源頼朝

2019年8月31日 (土)

頼朝の愛した新居町(9)愛宕山の頼朝の歌碑

次の目的地の愛宕山へ。

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この愛宕山に登るか登らないかで参加者のルートが分かれました。

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私はこの頂上にある源頼朝の歌碑がお目当てでしたので、躊躇無く登りましたが、ちょっとした山登りになりました(^^ゞ

続く山道(;゚ロ゚)

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頂上まで後少しか?

愛宕山大権現

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ようやく頂上に到着!

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ありました!頼朝の歌碑\(^o^)/

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かえる波 君にとのみぞ ことづてし    浜名の橋の 夕暮れの空 

 


(続後拾遺集)

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2019年8月 7日 (水)

頼朝の愛した新居町(7)紅葉寺跡

次は、紅葉寺跡へ。

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室町将軍・足利義教が富士歴覧の途中に立ち寄り、紅葉を称賛したので、以来、紅葉寺と呼ばれるようになったそうです。

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紅葉寺跡
この寺は紅葉山本学寺といい、室町幕府六代将軍足利義教が永享44(1432)に富士遊覧のときに立ち寄って紅葉を観賞したので紅葉寺 といわれている。 建久元年(1190)の源頼朝上洛のおり、橋本に宿泊した頼朝の寵愛を受けた長者の娘がのちに出家して妙相と名のり、 高野山より毘沙門天立像を勧請して建てた寺といわれている。(湖西市教育委員会 )

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階段には、花や植木を置かれ綺麗に整備されています。

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階段を上ると、ちょっとした広場になっています。

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ここからの展望。

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2019年7月18日 (木)

頼朝の愛した新居町(5)浜名橋跡

浜名橋跡

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浜名湖の出口には浜名川があり、ここに架かる浜名橋は歌に詠まれるほど有名で、平安時代には、宇治橋(宇治川)、瀬田橋(琵琶湖)、山崎橋(淀川)とならんで、四大橋の一つと称されました。

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今切口ができる前の浜名湖は淡水湖で、浜名湖から太平洋に浜名川が流れ、そこには浜名橋が架けられていました。
 しかし浜名川は災害により何度も流路が変わり、橋の場所も移動して架け替えられました。口伝によれば、浜名橋の跡地がこの辺りとも言われています。
 平安時代の浜名橋の規模は長さ一六七メートル、幅四メートル、高さ五メートルほどであり、当時としては大きな橋でした。浜名橋付近は風光明媚な景勝地として知られ、東海道を往来した旅人の日記や和歌にしばしば登場しています。
   平成30年6月  湖西市教育委員会

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2019年6月30日 (日)

頼朝の愛した新居町(4)風炉の井戸

お城風の造りの湖西市消防署の前を通って進んでいくと、民家の一角に、風炉の井戸という史跡があります。

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風炉の井

この石積井戸は、深さ2m、口径は最大1.8mあり、以前はもっと深かった。

言い伝えによると、建久元年(1190年)源頼朝が上洛のおり、橋本宿に宿泊した時にこの井戸水を茶の湯に用いたとされる。

平成二十二年三月 湖西市教育委員会

 

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2019年6月 6日 (木)

頼朝の愛した新居町(3)女屋跡

新居町親水公園を通って進んでいくと、女屋跡(おなやあと)という史跡があります。

親水公園
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女屋跡(おなやあと)
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 橋本宿は、鎌倉時代、東海道の宿として栄えたところで、遊女が多くいたことから花香町(はなかちょう)とも呼ばれた。
 
 ここは橋本宿の長者屋敷の一角と考えられ、建久元年(1190) 源頼朝上洛の際に多数の遊女が群参したことからこの名が付けられたといわれる。長者の娘「妙相」と頼朝の恋物語が残っている。
 

 一説によると、頼朝の家臣が止陣した「御長屋」の跡とか「御納屋」の跡との説があるが定かでない。

   平成22年3月   湖西市教育委員会

 

 

これを読むと、頼朝はかなりのモテ男だったようですね(゚∀゚)


 

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2019年4月26日 (金)

頼朝の愛した新居町(1)新居町駅~新居文化公園

先週末、JRのさわやかウォーキングに参加してきました。

テーマは、「頼朝の愛した新居町

スタート駅は、東海道線新居町

コース距離は約8㎞。所要時間約2時間のコースです。


行きの東海道線は、リュックを背負ったウォーキングの参加者で満員。

新居町駅に到着したら、改札が大混雑していました。

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新居町を8時半に出発。

この日は、快晴に恵まれ、汗ばむ陽気となりました。

関門橋を渡って、第一の目的地を目指します。

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新居町駅から約0.5㎞、新居文化公園に到着です。

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1982年7月にオープンした新居文化公園(約20000平方メートル)は、児童広場、中央多目的広場、野外ステージがあり、図書館も併設されています。

花壇や散策道も整備されており、市民の憩いの場として、様々なイベントや行事に広く利用されている新居の代表的な公園です。

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2019年4月18日 (木)

源頼朝ゆかりの善福寺池(2)遅野井

遅野井というのは、このあたりの旧地名で、善福寺池の湧水「遅乃井」に由来します。

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善福寺池の上の池の西側に、遅野井があり、遅野井碑が建っています。

源頼朝が奥州征伐の帰りにこの地に立ち寄り休憩したのですが、干ばつで水がなく、渇きに苦しみました。

そこで頼朝が自ら弓で地面を掘ったのですが、その水が湧き出し方がとても遅かったことから「遅乃井」と名付けられたという伝説が伝えられています。

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2019年4月 4日 (木)

源頼朝ゆかりの善福寺池(1)

東京都杉並区の善福寺公園は、善福寺池を中心に、遊具・遊歩道が整備され、市民の憩いの場となっています。

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また、善福寺池は善福寺川、また東京都水道局杉並浄水所の水源にもなっています。

善福寺池は、湧水量も多く、古来より武蔵野三大湧水池のひとつとして知られていました。

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善福寺池の名の由来は、池のほとりにあった寺からきていますが、江戸時代に廃寺となっています。

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池は上の池と下の池に分かれ、両方で約37,000平方メートルあり、公園全体の47%を占めています。

池にはカモ、カイツブリ、バンなどの水鳥やカワセミも来ます。

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2019年3月24日 (日)

井草八幡宮(3)神門~拝殿

文明9年には太田道灌が石神井城の豊島氏を攻むるに当たり、戦勝祈願をしたといいます。
江戸幕府三代将軍の徳川家光は、寺社奉行井上正利をして社殿を造営し、 慶安2年に朱印領六石を寄進。以降幕末まで歴代将軍から朱印地の寄進があり、その頃、氏子崇敬者により、石燈篭、石鳥居、狛犬、手水盤などが奉献されました。
神門
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拝殿
本殿の建築様式は権現造り。
昭和49年築のコンクリート造りの殿内には寛文4年(1664)に今川氏堯が改築した一間四方の朱塗の本殿があります。
杉並区最古の木造建築物です。


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2019年3月12日 (火)

井草八幡宮(2)頼朝お手植えの松

源頼朝が奥州征伐の際に、こちらに立ち寄り戦勝祈願し、2本の松を手植し奉献したと伝えられています。

現在の松は2代目で、以前の松は1本は明治初年に、もう1本は昭和48年に枯れてしまい、衝立として回廊内に保管されているそうです。


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