離で、仁王像は満願寺山門に移転され、安置されています。

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随神門

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徳川四代将軍家綱公により再興されました。
両脇に築地塀が付いた三楝造と呼ばれる八脚門。

神馬舎

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拝 殿

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徳川四代将軍・家綱公により再興。入母屋造、檜皮葺屋根

本殿

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徳川四代将軍家綱公により再興。桃山時代の姿をそのまま継承した、
素木の入母屋造、檜皮葺屋根

神廟(源満仲、頼光両公の御廟所)

足利尊氏公以下、足利歴代将軍の分骨も収められています。
本殿真裏にあり、禁足地帯になっています。

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