平宗盛

2019年7月11日 (木)

熊野の長藤2019(5)能舞台でのイベント

熊野の長藤まつり開催中、能舞台でもイベントが行われます。

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なんとこちらはフラダンス!

常磐ハワイアンセンターかと思いました(^_^;

長藤とは関係なくても、観客が楽しんでいれば何でもありですね!

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2019年6月17日 (月)

熊野の長藤2019(4)熊野御前の墓

熊野御前の命日とされる5月3日には熊野御前供養祭が行われます。

熊野(左)と熊野の母(右)の墓

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Img_9039 手前が熊野の墓

平安の頃、池田の宿に、花のように美しく優しい熊野という娘がおりました。見付の国府に赴任していた平宗盛に見初められた熊野は、やがて都へ上って行きました。
 宗盛と幸せな日々を送っていた熊野のもとに、ある日、母の病の報せが届きます。池田へ帰りたいという熊野の願いを、しかし宗盛は愛するあまり放しがたく、聞き入れてくれません。
 春、桜見物の席で、熊野は、「いかにせん、都の春も惜しけれど、なれしあずまの花やちるらん」(都も離れがたいが、故郷で命を散らそうとしている母が心配です)と詠み、その心に打たれた宗盛はついに別れを決心するのでした。
 母娘は、再会を喜びましたが、母の命は長くありませんでした。まもなく愛する宗盛の戦死と平家滅亡を聞いた熊野は、尼となり静かに生涯を終えました。
 熊野が祈りを捧げた庵のあとの行興寺の庭には今も母のために熊野が植えた藤の花が、毎年長い花房をつけています。

(豊田町発行「熊野御前」より)

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2019年5月25日 (土)

熊野の長藤 2019(3)池田の渡し

明治時代初期まで、天竜川には橋が架けられていませんでした。

古来、磐田市池田地区は天竜川の渡船場として賑わっており、徳川家康により渡船の運営権が保証されて以来、江戸時代を通じて東西交通の役割をほとんど一手に担い、この地域の経済・文化交流の場として栄えていました。

明治に入り、明治11年(1878)木橋の完成とともに、天竜川池田渡船は長い歴史を閉じました。

平成元年(1989)、渡船保存会を発足し、100年ぶりに渡船が復活し、長藤祭りに合わせ、池田の渡しを再現した渡船体験イベントを実施しています。

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2019年5月19日 (日)

熊野の長藤 2019(2)熊野御前ゆかりの長藤

熊野の長藤」は、磐田市池田の行興寺にあり、平安時代、平宗盛に寵愛された熊野御前が植えたとされる推定樹齢800年以上を数える長藤で、国の天然記念物にも指定されています。

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熊野の長フジ 国指定天然記念物一本、県指定天然記念物五本

国指定樹は、境内西北隅に位置し、幹は根元より分かれて二支幹となっている。根元で約1.8㍍もある。
本堂前の境内地にある五本のフジは県指定樹であるが、国指定に劣らないフジの巨木である。ともに、樹齢は定かでないが老木であることは間違いない。
花房が1㍍以上にも伸びて 紫色の美しい花をつける。一般的には「熊野の長フジ」と呼ばれている。そのいわれは、平安時代の終わりごろ、熊野御前が植えたとの伝承がある。熊野御前については謡曲熊野や平家物語にも登場する。親孝行で有名な美女である。

 

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謡曲「熊野」と行興寺

遠江国池田の宿の長 熊野は、平宗盛(清盛の次男)の寵愛を受け、京都清水の桜見物に出掛けます。
熊野は病母から届いた手紙で見舞いに赴きたいと思い、宗盛に暇を乞いましたが聞きいれられず、やむなく宗盛に同行しました。
花の下の酒宴が始まり舞を舞った熊野は、俄かの村雨に散る花に寄せて、故郷の病母を気遣い

 いかにせん都の春も惜しけれど
         馴れし東の花や散るらん と

和歌を詠んだのを見て、宗盛も哀れに思い暇を与えたのです。
熊野はこれも清水観音のご利生と喜んで故郷へ帰って行きました。熊野は藤の花をこよなく愛し、行興寺本堂側に熊野が植えたと伝えられる老木あり、「熊野の長フジ」と称せられています。

          謡曲史跡保存会

 

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2019年5月11日 (土)

熊野の長藤 2019(1)

新居町のウォーキングの記事が途中ではありますが、今年も熊野の長藤を見に行って来たので、その記事を先にお届けします。

謡曲「熊野(ゆや)」で有名な熊野御前(ゆやごぜん)の墓がある行興寺

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行興寺に着いた時、ちょうど熊野御前の人形を乗せた山車の引き回しが行われていました。

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この方は人間です(^^ゞ

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お面を被っていても、表情があって、見入ってしまいました。

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2018年5月 7日 (月)

熊野の長藤(2)遍照山西法寺跡

境内の中に進んでいくと、見事な藤棚が広がっています。 

 

