源頼朝

高野山を訪ねて(11)西室院の源氏三代の墓

高野山の西室院には、頼朝の三男・貞暁が建てた源家三代の墓といわれる三基の五輪塔があります。

Img_2207

江戸時代の絵図には4基の五輪塔が描かれており、「頼朝公」「頼家公」「実朝公」「二位殿」と源氏三代に加え、北条政子の名前もあるそうです。 

五輪塔は、以前は山門前にあったそうですが、現在は庭園多聞苑あります

Img_2206 Img_2208 Img_2209 Img_2210 Img_2211 Img_2212

貞暁(じょうぎょう/ていぎょう、文治2226日(1186318日) - 寛喜3222日(1231327日)) は平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての僧侶。源頼朝の三男で第4子(庶子)。母は伊達氏の祖と言われる常陸入道念西の娘・大進局。異母兄頼家の4歳年下、異母弟実朝より6歳年長になる。通称を鎌倉法印といった。

母・大進局は大倉御所に出仕する侍女であったが、頼朝の寵愛を受け懐妊する。しかし頼朝の正室・北条政子がこれに気づいたため、その怒りを畏れた頼朝によって遠ざけられ、家臣の長門景遠の宅にて男児を出産する。政子の嫉妬を恐れて出産の儀式は省略され、景遠は母子を匿った事を知った政子の勘気を蒙り、子を連れて逃げ深沢の辺りに隠居した。その後も政子を恐れて乳母のなり手がないなど、人目を憚るようにして育てられる。異母弟の実朝が生まれる3ヶ月前の建久3年(1192年)519日、7歳の時に仁和寺の法眼隆暁(一条能保の養子)に弟子入りして出家するため上洛する。頼朝は出発の夜、密かに息子の元を訪れ、太刀を与えている。

同年616日、頼朝の義弟一条能保に付き添われて仁和寺の勝宝院に入室した。法名を能寛と名乗り、更に修行を重ねた後、法名を貞暁と改め、高野山に登ってより一層俗界から遠ざかった。これ以降、源氏一族が権力闘争の中で次々に命を落とす中で、世間と隔絶した中で一人修行に励み、人々の尊崇を集めた。建保7年(1219年)に異母弟源実朝を暗殺した甥の公暁は、貞暁の受法の弟子であった。

その晩年には遂に政子も貞暁に帰依し、彼に源氏一族の菩提を弔わせるべく援助・出資を行なった。これを受けて貞暁は、高野山の経智坊に丈六堂という阿弥陀堂を建立、この中に安置した阿弥陀如来座像の胎内に父・頼朝の遺髪を納めて供養したほか、異母弟である3代将軍実朝に対しても五輪塔を設営して追善を行なっている。

一説によると、実朝の死後その野心を政子に疑われ、4代将軍就任を打診されたが、片眼をえぐり出してこれを拒否したと伝えられる。政子は貞暁の潔さに落涙し、二度と彼を疑うことがなかったという。

寛喜3年(1231年)、高野山にて46歳で死去(自害したという説もある)。これにより、頼朝の男系男子の子孫は断絶した(男系女子も3年後の竹御所死去により途絶え、頼朝の直系子孫は完全に断絶)。なお、『尊卑分脈』は貞暁と能寛を別人としているが、これは誤りである。(Wikipediaより)

応援のポチッのご協力お願いします。wink

にほんブログ村 歴史ブログ 歴女・女性歴史ファンへ
にほんブログ村


偉人・歴史人物 ブログランキングへ

| | コメント (6)
|

源頼朝ゆかりの善光寺の駒返り橋

仲見世通りから善光寺の山門へ進む参道の入り口にある石橋は、建久八年(1197)源源頼朝が善光寺を参詣した時に、馬の蹄が穴に挟まってしまった為に駒を返したという話から「駒返り橋」と呼ばれています。

