北条政子

高野山を訪ねて(15)金剛三昧院  本堂~経蔵

本堂
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ご本尊は愛染明王。

愛染明王像は、源頼朝の等身大の念持仏で、仏師・運慶の作であると伝えられています。

本尊の脇には源頼朝・北条政子、足利尊氏・直義の位牌が安置されているそうです。

 

経蔵
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経蔵は多宝塔と同じく、貞応2(1223)年頃の建立で、建築様式が東大寺正倉院などと同じ校倉造りをしており、重要文化財に指定されています。

内部には「高野版」と呼ばれる経典が書かれた版木が、500枚以上収められているそうです。

(金剛三昧院HP参照)

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高野山を訪ねて(14)金剛三昧院  多宝塔~本坊、庫裏

多宝塔

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国宝の多宝塔北条政子源頼朝の逝去に伴い創建した禅定院の規模を拡大し、金剛三昧院と改めた際、造営することになったものです。

建立は貞応21223)年、高野山で現在残っている、もっとも古い建立物で多宝塔としても、滋賀県大津市の石山寺に次いで二番目に古いものだそうです

  

本坊、庫裏

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大広間の襖絵は、室町時代中期(1400年代)に活躍した小栗宗丹(おぐり・そうたん)によるもので、金地著色梅花雉子図(こんぢちゃくしょくばいかきじず)という図柄が描かれています。

大広間の襖と壁面をあわせ、14面が重要文化財に指定されています。

(金剛三昧院HP参照)

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高野山を訪ねて(13)金剛三昧院 表門~六本杉

金剛三昧院は、建暦元年(1211年)、北条政子の発願により源頼朝の菩提を弔うために創建された寺で、始めは禅定院と称しており、落慶法会には、日本臨済宗の開祖である栄西も招かれ、開山第一世としました。
承久元年(1219年)、源実朝の菩提を弔うために禅定院を改築し、金剛三昧院と改称し、以後将軍家の菩提寺として信仰されました。
貞応2年(1223年)、北条政子が禅定如実として入道し、建立奉行を葛山景倫(願性)・安達景盛が務め、源頼朝と源実朝の菩提を弔うための多宝塔(国宝)を建立。
その後、境内には勧学院が建てられ、高野版の摺本を用いた南山教学の中心地として栄えました。
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表門
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文政年間(江戸時代後期)に建立されたもので、山門の言葉として「毘張尊」(びちょうそん)と書かれています。
門の中にある鐘楼は重要文化財指定されているもので、1207~1210年の銘が書かれていることから、現存する鐘楼では日本で16番目に古いものと言われています。
 
六本杉(別名毘張杉)
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樹齢400年とも言われる杉の大木。
根元のほうは、3本の木のように見えますが、上に行くと6本に分かれていることから、六本杉と呼ばれています。また別名の毘張杉とは、当院の守り神である毘張尊師と呼ばれる天狗様がこの杉の木に舞い降りてきたことに由来しています。
(金剛三昧院HP参照)

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平重盛ゆかりの東福山・西光寺(2)縁結びの大楠と梛の木

西光寺の境内に、大楠と、その根元から生えた、椥(ナギ)の木があります。

大楠
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クスは樹高18m、根回り13.7m、胴回り7.5m、推定樹齢500年。

ナギの葉は切れにくく、男女の縁が切れないと言われています。

共に磐田市指定文化財(天然記念物)となっており、縁結びのパワースポット
として人気を集めています。

西光寺の大楠 (磐田市指定天然記念物)

寛政元年(1789)建立の鐘楼堂(山門)をくぐると、右側にクスノキの巨木が見えます 。樹高18m、根回り13,7m、胴回り7,5m、推定樹齢500年という老大樹です。
隣り合っているナギの大樹 と一緒に、昭和57年(1982)11月、市の文化財(天然記念物)に指定されました。(案内板より)

椥の木
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梛(なぎ)の木  

ナギの木は、マキ科の常緑高木で、葉は楕円形で先が鋭く尖り厚く、縦の方向だけに多数の葉脈があり、横には切れにくゝなっていることから、縁結びのしるしとしています。
静岡県下には昔、婦人がこの葉を鏡の裏に入れておき、男性と縁が切れないおまじないにしたとか、
弁慶が力自慢にこの葉を千枚重ねて横に切ろうとして失敗したとか、
北条政子が若き日、伊豆山に配流されていた源頼朝とナギの木の下で愛を誓って結ばれ、のちに頼朝は鎌倉幕府を開く強運を得た……という話も残っています。 (案内板より)

椥の木は、弁慶、頼朝、北条政子にもゆかりがあるのですねclover

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三島の旅(23)源平タイルの散策路

韮山駅と蛭ケ小島を繋ぐ道は源平合戦に関わるタイルが埋め込まれた歩道になっています。

shine画像をクリックすると拡大します。

北条政子                  頼朝と政子  
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笹りんどう                 北条一族
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北条時政                 江川邸
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真珠院と八重姫             餅売り姥と成願寺
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梛の木                   蛭ヶ島
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池の禅尼                 北条早雲
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平清盛                   平治の乱
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清和源氏系図              源頼朝 
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これを読みながら歩いていると、歩くのも苦にならず、あっという間に駅に着いてしまいます。

運動がてら、歴史の勉強はいかがですか?