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白藤はまだ長さが不十分でした。

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 ここには、昔 遍照山西法寺という寺院がありました。  

遍照山西法寺跡
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遍照山西法寺跡
 
 ここには『遍照山西法寺(へんしょうざんさいほうじ)』という寺院がありました。西法寺は、今から約770年前の鎌倉時代の貞永年間(1232年)に創立された真言寺院で、本寺は高野山普門院、本尊は不動明王でした。真言宗は平安時代に空海(弘法大師)によって開かれたもので、遠州では袋井市の法多山、油山寺、磐田市の医王寺、浜北市の岩水寺、浜松市の鴨江寺、龍禅寺。三ヶ日町の摩訶耶寺などがあり、いずれも古い時代より続く大きな寺院です。
 豊田町の寺院も多くは真言宗により創立されました。しかし、鎌倉時代に広がった新仏教は、奈良・平安時代以来の貴族中心の信仰から庶民信仰の仏教へと大きく変化し、その流れの中で、町内寺院もほとんどが曹洞宗と時宗に改宗されました。江戸時代に書かれた『遠淡海地志(とおとうみちし)』によれば、この時代の町内四二カ寺のうち、曹洞宗三九、時宗二で、真言宗は西法寺の一カ寺のみとなっています。おそらく、西法寺は、鎌倉時代に広がった庶民仏教とは一線を画し、武士層など比較的経済的に恵まれた人々の信仰を集めていた寺院だったのではないでしょうか、現在では、お寺は浜松市に移り、五戸の檀家衆のうち豊田町内三戸の檀家衆によって法灯が守られています。
 

 

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2018年4月26日 (木)

熊野の長藤(1)熊野(ゆや)御前と平宗盛

今年も熊野の長藤を見に出かけて来ました。
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 「熊野の長藤」は、磐田市池田の行興寺にあり、平安時代、平宗盛に寵愛された熊野御前が植えたとされる推定樹齢800年以上を数える長藤で、国の天然記念物にも指定されています。

この長藤の開花期間の4月下旬から5月上旬にかけて催される、「池田・熊野の長藤まつり」では、能舞台での各種イベントや、池田の渡船の再現、屋台の曳き回しなどがあります。

 

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謡曲「熊野」と行興寺

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謡曲「熊野」と行興寺

遠江国池田の宿の長 熊野は、平宗盛(清盛の次男)の寵愛を受け、京都清水の桜見物に出掛けます。
熊野は病母から届いた手紙で見舞いに赴きたいと思い、宗盛に暇を乞いましたが聞きいれられず、やむなく宗盛に同行しました。
花の下の酒宴が始まり舞を舞った熊野は、俄かの村雨に散る花に寄せて、故郷の病母を気遣い
 
 いかにせん都の春も惜しけれど
         馴れし東の花や散るらん と

和歌を詠んだのを見て、宗盛も哀れに思い暇を与えたのです。
熊野はこれも清水観音のご利生と喜んで故郷へ帰って行きました。熊野は藤の花をこよなく愛し、行興寺本堂側に熊野が植えたと伝えられる老木あり、「熊野の長フジ」と称せられています。
 
          謡曲史跡保存会

熊野御前                              熊野御前花見

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熊野の長藤
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 熊野の長フジ 国指定天然記念物一本、県指定天然記念物五本

  国指定樹は、境内西北隅に位置し、幹は根元より分かれて二支幹となっている。根元で約1.8㍍もある。
  本堂前の境内地にある五本のフジは県指定樹であるが、国指定に劣らないフジの巨木である。ともに、樹齢は定かでないが老木であることは間違いない。
  花房が1㍍以上にも伸びて 紫色の美しい花をつける。一般的には「熊野の長フジ」と呼ばれている。そのいわれは、平安時代の終わりごろ、熊野御前が植えたとの伝承がある。熊野御前については謡曲熊野や平家物語にも登場する。親孝行で有名な美女である。
                                                                                                            

 

平成十八年三月 磐田市教育委員会

 

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 今年はあらゆる花の開花が早く、この長藤も、例年ならGWが見頃なのですが、二週間ほど早い、開花となったようです。

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熊野と熊野の母の墓
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2017年5月25日 (木)

熊野の長藤(2)遍照山西法寺跡

中に進んでいくと、見事な藤棚が広がっています。
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白藤も満開でした。
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ここには、昔 遍照山西法寺という寺院がありました。
 