善光寺参道                 仁王門

Img_5246 Img_5242


駒返り橋

Img_5251 Img_5252

Img_5250

その馬蹄の凹みは現在も「駒返り橋」の左側に見ることができます。

Img_5250_2

善光寺は、今までの歴史の中で何度も火災に遭い、治承3年(1179)の善光寺炎上の際のことが、『平家物語』に記されています。

当時、善光寺の火災は不吉の兆しとされたことから、文治3年(1187)に善光寺再建を頼朝が命じ、建久2年(1191)に完成。同年10月22日、金堂の供養が行われました。
その後、建久9年(1197)には自らも善光寺を参拝したということが、『吾妻鏡』にも記されています。

応援のポチッのご協力お願いします。wink

にほんブログ村 歴史ブログ 歴女・女性歴史ファンへ
にほんブログ村


偉人・歴史人物 ブログランキングへ

| | コメント (4)
|

源頼朝ゆかりの鶴ケ橋(長野)

長野駅から善光寺に向かう表参道には、一丁(約109m)ごとに「十八の丁石」が置かれています。

Img_5319 Img_5318

十念寺の近く、「新田町」信号と「問御所町」信号の中間あたりに昔、「鶴ヶ橋」という橋がありました。

Img_5322 Img_5320 Img_5321

源頼朝が、善光寺参詣の途中、この橋の下を流れる北八幡川で身を清め、鎌倉の鶴ヶ丘八幡宮を拝んだと伝えられていることから、この名前がついたといわれています。

応援のポチッのご協力お願いします。wink

にほんブログ村 歴史ブログ 歴女・女性歴史ファンへ
にほんブログ村


偉人・歴史人物 ブログランキングへ

| | コメント (8)
|

源頼朝ゆかりの十念寺(長野)

長野駅と善光寺の間に十念寺というお寺があります。

建久年間の創建で、源頼朝を開基としています。

頼朝が善光寺へ参拝の折、その行列が当地にさしかかると、にわかに紫の雲がたなびき、一光三尊の阿弥陀如来が影現し、頼朝に直接十遍の念仏を授けたので、頼朝は当地を聖地と定め、一宇を建立し、紫雲山頼朝院十念寺と名付けたと伝えられています。

Img_5295 Img_5296


本堂
Img_5306 Img_5307

本堂の他に大佛堂があり、およそ5メートルの大きさの丈六の阿弥陀仏座像が祀られ、地元の方から「出世大仏」と呼ばれ親しまれています。

大佛堂
Img_5300 Img_5299

時間が遅かったからか、大佛様の拝観はできませんでした。

残念!

Img_5316 Img_5317

観音堂
Img_5303 Img_5302

六地蔵
Img_5310 

福禄寿
Img_5313 Img_5314

応援のポチッのご協力お願いします。wink

にほんブログ村 歴史ブログ 歴女・女性歴史ファンへ
にほんブログ村


偉人・歴史人物 ブログランキングへ

| | コメント (6)
|

源頼朝ゆかりの北向観音(2)愛染かつら(別所温泉)

めおと杉

1_20160615155410877


鐘楼
2_201606151605134ba

鐘楼の横にある愛染かつらの巨木(長野県の天然記念物)は、樹齢1200年の老木で、天長の昔、常楽寺の火坑出現の観世音菩薩が影向(ようごう=神仏が一時姿を現すこと)した霊木といわれ、縁結びの霊木として崇められています。

3_2016061516051146c

4_201606151605156e1 5_201606151608426b5


愛染堂
6_20160615155411c6c


愛染堂とこの桂の木に因んで、川口松太郎氏が「愛染かつら」 を書かきました。

7_20160615160514cbc


不動堂
8_20160615160517cd6


応援のポチッのご協力お願いします。wink

にほんブログ村 歴史ブログ 歴女・女性歴史ファンへ
にほんブログ村


偉人・歴史人物 ブログランキングへ

| | コメント (6)
|

源頼朝ゆかりの北向観音(1)北向観音堂~温泉薬師瑠璃殿 ~札所観音堂 (別所温泉)

北向観音は、寺伝によれば、平安時代初期の天長2年(825年)比叡山延暦寺座主・慈覚大師 円仁によって開創されたといいます。

北向観音堂
1_20160615155505724

安和2年(969年)平維茂によって三楽寺、四院、六十坊を増築され、大伽藍として大改修が行われましたが、木曽義仲の兵火により、八角三重塔と石造多宝塔を残して全て焼失し、源頼朝の命のもと伽藍復興が行われ、再興されました。

