修善寺の旅(11)源義経像
指月殿の裏手の山を登って行くと「岩谷観音とおしゃぶり婆さん」が、祀られている祠があります。
なかなかの急な山道なので、350mといってもバカになりません。
しかも、この日は雨上がりでしたので、滑りやしないかとハラハラしながら登りました。
この鹿山のことを正式には「塔の峰」と呼び、昔は「塔の峰の観音さん」または岩を削って石仏を安置してあることから「岩谷観音」とも呼んでいました。
この下の谷のことを「観音洞」と呼び、谷から直接登山するのが本来の参道だったようです。
正面は桂谷八十八か所、四十番の石碑で、右の祠には「おしゃぶり婆さん」と呼ばれる子育ての神様も祀られています。赤子が口にするオシャブリが語源といわれ、左の石仏は母乳に恵まれるよう豊かな胸をしています。
昭和初期までは、この山中にも老舗旅館の茶屋があって、鹿を飼ったり、湯治客が自然散策に訪れる私設公園でした。
中腹には大弓と呼ばれる矢場の広場があり、土地の子供が逗留中の幼い宮様と相撲に興じたり、まだ珍しかった自転車の競走をしたりしました。
ここからさらに登っていくと、鹿山の山頂に源義経像があります。
大正末期、芸術を愛好した修善寺温泉菊屋旅館の当時の当主・野田修治の依頼で、修善寺温泉に滞在していた彫刻家によって、天城山中から運ばれた軽石に彫られました。
義経は、後の蒙古へ渡ってチンギスハンになったという説もあることから、獅子にまたがった像の胞には源氏の紋所『笹リンドウ』が刻まれており、義経像ともチンギスハン像ともいわれているそう。
ここまで訪ねる人はあまりいないのかな?
前回も今回も私一人でした(;'∀')
苔にむした義経像
他で見てきた義経像とはまるで違う大男( ゚Д゚)
しかも顔が怖い(;^_^A
「源義経は、源氏初代将軍・源頼朝や、修禅寺で自害した源範頼の弟に当り、鹿山の麓にある二代将軍源頼家のおじにあたります。幼名が牛若丸であり、京都の鞍馬山で育ち、五条大橋での弁慶との出会いなどは有名な話ですが、後の蒙古へ渡ってチンギスハンになったという説もあります。
この獅子にまたがった像の胞には源氏の紋所笹リンドウが刻まれており、義経像ともチンギスハン像とも云われます。
大正末期、芸術を愛好した修善寺温泉菊屋旅館の当時の当主・野田修治の依頼で、修善寺温泉に滞在していた彫刻家によって、天城山中から運ばれた軽石に彫られました。」
私が描いている義経さまのイメージとは程遠いな~(^_^;)
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