遍照山西法寺跡
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遍照山西法寺跡
 
 ここには『遍照山西法寺(へんしょうざんさいほうじ)』という寺院がありました。西法寺は、今から約770年前の鎌倉時代の貞永年間(1232年)に創立された真言寺院で、本寺は高野山普門院、本尊は不動明王でした。真言宗は平安時代に空海(弘法大師)によって開かれたもので、遠州では袋井市の法多山、油山寺、磐田市の医王寺、浜北市の岩水寺、浜松市の鴨江寺、龍禅寺。三ヶ日町の摩訶耶寺などがあり、いずれも古い時代より続く大きな寺院です。
 豊田町の寺院も多くは真言宗により創立されました。しかし、鎌倉時代に広がった新仏教は、奈良・平安時代以来の貴族中心の信仰から庶民信仰の仏教へと大きく変化し、その流れの中で、町内寺院もほとんどが曹洞宗と時宗に改宗されました。江戸時代に書かれた『遠淡海地志(とおとうみちし)』によれば、この時代の町内四二カ寺のうち、曹洞宗三九、時宗二で、真言宗は西法寺の一カ寺のみとなっています。おそらく、西法寺は、鎌倉時代に広がった庶民仏教とは一線を画し、武士層など比較的経済的に恵まれた人々の信仰を集めていた寺院だったのではないでしょうか、現在では、お寺は浜松市に移り、五戸の檀家衆のうち豊田町内三戸の檀家衆によって法灯が守られています。


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2017年5月16日 (火)

熊野の長藤(1)熊野(ゆや)御前と平宗盛

今年も熊野の長藤を見に出かけて来ました。

行興寺
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「熊野の長藤」は、磐田市池田の行興寺にあり、平安時代、平宗盛に寵愛された熊野御前が植えたとされる推定樹齢800年以上を数える長藤で、国の天然記念物にも指定されています。

この長藤の開花期間の4月下旬から5月上旬にかけて催される、「池田・熊野の長藤まつり」では、能舞台での各種イベントや、池田の渡船の再現、屋台の曳き回しなどがあります。

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謡曲「熊野」と行興寺

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謡曲「熊野」と行興寺

遠江国池田の宿の長 熊野は、平宗盛(清盛の次男)の寵愛を受け、京都清水の桜見物に出掛けます。
熊野は病母から届いた手紙で見舞いに赴きたいと思い、宗盛に暇を乞いましたが聞きいれられず、やむなく宗盛に同行しました。
花の下の酒宴が始まり舞を舞った熊野は、俄かの村雨に散る花に寄せて、故郷の病母を気遣い
 
 いかにせん都の春も惜しけれど
         馴れし東の花や散るらん と

和歌を詠んだのを見て、宗盛も哀れに思い暇を与えたのです。
熊野はこれも清水観音のご利生と喜んで故郷へ帰って行きました。熊野は藤の花をこよなく愛し、行興寺本堂側に熊野が植えたと伝えられる老木あり、「熊野の長フジ」と称せられています。
 
          謡曲史跡保存会

熊野御前                              熊野御前花見

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熊野の長藤
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 熊野の長フジ 国指定天然記念物一本、県指定天然記念物五本

  国指定樹は、境内西北隅に位置し、幹は根元より分かれて二支幹となっている。根元で約1.8㍍もある。
  本堂前の境内地にある五本のフジは県指定樹であるが、国指定に劣らないフジの巨木である。ともに、樹齢は定かでないが老木であることは間違いない。
  花房が1㍍以上にも伸びて 紫色の美しい花をつける。一般的には「熊野の長フジ」と呼ばれている。そのいわれは、平安時代の終わりごろ、熊野御前が植えたとの伝承がある。熊野御前については謡曲熊野や平家物語にも登場する。親孝行で有名な美女である。
                                                                                                            

平成十八年三月 磐田市教育委員会

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 今年はちょうど見頃じゃないでしょうか。

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熊野(左)と熊野の母(右)の墓
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2014年2月27日 (木)

紅葉谷~弥山本堂・平宗盛の梵鐘

紅葉谷のロープウェイ乗り場まで、毎回バスを利用していましたが、この時は紅葉狩りの観光客で長蛇の列ヾ(*゚A`)ノ
紅葉谷公園を通って乗り場まで歩いて行くことにしました。
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ロープウェイで獅子岩展望台に到着

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ここに来ると、海の上に浮かぶ島なのか、雲の上に浮かぶ島なのかがわからなくなります。
いつ見ても幻想的な景色です。

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夕陽が光の矢を射しているよう
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今まではここで終わりでしたが、今回は本堂まで歩いて行くことに。

この片道30分の山道のアップダウンが、予想以上にハードでした。
途中何度も腰が痛くなり、休みながらやっとの思いで本堂に到着!

弥山本堂
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806年、弘法大師(空海)の開基 

本尊虚空蔵菩薩

脇侍 不動明王・毘沙門天

唐から帰国した弘法大師が霊地を探し求めて宮島に立ち寄った際、山の姿が須弥山に似ているところから弥山と名づけ、御堂を建て100日間の求聞持の修法を行ったところといわれています。

清盛の次男・平宗盛が寄進した大梵鐘が安置されています。

宗盛の梵鐘
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重要文化財

治承元年(1177)平宗盛の寄進の刻銘があります。
この鐘は、島の多々良潟というところで宗盛が鋳造させたといわれ、 現在は弥山本堂に移されています。

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弥山霊火堂
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806年に弘法大師が修法を行った際の霊火が、1200年たった今も「消えずの火」として燃え続けています。
この火にかけられている大茶釜で沸かした霊水を飲むと、万病に効果があるとされています。

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