2_20160615155507b08


鎌倉時代の建長4年(1252年)には北条国時によって再建されたと伝えられています。

江戸時代の正徳3年(1713年)に焼失し、享保6年(1721年)に現在の堂が再建され、その後度々修復を加え、昭和36年に増改築を施し、善光寺の本堂と同じ「撞木造り」となりました。

北向観音という名称は堂が北向きに建つことに由来します。
これは「北斗七星が世界の依怙(よりどころ)となるように我も又一切衆生のために常に依怙となって済度をなさん」という観音のお告げよるものといわれています。

3_20160615155409248

また、善光寺が来世の利益、北向観音が現世の利益をもたらすということで善光寺のみの参拝では「片参り」になってしまうと言われています。

温泉薬師瑠璃殿
4_20160615160843b6a

観音堂に隣接する温泉薬師瑠璃殿は火災の後、現在の建物は文化6年(1809)、地元の人々によって再建されたもので、この地には、温泉の薬効でさまざまな病気を治すという温泉信仰があるそうです。

札所観音堂

5_20160615155414d20
 6_20160615155502c98 7_2016061515550354d 8_20160615155412940


応援のポチッのご協力お願いします。wink

にほんブログ村 歴史ブログ 歴女・女性歴史ファンへ
にほんブログ村


偉人・歴史人物 ブログランキングへ

| | コメント (8)
|

平重盛ゆかりの東福山・西光寺(2)縁結びの大楠と梛の木

西光寺の境内に、大楠と、その根元から生えた、椥(ナギ)の木があります。

大楠
Img_4342 Img_4341 


クスは樹高18m、根回り13.7m、胴回り7.5m、推定樹齢500年。

ナギの葉は切れにくく、男女の縁が切れないと言われています。

共に磐田市指定文化財(天然記念物)となっており、縁結びのパワースポット
として人気を集めています。

西光寺の大楠 (磐田市指定天然記念物)

寛政元年(1789)建立の鐘楼堂(山門)をくぐると、右側にクスノキの巨木が見えます 。樹高18m、根回り13,7m、胴回り7,5m、推定樹齢500年という老大樹です。
隣り合っているナギの大樹 と一緒に、昭和57年(1982)11月、市の文化財(天然記念物)に指定されました。(案内板より)

椥の木
Img_4355 Img_4357

Img_4356

梛(なぎ)の木  

ナギの木は、マキ科の常緑高木で、葉は楕円形で先が鋭く尖り厚く、縦の方向だけに多数の葉脈があり、横には切れにくゝなっていることから、縁結びのしるしとしています。
静岡県下には昔、婦人がこの葉を鏡の裏に入れておき、男性と縁が切れないおまじないにしたとか、
弁慶が力自慢にこの葉を千枚重ねて横に切ろうとして失敗したとか、
北条政子が若き日、伊豆山に配流されていた源頼朝とナギの木の下で愛を誓って結ばれ、のちに頼朝は鎌倉幕府を開く強運を得た……という話も残っています。 (案内板より)

椥の木は、弁慶、頼朝、北条政子にもゆかりがあるのですねclover

応援のポチッのご協力お願いします。wink

にほんブログ村 歴史ブログ 歴女・女性歴史ファンへ
にほんブログ村


偉人・歴史人物 ブログランキングへ

| | コメント (4)
|

三島の旅(23)源平タイルの散策路

韮山駅と蛭ケ小島を繋ぐ道は源平合戦に関わるタイルが埋め込まれた歩道になっています。

shine画像をクリックすると拡大します。

北条政子                  頼朝と政子  
Img_9536 Img_9537

笹りんどう                 北条一族
Img_9538 Img_9539

北条時政                 江川邸
Img_9540 Img_9541

真珠院と八重姫             餅売り姥と成願寺
Img_9542 Img_9543

梛の木                   蛭ヶ島
Img_9544 Img_9545

池の禅尼                 北条早雲
Img_9546 Img_9547

平清盛                   平治の乱
Img_9548 Img_9549

清和源氏系図              源頼朝 
Img_9550 Img_9551

これを読みながら歩いていると、歩くのも苦にならず、あっという間に駅に着いてしまいます。

運動がてら、歴史の勉強はいかがですか?

