修善寺の旅(19)横瀬八幡神社(2)北条政子ゆかりの孔門石
横瀬八幡神社の境内には、源頼家の母・北条政子の悪病平癒の伝説を持つ『孔門石(紅門石)』または『玉門石』と呼ばれる女陰の石尊がまつられており、女性特有の病や子宝開運のご利益があると言われています。
横瀬八幡宮縁起
兼ねて修善寺温泉に湯あみしける徒然に横瀬八幡宮に詣うで、ゆかりある祠にてめづらかなる世のまれごとを伝えたり此所は、狩野川と桂川との合流点にあたり此の辺一帯は碧潭六十尺葛羅のたれさがれる磐石の断崖なるも船土のわたりより舟もて渡りなば、渓谷をひらきて修善寺温泉に通ずる小径あり、すぐその道上に昼なお暗き老杉の森ありて、八幡宮はここに鎭座するなり。
前從ニ位征夷大将軍源頼家公を奉祀すときくだに英雄武運つたなく、とらわれの身となり、元文元年修善寺に於いて北條氏のため人浴中虐殺されたる末路を思ふだに哀れなり。誠に祇園精舎の鐘の声諸行無情のひびきあり。御年いまだニ十三才。
北條氏の専横を憎しみて青雲の志、軒昂にすぎたるが災いを招くに至り果敢なき悲運に魅せられて若き御命をおとし給う。又この宮の末社に比賣神社と云う小祠ありて御神体は女陰なり。高さも巾も一尺五寸ばかりの自然石にて、上方やや恰も擬宝珠に似たるが、正面に女陰大きく深く刻みあり。但し決して人間の刻みたるものにあらず、社伝に日く昔尼将軍政子、修善寺に湯あみし折、時秋深く、奥殿の病に罹りて鎌倉より名医を招き、病状を断定せしめ給う。その時に侍従日く奥殿の扉を開くべからず、手もふるるなかれしと申しつけられ、名医も困りはて勘考の極み、糸の一端をとりて他の一端をおそれながら尼将軍にささげまいらせ、その動きによって患部を察知するを得たり。
さて次に薬石を如何ようなるわざにしてつけまいらせと謀るに、これには応答一人だになし、しかる処に八幡宮の神主、横瀬の主人と云うありて神夢の御告げに從い、右なる女陰の石尊を奉昇して見参しければ名医相手して、いたく喜び即ちこの石尊によって丹粉鉄(丹はべに、粉はおしろい、鉄はおはぐろ)の三色を、そのところにぬり、以って薬石を色別したるに尼将軍うなづき給ひて、これにしたがいければ立ち処に平愈したり。それより婦女の下の病、子宝開運の御霊験あらたかなり。あなかしこ。(石尊のまたの名を紅門石とも孔門石とも云うなり)
北条と源氏ゆかりの史跡めぐり 修善寺温泉街モバイルスタンプラリー」の源頼朝のパネル
ブログランキングに参加しています。
応援よろしくお願いします!
























































最近のコメント