三島の旅(5)仁田忠常の墓
仁田館は、仁田一族の菩提寺である慶音寺に隣接し、同家邸内には、四郎忠常・五郎忠正・六郎忠時の墓石があり、現在も子孫によって守られています。
仁田四郎忠常の墓
頼朝死後は跡を継いだ二代将軍・源頼家に仕えた。頼家からの信任も厚く、頼家の嫡男一幡の乳母父となっている。建仁3年(1203年)9月2日、頼家が危篤状態に陥り、比企能員の変(比企の乱)が起こると、忠常は北条時政の命に従い、時政邸に呼び出された頼家の外戚・比企能員を謀殺した。5日、頼家が回復すると、逆に頼家から時政討伐の命令を受ける。翌晩、忠常は頼家の命を受けながらも、能員追討の賞を受けるべく時政邸へ向かうが、帰宅の遅れを怪しんだ弟たちの軽挙を理由に謀反の疑いをかけられ、時政邸を出て御所へ戻る途中で加藤景廉に殺害された。享年37。(Wikipediaより)
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