源頼朝

源頼朝ゆかりの油山寺(4)源頼朝寄進の三重塔

油山寺三重塔は建久元年(1190年)源頼朝が眼病全快のお礼に建立されたものであり、その後、遠江国守護職工藤祐経が薬師堂と共に普請奉行をした塔です。

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内陣には、弘法大師作と伝えられる大日如来を安置し、塔の高さはおよそ23メートル、上層は唐様と天竺様を用い、中下層は和様式、三手先組一式、上層は2.3メートル四桃山期の姿を今に伝え、桃山の三名塔の一つに数えられています。
方、中層は2.8メートル四方、下層は3.6メートル四方。

昭和42年、頼朝が建立して以来初の全解体修理に着手、同44年に復元竣工した静岡県最古の塔。 

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源頼朝ゆかりの油山寺(3)るりの滝

油山寺には、眼病にご利益があると知られるようになった孝謙天皇にまつわる伝説が残されています。

天平勝宝元(749)年、目を患っていた孝謙天皇がご本尊の薬師如来に祈願し、るりの滝の水を加持祈祷し、その水を孝謙天皇に献上し、孝謙天皇がその水で洗眼したところ、たちまち眼病が全快したそうです。薬師如来にちなんでるりの滝と呼ばれ、祠には、波切不動明王が祀られています。

るりの滝
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このことをきっかけに、孝謙天皇は油山寺を勅願寺とし、広く眼にご利益があると知られるようになりました。
この孝謙天皇が受けた霊験により、今日でも眼病を患った人々が油山寺を訪れてはご祈祷を受け、るりの滝にうたれて眼病回復を願っています。

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源頼朝ゆかりの油山寺(2)目の霊山

油山寺の境内を進んでいきます。

金龍弁財天
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健足
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六角堂
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書院
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元遠州横須賀城内にあり、元禄12年(1699年)に建立されたものであり、安政6年、藩主西尾隠岐守より当山に寄進された書院文化財です。

方丈
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遠州浅羽の代官、仁科宇兵衛が宝歴14年(1764年)に建築した建物であり、静岡県指定文化財に指定されています。

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宝生殿
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本坊正面の仏殿で、本尊は智証大師御作と伝えられる不動明王。

十方信徒の祈祷、大護摩供秘法修法の道場、あるいは御法話、阿字観(座禅)等の宗教儀式に用いられ、外陣の格天井には中村華厓の「四季花鳥」がおさめられております。

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源頼朝ゆかりの油山寺(1)山門

油山寺(ゆさんじ)は、静岡県袋井市村松にある真言宗智山派の寺院で、遠州三山の1つに数えられています。
山号は医王山。
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山門は元掛川城大手門で、万冶2年(1659年)井伊直好が建立したものです。
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歴代の掛川城主の信仰は厚く、明治6年御維新の際、城主・太田備中守が眼病全快のお礼として当山に寄進、移築されたものす。
城郭造、重櫓層門、本瓦葺、桁行9.3メートル、梁間4.6メートル、2階25畳、漆喰白壁、窓、柱0.6メートル、角総欅材、正面大扉は楠の一枚板を使用。
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なお、大棟両側を飾る鯱一対も江戸初期の名作であるといわれ城郭建築上貴重な建物で二層片潜付城門は全国的にも珍しいものだそうです。

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源頼朝ゆかりの観福寺

袋井の地名の元となった袋井山観福寺は、延歴12年(739)開基、天台法華宗の古刹です。
 
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東海道のどまん中、袋井宿の中央に建っていることから、へそ寺とも呼ばれています。
 
建久3年(1190)源頼朝が延命地蔵菩薩を奉安。
天正17年(1589)徳川家康、曹洞宗可睡斎仙麟等膳和尚を迎え法治開山しました。
本尊は聖観世音菩薩です。
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 當山は山号を袋井山、字号を観福寺と云います。延暦十二年(793)桓武天皇代、天台法華宗寺院として、この地に建立され袋井地名の発祥のお寺です。
 本尊は聖観世音菩薩で遠州三観音に数えられていました。脇本尊は建久元年(1190)十月源頼朝上洛の無事を祈り、御母御前の持佛を奉安された延命地蔵菩薩です。
 現在の東海道、袋井宿の基となった鎌倉街道六十二宿「袋井駅次」が設けられた「此地に井有仁(いありてなさけに)に焉(あつし)」と人の情と母と子の縁、絆でもあり観音様のお膝元でもありました。
 天正十五年徳川家の存亡にかかわる大難を救った旗本、坂部正定がこの寺で亡くなり、天正十七年(1589)可睡斎の称号を戴いた仙麟等膳和尚を迎え、正定の供養と、曹洞宗観福寺初代住職として葵の紋を拝領し東海道を往来する公家、大小名の参詣を受けました。江戸から数えて二十七番目、東海道どまん中のお寺です。
 境内には、元和二年(1616)近郷に悪戯する白狐を懲らしめ、戒心、服従せしめた豊川稲荷の御姉上茶吉尼神天様が祀られ、以来、この白狐が茶吉尼神天様を背に乗せ信仰、信心の厚い家々を巡り家内安全、商売繁盛、五穀豊穣の願いを能く叶えると伝えられています。
 延享四年(1747)人形浄瑠璃、歌舞伎三大傑作の一つに「義経千本桜」が有り袋井宿歌舞伎、浮世絵に「狐、忠信」が描かれています。義経、吉野落ちの折り「初音の鼓」を抱いて義経を追う静とその鼓の皮を母親と慕う子キツネの化身「忠信」との道行の物語り、子キツネにまでもやさしい観音様茶吉尼神天様、縁と絆、母と子のお寺の縁起です。
 
