伊東祐親

2015年3月 7日 (土)

伊東家の菩提寺・東林寺

東林は、伊東祐親が、嫡男の河津祐泰(曽我兄弟の父)の菩提を弔うために創建した曹洞宗の寺です。もとは真言宗の久遠寺として開かれ、祐親の法号に因んで東林寺と改名され、1538年(天文7年)に曹洞宗へ改宗されました。

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境内には、祐泰の墓曽我兄弟の首塚があります。

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参道から山道をのぼって間もなく、蛇が現われて、少しも移動する気配がなかったので、泣く泣く断念しました。

河津祐泰

安元2年(1176年)10月、伊豆国伊東荘を巡る所領争いにより、祐泰は伊豆の奥野の狩場で同族の工藤祐経に矢を射られて落命する。享年31(『曽我物語』による)。祐泰の妻(横山時重の娘)は5歳の十郎(祐成)、3歳の五郎(時致)2人を連れて曾我祐信と再婚した。 建久4年(1193年)5月28日、2人の兄弟は富士の巻狩りで父の仇である工藤祐経を討った。この仇討ちは『曽我物語』として広く世に知られる事になる。 祐泰が討たれた5日後に生まれた末子は、祐泰の弟祐清の妻(比企尼の三女)に引き取られ、妻が再婚した平賀義信の養子となり、出家して律師と号していた。曾我兄弟の仇討ちの後、兄に連座して鎌倉へ呼び出され、7月2日に甘縄で自害している。同じく祐泰の子である原小次郎が源範頼の連座で8月20日に処刑されている。(Wikipediaより)

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2015年2月27日 (金)

伊東祐親の館跡

伊東市大原2丁目にある伊東市役所に隣接する物見塚公園は、伊東祐親の館跡といわれ、祐親の騎馬像があります。

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伊東市街から初島まで望める小高い丘の上にあり、かつて櫓を組んで敵情の見張りをしたと伝わる物見の松などがあります。

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物見の松は、昭和57年に枯死ししてしまい、今はその塚の上に三代目の松が植えられています。

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2015年2月21日 (土)

伊東祐親の墓

伊東市大原に、伊東祐親の墓と伝えられている五輪塔があります。

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伊東祐親は伊東の庄の豪族として、源頼朝が伊豆に配流された時の監視役でした。

しかし祐親が大番役で上洛している間に、娘の八重姫が頼朝と通じ、頼朝との間に千鶴丸を儲けてしまいます。祐親はこれに激怒し、千鶴丸を殺害、さらに頼朝自身の殺害をも図りました。

頼朝の乳母・比企尼の三女を妻としていた次男の祐清が頼朝に知らせたことで、頼朝は熱海の伊豆山神社に逃げ込み、北条時政の館に匿われて助かりました。

その後、頼朝が旗揚げし、勢力を盛り返して坂東を制圧すると、祐親は逆に追われる身となり、富士川の戦いの後捕らえられ、娘婿の三浦義澄に預けられます。

義澄による助命嘆願により、一時は一命を赦されましたが、祐親は関東の武士団が源氏に加勢する中、平氏の恩顧を忘れず、自刃したと言われています。

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