赤間神宮(3)平家一門の墓(七盛塚)
壇ノ浦の戦いで敗れた平家一門の墓(供養塔)が赤間神宮の境内にあります。
この墓は、1185年の壇ノ浦の合戦から400年経った1600年頃に建てられたといわれています。
平家が滅亡して以来ずっと、関門海峡では海難事故が頻発し、「平家の怨霊」の仕業ではないかと恐れられていました。そこで、下関近辺に散在していた墓標をこの地に集めて供養するために建てられたともいわれています。
以下14名の供養塔が並び、名前に「盛」字の付く者が多いことから「七盛塚」とも呼ばれています。
左近衛少将有盛
左近衛中将清経
右近衛中将資盛
副将能登守教経
参議修理大夫経盛
大将中納言知盛
参議中納言教盛
伊賀平内左衛門家長
上総五郎兵衛忠光
飛騨三郎左衛門景経
飛騨四郎兵衛景俊
越中次郎兵衛盛継
丹後守侍従忠房
従二位尼時子
ここは、現在パワースポットとしても有名だそうです。
10年前に来た時も思いましたが、たしかに他とは違う空気を感じます。
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