「観福寺の狐伝説と歌舞伎役者絵」 
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 昔、観福寺一帯にたくさんの狐が住み、その中に、静御前が持つ初音の鼓の皮を母親と思う子狐がいました。
 観福寺の観音様のお告げで子狐は「忠信」に化け、義経と母常盤をも導き合わせることができたという物語です。
「忠信に化けた子狐 袋井宿役者浮世絵」です。
 
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源頼朝ゆかりの鳳来寺(3)仁王門

本堂から降りて仁王門へ

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ここから1425段の石階段が続きます。

源頼朝が13歳の時に、鳳来寺に3年間匿われ、その後鎌倉幕府を開き、謝恩の意を込めて本堂と三重塔を寄進。その折に石段も造ったと言われているそうです。

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仁王門が見えてきました。

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鳳来寺仁王門は、徳川家光の寄進によって建てられたもので、両側に大きな仁王像が立っています。

現存する仁王門は、慶安4年(1651)に再建された三間一戸、入母屋造の楼門、屋根は銅板葺。

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「鳳来寺」の額は、聖武天皇の御病気の折、光明皇后が鳳来寺の薬師如来に病気平癒のお願をかけ、天皇が御全快になったのでそのお礼に、皇后自ら「鳳来寺」の三字を書かれたといわれているものです。現在かかっている額は、改修の時作成されたレプリカです。

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ここからさらに階段が続きます。

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源頼朝ゆかりの鳳来寺(2)本堂~鐘楼

寺伝では大宝2年(702年)に利修仙人が開山、霊木の杉から本尊・薬師如来、日光・月光菩薩、十二神将、四天王を彫刻したと伝わっています。
 
文武天皇の病気平癒祈願を再三命じられて拒みきれず、鳳凰に乗って参内したという伝承があり、鳳来寺という寺名及び山名の由来となっています。
 
利修の加持祈祷により、天皇は快癒し、この功によって伽藍が建立されたといいます。
 
源頼朝が平治の乱で落ち延びた際、 この鳳来寺医王院で13歳から3年間匿われたことから、鎌倉時代に頼朝によって再興されたと伝わっています。
 
戦国時代には、近郊の菅沼氏から寺領の寄進を受けますが、豊臣秀吉の時代では300石のみを許されただけで、他は悉く没収されました。
 
江戸時代に入ると幕府の庇護を受け、850石に増領。
 
徳川家光の代では、徳川家康の生母・於大の方が当山に参籠し、家康を授けられたという伝説を知った家光が大号令を発したため、当山諸僧坊の伽藍が改築されただけでなく、家康を祀る東照宮が新たに造営され、東照宮の運営領を含む1,350石が新たに寺領となりました。
本堂
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休憩所
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鐘楼
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常行堂址              番所址
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源頼朝ゆかりの鳳来寺(1)鳳来寺山東照宮

昨年の秋、鳳来寺の駐車場まで車で行き、東照宮から参拝しました。

毎年、紅葉の時期、11月1日から30日までもみじまつりが開催されます。

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素晴らしい山の眺望と紅葉のトンネルを同時に楽しめます。

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ここから階段を上っていきます。

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徳川家康の生母・於大の方が鳳来寺の薬師に祈願し、家康を授けられたという寺として、徳川家光により東照宮が建築されました。

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日光東照宮・久能山東照宮とともに、日本三東照宮と称されています。

慶安元年(1648年)4月、日光東照宮へ参拝した折に改めて『東照社縁起』を読み、徳川家康の出生と三河国設楽郡の鳳来寺との縁に感銘を受けた江戸幕府3代将軍家光が、鳳来寺の本堂修復と薬師堂の再建を発願、それにあわせて新たに東照宮の創祀を計画し、阿部忠秋や太田資宗に命じて造営事業を進めたが、志半ばで薨じたため、跡を継いだ4代将軍家綱が太田資宗や本多利長、小笠原忠知等に命じて慶安4年(1651年)に社殿が竣成、同年9月17日に江戸城内の紅葉山御殿に祭られていた「御宮殿」(厨子)と神体である「御神像」(神像)を遷祀したのが創まりである。遷祀に際しては盛大な遷座祭が斎行され、将軍家綱から、家康が関ヶ原の戦いで帯刀したという太刀が神刀として奉納されたほか、諸大名からも太刀や灯篭などの奉納があったという。以後、鳳来寺を別当寺と定め、明暦2年(1656年)には幕府から社領470石の寄進があり、江戸時代を通して10回に及ぶ修理が幕府により行われている。(Wikipediaより)