応援のポチッのご協力お願いします。wink

にほんブログ村 歴史ブログ 歴女・女性歴史ファンへ
にほんブログ村


偉人・歴史人物 ブログランキングへ

 

 

| | コメント (8)
|

三島の旅(22)蛭ヶ小島の夫婦の像 頼朝と政子

蛭ヶ小島には、富士に向かって源頼朝北条政子が寄り添って立つ「蛭ケ島の夫婦像」が立っています。

(クリックすると、画像が拡大されます)

Img_9524 Img_9528 Img_9525 Img_9526

この像とは、約10年ぶりの再会です!(^^)!

平治の乱に敗れた頼朝は、伊豆の蛭ケ小島に配流され、1160年(永暦元)2月の14歳の少年期から、1180年(治承4)年8月に旗挙げする34歳までの20年間を蛭ヶ小島で過ごしたとされます。

このあたりを、韮山町四日町字蛭ヶ島といい、平治の乱で敗れた源頼朝の嫡男、兵衛佐頼朝配流の地といわれています。
狩野川の流路変遷の名残をとどめてか、近在には古河・和田島・土手和田等の地名が現存することから、往時は大小の田島(中州)が点在し、そのひとつが、この蛭ヶ島であったことが想像されます。
永暦元年(1160年)14歳でこの地に流された頼朝は、治承4年(1180年)34歳で旗挙げ、やがて鎌倉幕府創設を成し遂げることとなるが、配流20年間における住居等の細部は詳らかではありません。
しかし、「吾妻鏡」治承4年の記事によれば、山木攻め(頼朝旗挙げ)の頃は、妻である政子の父、北条時政の館に居住し館内で挙兵準備を整えたとあり、このことから考えると、頼朝は、北条政子と結ばれる治承元年(1177年)頃までの約17年間を、ここ蛭ヶ島で過ごしたといえます。
当公園中央部にある「蛭島碑記」の古碑は、源氏が天下支配の大業を果たした歴史の原点を後世に伝承すべく、寛政2年(1790年)豆州志稿の著者、秋山富南の撰文により、江川家家臣飯田忠晶が建立したもので、韮山町の有形文化財に指定されています。
また、この碑の西側にある高い碑は、秋山富南頌徳碑で、豆州志稿の増訂に当たった萩原正夫が、明治26年に建立したものであります。
 

韮山町教育委員会 韮山町産業観光課 

Img_9532 Img_9531

素敵な二人のモニュメント   

Img_9529 Img_9530Img_9533

流人といっても、伊東祐親の娘・八重姫や、北条政子とのロマンスがあったわけですから、監視は それほど厳しいものではなかったようですね。

応援のポチッのご協力お願いします。wink

にほんブログ村 歴史ブログ 歴女・女性歴史ファンへ
にほんブログ村


偉人・歴史人物 ブログランキングへ

 

| | コメント (4)
|

三島の旅(20)真珠院 八重姫御堂

伊豆の国市の真珠院

Img_9498_2

Img_9504 Img_9505

伝承によれば、源頼朝のあとを慕って伊東から山を越え北条館を訪れた八重姫 は、頼朝の心変わりを知り、この寺の前にある真珠ケ渕に身を投じて果てたといいます。

Img_9499

伊東八重姫入水の地

源頼朝との契りの一子「千鶴丸」を源平相剋のいけにえにされた伊東祐親の四女「八重姫」は、悶々日を送る中、遂に意を決し、治承4年7月16日侍女6人と共に伊東竹の内の別館を抜け出し、亀石峠の難路に、はやる心を沈めながら頼朝の身を隠す放生時政館の門をたたきました。
然し既に政子と結ばれていることを知る邸の門衛は冷たく、幽閉された身の我が館に帰る術もない八重姫は、真珠ケ淵の渦巻く流れに悲恋の若き「いのち」を断ってしまいました。
悠久800年、狩野川は幾度か流れを変え、今は「古川」の小さな流れに閉ざされた悲恋のしのび音を偲ばせてくれます。
尚、当院境内に県下最古の「五輪塔」(1302)並に磨崖仏(1363)その他宝篋院塔(1335)等々貴重な石造物が安置されています。     八重姫奉讃会

