和田義盛

2024年12月11日 (水)

和田義盛の眠る和田塚

第二の執権となった北条義時は、姉の北条政子とともに、三代将軍・源実朝を補佐していましたが、建暦3年(1213)、 信濃の武士・泉親衡(いずみちかひら)が、比企一族の残党を集め、二代将軍・源頼家の遺児・千手丸を擁立して謀反を企んでいることが発覚。

この計画に和田義盛の子や甥が加担していていたことが判明。

義盛は実朝に息子と甥の赦免を願い出て、息子は許されましたが、甥の胤長は、罪人としての侮辱を受けた上で配流となり、
胤長の邸宅は義時が接収していまいました。これを機に和田と北条の一門の関係が悪化。
しかし、こうした措置は、義盛に対する義時の挑発であり、策略でもありました。
挙兵に際して最も頼りにしたのが、本家に当たる三浦氏の当主である三浦義村でした。義村は挙兵への同心を約束し、起請文まで書いたのですが、義村は弟の胤義と相談して、義盛謀反を義時に告げたのでした。

建暦3年5月、義盛は一族と共に挙兵し、将軍御所を襲撃。義時率いる幕府軍と二日間に亘る市街戦が鎌倉で繰り広げられました。

武勇で知られる和田一族は奮戦し、和田方が意外な大軍になりつつあるのを恐れた義時と大江広元は、将軍実朝の名で御教書を発しました。これに多くの御家人が応じ、実朝の命を受けた幕府軍は大軍となって押し返し、和田一族は次々と討たれ、そのうち愛息の義直も討ち死に。義盛は声をあげて悲嘆号泣したところへ江戸義範の郎党が襲いかかり、遂に討ち取られてしまいました。享年67。
子の常盛、朝比奈義秀、孫の朝盛らは戦場を脱して落ち延びたといいます。

和田義盛
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久安3年(1147年)、三浦義明の子である杉本義宗の子として誕生。
和田氏は坂東八平氏の一つ三浦氏の支族で、相模国三浦郡和田の里、あるいは安房国和田御厨に所領があったことから和田を姓とする。

源頼朝の挙兵に三浦一族とともに参加し,平氏追討・奥州征討に武功をたて重んじられた。
侍所設置とともに初代別当となり,頼朝の死後、梶原景時の変での景時弾劾追放では中心的な役割を果たし、比企能員の変や畠山重忠の乱などの御家人の乱では北条氏に与した。しかし、2代執権・北条義時の挑発を受けて挙兵に追い込まれ、幕府軍を相手に鎌倉で戦うが敗死し、和田一族も滅亡した。
享年67。(Wikipediaより)

和田合戦

建暦3 (1213) 年5月2~3日に鎌倉で行われた和田氏と北条氏との間の戦闘。和田義盛は鎌倉幕府草創の功臣で侍所別当として権勢を有していたが,
初代将軍源頼朝没後,勢威を高めてきた北条氏と対抗するようになった。
同年2月に発覚した泉親衡の陰謀の加担者として義盛の甥胤長が処罰されたことから両者の関係が悪化した。
義盛は同族三浦氏,姻族横山氏を語らい,相模その他に多数の味方を得て北条氏を打倒しようとした。
しかし開戦に際して三浦氏が違約して北条氏につき,また北条氏が3代将軍源実朝を擁して多数の御家人を集めたため,
勝負は2日間で決し,和田氏は滅亡し,北条氏が権勢を伸ばすこととなった。(コトバンクより)


江ノ電「和田塚駅」から歩いてすぐのところに、和田塚があります。

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敷地内には、「和田義盛ゆかりの地」の幟も立てられています。

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和田塚は建保元年 、鎌倉幕府内部抗争による 北条義時と和田義盛の武力衝突(和田合戦)の結果、和田一族敗死の屍を埋葬した塚として今日まで伝承されている 。和田塚の前身は古墳時代の墳墓であったと言われている。大正末年ごろ開墾などによって多くの塚が壊されましたが、五輪塔をならべた和田塚はかろうじて残った。鎌倉の歴史を語る上で貴重な遺跡である。

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周囲には、五輪塔、石塔、石仏、地蔵などが建ち並んでいます。

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なお、和田義盛について、次のような伝承が残されています。

地元に残る伝承として、和田義盛は戦で敗れたが生き残り、落武者となって南伊豆の青市(あおいち)に身を寄せ、そこで庄屋の娘と結婚し、子供も生まれ、和田の名を山田と改めたという。現在、和田義盛の墓と伝えられるものが、青市のバス停より石廊崎に300mほど向かった場所に和田の谷があり、和田塚と呼ばれて祀られている。(Wikipediaより)

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