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三島の旅(22)蛭ヶ小島の夫婦の像 頼朝と政子

蛭ヶ小島には、富士に向かって源頼朝北条政子が寄り添って立つ「蛭ケ島の夫婦像」が立っています。

(クリックすると、画像が拡大されます)

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この像とは、約10年ぶりの再会です!(^^)!

平治の乱に敗れた頼朝は、伊豆の蛭ケ小島に配流され、1160年(永暦元)2月の14歳の少年期から、1180年(治承4)年8月に旗挙げする34歳までの20年間を蛭ヶ小島で過ごしたとされます。

このあたりを、韮山町四日町字蛭ヶ島といい、平治の乱で敗れた源頼朝の嫡男、兵衛佐頼朝配流の地といわれています。
狩野川の流路変遷の名残をとどめてか、近在には古河・和田島・土手和田等の地名が現存することから、往時は大小の田島(中州)が点在し、そのひとつが、この蛭ヶ島であったことが想像されます。
永暦元年(1160年)14歳でこの地に流された頼朝は、治承4年(1180年)34歳で旗挙げ、やがて鎌倉幕府創設を成し遂げることとなるが、配流20年間における住居等の細部は詳らかではありません。
しかし、「吾妻鏡」治承4年の記事によれば、山木攻め(頼朝旗挙げ)の頃は、妻である政子の父、北条時政の館に居住し館内で挙兵準備を整えたとあり、このことから考えると、頼朝は、北条政子と結ばれる治承元年(1177年)頃までの約17年間を、ここ蛭ヶ島で過ごしたといえます。
当公園中央部にある「蛭島碑記」の古碑は、源氏が天下支配の大業を果たした歴史の原点を後世に伝承すべく、寛政2年(1790年)豆州志稿の著者、秋山富南の撰文により、江川家家臣飯田忠晶が建立したもので、韮山町の有形文化財に指定されています。
また、この碑の西側にある高い碑は、秋山富南頌徳碑で、豆州志稿の増訂に当たった萩原正夫が、明治26年に建立したものであります。
 

韮山町教育委員会 韮山町産業観光課 

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素敵な二人のモニュメント   

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流人といっても、伊東祐親の娘・八重姫や、北条政子とのロマンスがあったわけですから、監視は それほど厳しいものではなかったようですね。

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三島の旅(7)北条政子が勧請した厳島神社

北条政子が勧請し、信仰したという厳島神社が神池の中にあります。

厳島神社

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たたり石 

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昔は東海道にあって交通整理の役割を担ったといいます。


この日、境内に屋台が出ていて、屋台の間に挟まれていました(^_^;)

名前が名前だけにこんな扱いで大丈夫かな~?



矢田部式部盛治大人銅像

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1854年の東海大地震で倒壊した社殿を復興したそうです。

神馬

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東京の源平史跡(5)多摩川浅間神社

多摩川浅間神社(たまがわせんげんじんじゃ)は、大田区田園調布にある神社で、、社殿は浅間神社古墳の上に建てられています。祭神は、木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと) 

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由緒によると

「創建は鎌倉時代の文治年間(1185年~1190年)と伝えられる。源頼朝が豊島郡滝野川松崎に出陣した時、夫の身を案じた北条政子が後を追って多摩川まで来た。その時わらじの傷が痛んだため、この地で傷の治療をすることにして逗留した際に亀甲山(かめのこやま)へ登ってみると富士山が鮮やかに見えた。富士吉田には、自分の守り本尊である浅間神社があるので、政子はその浅間神社に手を合わせ、夫の武運長久を祈り、身につけていた正観世音像をこの丘に建てたという。それ以来、村人たちはこの像を「富士浅間大菩薩」と呼び祀ったのが、この神社の起こりとされている。
その後、承応元年(1652年)5月に浅間神社表坂の土止め工事をしていた時に、九合目辺りから正観世音の立像が発掘された。多摩川で泥を洗い流すと片足が欠けていたため、新たに足を鋳造して祀り、6月1日に神事を行ったという。これにならい、現在も6月に例祭を行っている。」