真珠院の直ぐ横に川が流れています。

Img_9502

平安時代は「真珠ヶ淵」と呼ばれ、今は「古川」と言うそうです。

ここに八重姫が身を投げたのですね。

 

山門を入ってすぐ右側には八重姫(静姫)の供養堂があります。

八重姫御堂(静堂)

Img_9507 Img_9506

八重姫御堂には、八重姫の木像と供養塔が安置され、小さな梯子がたくさん掛けられています。

梯子供養

Img_9511


八重姫が入水した時、「せめて梯子があれば救うことが出来たのに」という里人たちの気持ちが、今日、願い事が成就したとき、そのお礼参りとして梯子を供える習慣として残されているそうです。

願かけ石

Img_9510

八重姫御堂の左前には、「願かけ石」があります。
自分の歳の数だけ石を叩くと願い事が成就すると伝えられています。

那木の木

Img_9508

堂の右手の大木は那木(和木)といい、平和、穏やかの意。この葉は横に裂けず愛のお守りとして、また家族平穏のお守りとして持つと功徳があるといいます。

応援のポチッのご協力お願いします。wink

にほんブログ村 歴史ブログ 歴女・女性歴史ファンへ
にほんブログ村


偉人・歴史人物 ブログランキングへ

 

| | コメント (8)
|

より以前の記事一覧

その他のカテゴリー

イベント | 丹後局 | 亀井六郎 | 京菓子 | 仁田忠常 | 今井兼平 | 今若(全成) | 伊東祐親 | 伊東祐隆 | 佐藤継信・忠信 | 八条女院 | 八重姫 | 北条政子 | 北条時政 | 北条氏 | 千葉氏 | 土佐坊昌俊 | 堀河天皇 | 大姫 | 大庭景親 | 大河ドラマ展 | 安徳天皇 | 富樫泰家 | 小督 | 尼御前 | 山吹御前 | 崇徳院 | 嵯峨天皇 | 巴御前 | 常盤御前 | 平宗盛 | 平康頼 | 平忠度 | 平忠盛 | 平敦盛 | 平時子(二位尼) | 平時忠 | 平景清 | 平業盛 | 平清宗 | 平清盛 | 平盛俊 | 平知盛 | 平知章 | 平経正 | 平維盛 | 平親範 | 平道盛 | 平重盛 | 平重衡 | 平頼盛 | 建礼門院 | 弁慶 | 待賢門院 | 後嵯峨天皇 | 後白河天皇 | 後醍醐天皇 | 後鳥羽上皇 | 文覚上人 | 斉藤実盛 | 日蓮 | 曾我兄弟 | 木曽義仲 | 松尾芭蕉 | 梶原景季 | 梶原景時 | 比企氏 | 法然上人 | 浄瑠璃姫 | 清和天皇 | 渡辺綱 | 湛増 | 源実朝 | 源平グッズ | 源朝長 | 源満仲 | 源為義 | 源範頼 | 源経基 | 源義光 | 源義家 | 源義朝 | 源義経 | 源頼信 | 源頼光 | 源頼家 | 源頼政 | 源頼朝 | 源頼義 | 滋賀のイベント・観光情報 | 滝口入道・横笛 | 熊谷直実 | 熊野御前 | 白河天皇 | 祇園祭 | 祇王・祇女・仏御前 | 美福門院 | 義経ゆかりの地を訪ねて | 藤原師長 | 藤原秀衡 | 袈裟御前 | 西行 | 近江路・歴女ブロガーの旅紀行 | 近衛天皇 | 那須与一 | 金売り吉次 | 長田忠致 | 阿古屋 | 阿波内侍 | 静御前 | 高倉天皇 | 鬼一法眼 | 鳥羽天皇