2008年5月 5日 (月)

弁慶石

お洒落な店が立ち並ぶ三条通りにぽつんとある弁慶石。
高さは1.5mで、弁慶が五条橋からまたは比叡山・延暦寺から投げたと伝えられています。
弁慶が平泉で亡くなった後、高館に移されましたが、ある日のこと、石が突然「
三条京極にゆかむ」とうなりました。
石がうなった村ではその後、熱病が蔓延し、人々が恐れたため、この地に戻されたとされています。
今でもこの地には
弁慶石町という地名が残り、石を撫でると弁慶のような力持ちになれると信じられているそうです。Img_2920 Img_2919

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2007年12月 8日 (土)

田辺の旅⑪弁慶社

闘鶏神社の境内にある弁慶社があります。

五代目弁慶松の伐採以降、弁慶松の根方にあった弁慶大神のお社は、その後有志の手により護られてきました。
弁慶社は、その御霊を新たに遷座し、その精神を引き継ぎ崇めるとともに、弁慶の貴重な文化を構成に伝承し、生誕の地としての歴史遺産の整備の一環として、平成17年9月に設置されました。(弁慶まつりパンフレットより)

私が訪れた10月6日は弁慶社の秋の大祭にあたりました。
大祭は、春は3月3日、秋は10月の弁慶まつり同日に執り行われます。
大祭後、餅まきが行われました。C 1c 2 Photo

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2007年12月 2日 (日)

田辺の旅⑩弁慶松と弁慶産湯の井戸

田辺市役所の駐車場のところに弁慶松と弁慶産湯の井戸があります。

 現在の弁慶松は第六代目。

五代目弁慶松は、江戸時代の藩主・安藤氏が闘鶏神社の裏山から移植したもので、高さ15m、周囲4mの巨木となっていたが、昭和50年に枯れ死した。
 しかし、現在その種子から育った弁慶松が市役所や岩手県平泉の弁慶の森で育っている。(田辺市観光協会パンフレットより)

五代目弁慶松があったところには、現在は弁慶松跡の案内板が残っています。

 弁慶の産湯の井戸の水を汲んだと伝えられている産湯の井戸は、昭和35年まで田辺第一小学校内にあったが、平成元年田辺市役所前に復元した。(田辺市観光協会パンフレットより)

弁慶松跡    弁慶産湯の井戸         六代目弁慶松 CC_3 Photo_2 C_2    

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2007年11月28日 (水)

田辺の旅⑨弁慶の腰掛石

田辺第一小学校の裏手にある八坂神社の境内に、弁慶が少年時代に座ったという腰掛石があります。
近づいてみたら・・・なるほどお尻の窪みらしき凹みがありました。
ここに座ったかって?
もちろん座って写真を撮ってもらいましたよ!
座った感じは・・・
見た目より結構へこんでいました。C Photo C_2C_3

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2007年11月25日 (日)

田辺の旅⑧弁慶観音像

田辺駅から約5分ほど(闘鶏神社からも近いです)のところに、臨済宗妙心寺派の海蔵寺があります。
こちらには壇ノ浦の合戦の際、湛増が熊野水軍の本尊として軍船に置き、戦勝を祈願したという弁慶観音が祀られています。
年に一度の公開ということで、残念ながらそのお姿を拝見することはできませんでしたが、弁慶観音は県文化財に指定されており、県指定書によると鎌倉期とされています。
胸にようらくをかけ、右手に蓮花を持ち、左手に施無畏(せむい)印を結んだ坐像で、像高は1m(宝冠を除く)、体名銘は現時点では見出されていないそうです。C C_2 1c_2 2c

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2007年11月17日 (土)