階段を上りながら、いくつもの鳥居をくぐり抜けます。

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ようやく社殿が見えてきました。

階段がきつかった~coldsweats02

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展望台でしばし休憩coldsweats01

ここからは多摩川が見えます。

すっきりと晴れた日には、富士山まで見渡せるそうですよ。

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浅間神社の社紋は桜heart02

春は、境内の桜が美しいとのこと。

今度は桜の季節にお参りしたいと思います。

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東京の源平史跡 大国魂神社

武蔵国の総社である府中の大国魂神社

景行天皇41年(111)5月5日、武蔵国の護り神として大国魂神を祀ったのが始まりとされています。
この地に武蔵国の国府が置かれて以来、国司が祭祀を執り行っていましたが、平安時代に各諸神を合祀する「総社」と呼ばれるものが置かれ、武蔵国では、大國魂神社がその総社となりました。
平安末期には、六か所の神社を合祀して「武蔵六所宮」と呼ばれるようになりました。

武蔵総社 大國魂神社

当神社は、大國魂神を武蔵の国魂と仰いで、鎮祭し祠った神社である。第12代景行天皇41年(111年)5月5日大神の託宣によって創立せられ、武蔵国造が代々奉仕して祭務を司った。其の後孝徳天皇の御代に至り、大化の改新(645年)により武蔵の国府がこの地に置かれ、当社を国衙の斎場として、国司が祭祀を奉仕して国内の祭政を司った。国司が国内諸社の奉幣巡拝等の便により側に国内の諸神を配祀したので「武蔵総社」と称し、又両側に国内著明の神社六社を奉祀したので「六社明神」「六所宮」とも称された。鎌倉幕府以後徳川幕府に至るまで代々幕府の崇敬厚く、再三社殿を造営し、徳川幕府より社領500石を寄進せられた。明治18年より昭和21年迄官幣小社に列せられ、其の後宗教法人と成る。(例大祭五月五日)

大國魂神社・府中市観光協会

源平関連の出来事としては、

●康平5年、前九年合戦平定の際、源頼義、義家父子が、ケヤキの苗千本を寄進した。(馬場大門のケヤキ並木の起源)
また、神前にスモモを供物として供したことから、後年この日とされる7月20日に毎年「すもも祭り」が行われるようになった。

●寿永元年に、源頼朝が葛西三郎清重を使節として、政子の安産の祈願が行われた。

●文治2年源頼朝は、武蔵守義信を奉行として社殿を造営した。

 (Wkikipedia参照)

その後、徳川家康が、関が原の戦いや、大坂の陣の戦勝祈願成就の御礼として馬場を献上し、本殿や拝殿、楼門を修築しています。
明治4年(1871)に武蔵総社大國魂神社と改称しました。

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御鎮座壱千九百年に向けて境内整備、宮乃咩神社、手水社の改築工事が始まっていました。

宮乃咩神社(みやのめじんじゃ)

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頼朝政子の安産を祈願した神社。

主祭神名 天鈿女命

由緒

 この神社の創立は御本社大國玉神社と同じ景行天皇の御代(111年)であると伝えられ、古くから芸能の神、安産の神として崇敬されている。
 例祭日は七月十二日で、文治二年(1186年)源頼朝より武蔵国中の神職に天下太平の祈願を行うよう令して以来、毎年この日の夕刻より翌朝にかけて、国中の神職が参会し終夜神楽を奏し祈祷が行なわれた。この祭は青袖・杉舞祭と言われる。(今は国中の神職は参加しない)、また、頼朝の妻政子が当社に安産を祈願したという伝えもある。
 安産祈願の折に願いを託した絵馬を奉納し、無地願いが叶うと御礼に底のぬけたひしゃくを納める風習が今でも行われている。

          北多摩神道青年会

(説明板より)

相撲場

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毎年8月1日に、八朔相撲祭が行われる。

天正18年(1590)8月1日 徳川家康の江戸入城を賀し、この日を記念して天下泰平・五穀豊穣を祈る奉納相撲として始まったものである。

中雀門       拝殿

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東照宮

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元和4年(1618)二代将軍秀忠の命によって造営された。
徳川家康公歿後、駿河国久能山により下野国二荒山に霊輿を遷された時その途次、この国府の斎場に一夜逗留せられたのでその遺跡を後生に伝える為造営された。

4月30日~5月6日まで、くらやみ祭という大国魂神社最大のお祭りがあり、8基のお神輿と6張の太鼓が、甲州街道からお旅所までを練り歩きます。関東三大奇祭の一つであるこの祭りは本来、歌垣の性格を帯びていましたが、明治時代になってその淫靡な風習は改められ、、夜間に実施されていた祭礼の行事も昭和34年より夕刻の実施となりました。

※歌垣(うたがき)とは、特定の日時に若い男女が集まり、相互に求愛の歌謡を掛け合う呪的信仰に立つ習俗。


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政子の衣装 小袖

小袖は平安時代中頃に誕生し、平安時代から鎌倉時代にかけて貴族の間で流行したといわれています。
袖口が大きく袖丈一杯まで開いている大袖に対し、小袖は袖口が狭くなっているのが特徴です。

政子の小袖。
ドラマでは腰に褶(しびら)という巻き布のようなものを巻きつけていた時も多かったですね。男勝りの政子ならではの衣装です。C_164

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