『東照社縁起』によると、

家康の父母である松平広忠と正室於大の方(伝通院)は、子のできないことを憂い、祈願のために夫妻そろって領内の鳳来寺に参篭したところ、伝通院が東方より現れた老翁に金珠を与えられる夢を見て、間もなく家康を懐妊したといいます。

また、「鳳来寺の伝説」によると、

家康の出生は壬寅年寅月寅の日にあたる天文11年(1542年)12月26日の寅の刻(午前5時頃)であったとされていますが、鳳来寺では家康誕生と時を同じくして、薬師堂の本尊である薬師如来を守護する十二神将の中、寅神でもある真達羅大将の神像が忽然と姿を消し、家康が薨ずると神像もひとりでにもとの位置に戻っていたといい、以来、家康は真達羅大将の化身であったと伝えられています。(Wikipediaより)

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高野山を訪ねて(11)西室院の源氏三代の墓

高野山の西室院には、頼朝の三男・貞暁が建てた源家三代の墓といわれる三基の五輪塔があります。

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江戸時代の絵図には4基の五輪塔が描かれており、「頼朝公」「頼家公」「実朝公」「二位殿」と源氏三代に加え、北条政子の名前もあるそうです。 

五輪塔は、以前は山門前にあったそうですが、現在は庭園多聞苑あります

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貞暁(じょうぎょう/ていぎょう、文治2226日(1186318日) - 寛喜3222日(1231327日)) は平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての僧侶。源頼朝の三男で第4子(庶子)。母は伊達氏の祖と言われる常陸入道念西の娘・大進局。異母兄頼家の4歳年下、異母弟実朝より6歳年長になる。通称を鎌倉法印といった。

母・大進局は大倉御所に出仕する侍女であったが、頼朝の寵愛を受け懐妊する。しかし頼朝の正室・北条政子がこれに気づいたため、その怒りを畏れた頼朝によって遠ざけられ、家臣の長門景遠の宅にて男児を出産する。政子の嫉妬を恐れて出産の儀式は省略され、景遠は母子を匿った事を知った政子の勘気を蒙り、子を連れて逃げ深沢の辺りに隠居した。その後も政子を恐れて乳母のなり手がないなど、人目を憚るようにして育てられる。異母弟の実朝が生まれる3ヶ月前の建久3年(1192年)519日、7歳の時に仁和寺の法眼隆暁(一条能保の養子)に弟子入りして出家するため上洛する。頼朝は出発の夜、密かに息子の元を訪れ、太刀を与えている。

同年616日、頼朝の義弟一条能保に付き添われて仁和寺の勝宝院に入室した。法名を能寛と名乗り、更に修行を重ねた後、法名を貞暁と改め、高野山に登ってより一層俗界から遠ざかった。これ以降、源氏一族が権力闘争の中で次々に命を落とす中で、世間と隔絶した中で一人修行に励み、人々の尊崇を集めた。建保7年(1219年)に異母弟源実朝を暗殺した甥の公暁は、貞暁の受法の弟子であった。

その晩年には遂に政子も貞暁に帰依し、彼に源氏一族の菩提を弔わせるべく援助・出資を行なった。これを受けて貞暁は、高野山の経智坊に丈六堂という阿弥陀堂を建立、この中に安置した阿弥陀如来座像の胎内に父・頼朝の遺髪を納めて供養したほか、異母弟である3代将軍実朝に対しても五輪塔を設営して追善を行なっている。

一説によると、実朝の死後その野心を政子に疑われ、4代将軍就任を打診されたが、片眼をえぐり出してこれを拒否したと伝えられる。政子は貞暁の潔さに落涙し、二度と彼を疑うことがなかったという。

寛喜3年(1231年)、高野山にて46歳で死去(自害したという説もある)。これにより、頼朝の男系男子の子孫は断絶した(男系女子も3年後の竹御所死去により途絶え、頼朝の直系子孫は完全に断絶)。なお、『尊卑分脈』は貞暁と能寛を別人としているが、これは誤りである。(Wikipediaより)

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源頼朝ゆかりの善光寺の駒返り橋

仲見世通りから善光寺の山門へ進む参道の入り口にある石橋は、建久八年(1197)源源頼朝が善光寺を参詣した時に、馬の蹄が穴に挟まってしまった為に駒を返したという話から「駒返り橋」と呼ばれています。

善光寺参道                 仁王門

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駒返り橋

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その馬蹄の凹みは現在も「駒返り橋」の左側に見ることができます。

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善光寺は、今までの歴史の中で何度も火災に遭い、治承3年(1179)の善光寺炎上の際のことが、『平家物語』に記されています。

当時、善光寺の火災は不吉の兆しとされたことから、文治3年(1187)に善光寺再建を頼朝が命じ、建久2年(1191)に完成。同年10月22日、金堂の供養が行われました。
その後、建久9年(1197)には自らも善光寺を参拝したということが、『吾妻鏡』にも記されています。

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