伊東家の菩提寺・東林寺
東林寺は、伊東祐親が、嫡男の河津祐泰(曽我兄弟の父)の菩提を弔うために創建した曹洞宗の寺です。もとは真言宗の久遠寺として開かれ、祐親の法号に因んで東林寺と改名され、1538年(天文7年)に曹洞宗へ改宗されました。
境内には、祐泰の墓と曽我兄弟の首塚があります。
参道から山道をのぼって間もなく、蛇が現われて、少しも移動する気配がなかったので、泣く泣く断念しました。
河津祐泰
安元2年(1176年)10月、伊豆国伊東荘を巡る所領争いにより、祐泰は伊豆の奥野の狩場で同族の工藤祐経に矢を射られて落命する。享年31(『曽我物語』による)。祐泰の妻(横山時重の娘)は5歳の十郎(祐成)、3歳の五郎(時致)2人を連れて曾我祐信と再婚した。 建久4年(1193年)5月28日、2人の兄弟は富士の巻狩りで父の仇である工藤祐経を討った。この仇討ちは『曽我物語』として広く世に知られる事になる。 祐泰が討たれた5日後に生まれた末子は、祐泰の弟祐清の妻(比企尼の三女)に引き取られ、妻が再婚した平賀義信の養子となり、出家して律師と号していた。曾我兄弟の仇討ちの後、兄に連座して鎌倉へ呼び出され、7月2日に甘縄で自害している。同じく祐泰の子である原小次郎が源範頼の連座で8月20日に処刑されている。(Wikipediaより)
応援のポチッのご協力お願いします。
最近のコメント