三島の旅(15)北条氏邸跡(円成寺跡)
守山西公園入口に「北条一族のふるさとと寺院」という案内板があります。
北条氏邸跡がある守山は、北条氏の本拠地で鎌倉時代に伊豆北條と呼ばれていました。
守山の東側には、願成就院が建てられ、北西側の谷の内部には館が建てられました。
元弘2(1333)年、鎌倉幕府の滅亡後、北条一族の妻や娘たちは鎌倉から韮山に戻ると、邸宅跡に、一族の円成尼が中心となって、北条氏の冥福を祈るために円成寺を建てました。
平成4年~5年の発掘調査では、平安時代末から鎌倉時代はじめにかけての大量の出土遺物とともに建物跡が発見され、北条氏邸があることが確認されました。
北条氏邸跡は、北条氏が鎌倉に本拠地を移すまでの館跡と、円成寺跡が発見され、国指定史跡に指定されました。北条氏邸跡は今後、史跡公園整備が計画されており、発掘調査が進められています。(伊豆の国市HP参照)
史跡 北条氏邸跡(円成寺跡)
北条氏邸跡は鎌倉幕府の執権として活躍した北条氏の館があった場所です。狩野川の東岸にある守山の北西部の小さな谷になっているところです。ここを含めて伊豆北条と呼ばれた一帯(現在の寺家・四日町付近)は、平安時代末期から鎌倉時代にかけて北条氏の本拠地であった場所です。北条氏邸跡は武士の地方での生活を知ることができる遺跡としてきわめて重要なのです。
1333年、鎌倉幕府の滅亡後、北条一族の妻や娘たちは鎌倉から韮山に戻りました。そして、一族の中の円成尼という女性が中心となって、邸宅の跡に寺院を建て、北条氏の冥福を祈ったのが円成寺です。円成寺は室町時代にも尼寺として続き、上杉氏の一族の女性が尼として入っていたことがわかっています。
現在の発掘調査では円成寺に関連する池や溝が見つかっています。
(案内板より)
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