源義光

2014年7月 5日 (土)

新羅三郎義光の墓

新羅善神堂から山道を歩くこと約200m

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途中、木が倒れていたりでかなりびびりました(^_^;)

時間にするとそんなに歩いているわけではないのに、先の道がどうなっているのかわからず歩くと、ずいぶん時間が経っているように感じます。

しならくすると、鳥居が見えてきました。

ここに来るまで誰にもすれ違いませんでした。

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しかし、近づいてみると、花やお酒がお供えされていました。

ちゃんと管理されているのですね。

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新羅三郎義光の墓

 新羅三郎は源義光のことで、源頼義の子にあたります。兄に源義家、源義綱がいます。新羅三郎というのは園城寺北院の鎮守新羅明神を祀る新羅善神堂の神前において元服したことにちなむもので、兄も八幡太郎義家、加茂二郎義綱とそれぞれ元服した神前に由来する名を別に有しています。
 義光は弓馬の道に優れ、後三年の役(1083~87)には兄の義家を助けるため、奥羽州に出向いて清原氏の乱を兄に協力して治めています。
  義光は1172年に没し、この墓が新羅三郎義光の墓と云われています。

 大津市教育委員会    昭和62年3月   (現地案内板より)

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新羅三郎義光公供養の記  

 八幡太郎義家が清原氏を打つために奥州に遠征し、金沢の棚で陣を張ったが戦況不利のため、弟新羅三郎義光は援軍として奥州に馳せ参じる途中、足柄峠において豊原時秋に笙の秘曲を授けた史実はあまりにも有名である。
 海抜759mなし柄峠にある2m角大の岩石が笛吹き石と名付けられ、往事を偲ぶ唯一の証として残っているが、年々忘れられていくのを惜しみ、南足柄市,小山町の両観光協会は、毎年9月の第二日曜日に足柄峠において、供養および笛祭りを実施しており、祭りの中で行われる笙の吹奏、雅楽合奏などは平安の昔を偲ばせる格調高いもので、近隣の善男善女でにぎわっている。  
 この度、笙の秘曲伝授の地より義光公ゆかりの当地を訪れ、墓前においてねんごろに供養し、源家ゆかりの方々と交流が生まれれば幸いと、これを記します。   

平成2年6月4日        

神奈川県南足柄市観光協会  静岡県駿東郡小山町観光協会

ここに至るまでの道は、画像の通り、薄暗く人通りのない道なので、女性の一人歩きで行くことはお奨めできません。

私は地元の歴女さんに案内していもらいました。

これから訪れる予定の方は、十分お気をつけください。

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2014年6月28日 (土)

新羅善神堂

京阪電鉄石山坂本線の別所駅下車。

歩道沿いの大津絵と説明を見ながら歩くこと約5分。

弁慶

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弘文天皇陵のすぐ西側にある鳥居をくぐり右側の石段を上がると、国宝の新羅善神堂があります。

弘文天皇陵

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新羅善神堂

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園城寺(三井寺)の鎮守社の一つで、園城寺最古の木造建築物、三間社流造の建築。

足利尊氏によって1347年に再建されました。

堂内には、平安時代の作である木像新羅明神坐像(国宝)が祀られています。

新羅明神と源氏の関係は深く、源頼義は前九年合戦の出陣の際、新羅明神に線視唱祈願し、頼義の三男・義光は新羅明神の社前で元服し、新羅明神義光と名乗りました。

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新羅善神堂

堂は三間四方の流れ造り、屋根は檜皮葺きの美しい建物で、国宝に指定されている。
暦応3年(1339)足利尊氏が再建した。
新羅明神は園城寺開祖智証大師の守護神で、本尊新羅明神坐像も国宝。
源頼義の子・義光がここで元服し新羅三郎義光となのったのは有名である。

本殿

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