田辺の旅⑦弁慶誕生地の碑

闘鶏神社の近くにある大福院の境内に、弁慶誕生地の碑がある。

大福院は、新熊野権現宮(闘鶏神社)の本願(修理別当)として社役を分担したが、明治初年の神仏分離の際、闘鶏神社と関係を絶った。
古絵図には、護摩堂があり、本尊不動明王の記録もあるが、現在は不動明王像のみ現存する。(田辺市指定文化財案内板より抜粋)

その不動明王坐像が、10年前の地震で右腕がとれてしまい、ずっとそのままでいたのですが、市民の方達の寄付により2005年にめでたく修復されました。(大福院は檀家のない祈祷専門の小さなお寺です)

修復前と修復後の写真はコチラ

現在闘鶏神社に展示されている湛増の鉄烏帽子や弁慶産湯の釜は、元々大福院にあったもので、明治の初めに闘鶏神社に移されたそうです。

気をつけて歩いていないと見落としそうなほど小さなお寺です。1 Photo C

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2007年11月11日 (日)

田辺の旅⑥弁慶まつり

史跡めぐりの途中、大通りで行われていた弁慶ゲタ踊りに遭遇!
思い思いの衣装を身に着けた総勢1000名の踊り子さんが、弁慶をイメージした振り付のゲタ踊りで通りを進んでいきます。
中には外国人の姿や白塗りの義経さま(笑)がいました。
私が必死で写真を撮っていたら、その義経さまに「一緒に撮りますか?」とここでも記念撮影をさせてもらいました。
結構みなさん、ノリノリなんですね。(笑)

弁慶まつりは、今年で21回目を迎え、有名人のゲストを招いたりしていて、過去のゲストの中には、江本孟紀さん、アントニオ猪木さん、小西博之さんなどの名前がありました。
昨年のゲストはなんと渦中の亀田大毅選手だったのですよ!
そういえば「浪速乃弁慶」と呼ばれていましたね。1b 3b 4b 7_b 10b

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2007年10月11日 (木)

田辺の旅① 弁慶像

弁慶祭りが行われた10月6日、紀伊田辺の弁慶の史跡を訪ねてみました。

弁慶といえば誰もが知っている人物ですが、彼が実在していたかは定かではありません。
しかし、彼がここ田辺の出身だという説は、「義経紀」の記述と、田辺市内に残っている弁慶ゆかりの史跡により、地元では広く信じられているそうです。

弁慶は熊野別当家の嫡子幼名を鬼若といい、比叡山で修行をしました。
その後、自らを弁慶と名付け、義経と出会います。
義経との決闘に敗れた弁慶は生涯の家来になることを誓い、生涯を共にしました。

駅の改札を出ると、「田辺の三人」という看板が目に入ります。
やはり彼は田辺の英雄なのでしょうね。
そして探していた弁慶像をバスのターミナルの横に見つけました。C 2c

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2007年3月25日 (日)

弁慶腰掛石

京都・大徳寺の南側にある長谷川米穀店の庭に、弁慶が腰掛けたという大きな石があります。地上に出ている部分はその一部で、地中に埋まっている部分を含めると高さ1m、幅2mの巨石なのだそうです。
この石には、弁慶が座って刀を奪おうと待ち伏せしていた時に牛若丸を出会ったという伝説が残されています。
(源平史跡177選参照)

お店のご厚意で、わざわざお庭まで案内していただきました。
長谷川米穀店さま、ありがとうございました。C_195

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2006年10月24日 (火)

弁慶の衣装

弁慶は、白麻の小袖に括り袴、黒麻の素絹衣に麻編みの上締めを着用。
合戦時には、白麻の袈裟頭巾を被る。
そして忘れてはならないのが、弁慶の道具。
「義経記」によると、弁慶はわざと弓矢を持たず、鶴の飾りのついた4尺2寸の太刀を帯び、岩透しという刀を差し、1丈2尺の木の棒を脇に挟み、鉞、鎌、熊手を持っていたという。
七つ揃ったところでは、熊手、槌、鋸、鉞、薙鎌、刺股、薙刀がある。C_165

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