平宗盛

2017年5月25日 (木)

熊野の長藤(2)遍照山西法寺跡

中に進んでいくと、見事な藤棚が広がっています。
Img_8171 Img_8185
白藤も満開でした。
Img_8176 Img_8196
Img_8218 Img_8220
ここには、昔 遍照山西法寺という寺院がありました。
 
遍照山西法寺跡
19_20140504_701304

遍照山西法寺跡
 
 ここには『遍照山西法寺(へんしょうざんさいほうじ)』という寺院がありました。西法寺は、今から約770年前の鎌倉時代の貞永年間(1232年)に創立された真言寺院で、本寺は高野山普門院、本尊は不動明王でした。真言宗は平安時代に空海(弘法大師)によって開かれたもので、遠州では袋井市の法多山、油山寺、磐田市の医王寺、浜北市の岩水寺、浜松市の鴨江寺、龍禅寺。三ヶ日町の摩訶耶寺などがあり、いずれも古い時代より続く大きな寺院です。
 豊田町の寺院も多くは真言宗により創立されました。しかし、鎌倉時代に広がった新仏教は、奈良・平安時代以来の貴族中心の信仰から庶民信仰の仏教へと大きく変化し、その流れの中で、町内寺院もほとんどが曹洞宗と時宗に改宗されました。江戸時代に書かれた『遠淡海地志(とおとうみちし)』によれば、この時代の町内四二カ寺のうち、曹洞宗三九、時宗二で、真言宗は西法寺の一カ寺のみとなっています。おそらく、西法寺は、鎌倉時代に広がった庶民仏教とは一線を画し、武士層など比較的経済的に恵まれた人々の信仰を集めていた寺院だったのではないでしょうか、現在では、お寺は浜松市に移り、五戸の檀家衆のうち豊田町内三戸の檀家衆によって法灯が守られています。


Img_8209 Img_8201

応援のポチッのご協力お願いします。wink

にほんブログ村 歴史ブログ 歴女・女性歴史ファンへ
にほんブログ村


偉人・歴史人物 ブログランキングへ

| | コメント (2)

2017年5月16日 (火)

熊野の長藤(1)熊野(ゆや)御前と平宗盛

今年も熊野の長藤を見に出かけて来ました。

行興寺
Img_8127 Img_8128


「熊野の長藤」は、磐田市池田の行興寺にあり、平安時代、平宗盛に寵愛された熊野御前が植えたとされる推定樹齢800年以上を数える長藤で、国の天然記念物にも指定されています。

この長藤の開花期間の4月下旬から5月上旬にかけて催される、「池田・熊野の長藤まつり」では、能舞台での各種イベントや、池田の渡船の再現、屋台の曳き回しなどがあります。

Img_8132 Img_8133

謡曲「熊野」と行興寺

Img_8144 Img_8157

謡曲「熊野」と行興寺

遠江国池田の宿の長 熊野は、平宗盛(清盛の次男)の寵愛を受け、京都清水の桜見物に出掛けます。
熊野は病母から届いた手紙で見舞いに赴きたいと思い、宗盛に暇を乞いましたが聞きいれられず、やむなく宗盛に同行しました。
花の下の酒宴が始まり舞を舞った熊野は、俄かの村雨に散る花に寄せて、故郷の病母を気遣い
 
 いかにせん都の春も惜しけれど
         馴れし東の花や散るらん と

和歌を詠んだのを見て、宗盛も哀れに思い暇を与えたのです。
熊野はこれも清水観音のご利生と喜んで故郷へ帰って行きました。熊野は藤の花をこよなく愛し、行興寺本堂側に熊野が植えたと伝えられる老木あり、「熊野の長フジ」と称せられています。
 
          謡曲史跡保存会

熊野御前                              熊野御前花見

8_20140504_701281 9_20140504_701288

10_20140504_701289 11_20140504_701290

熊野の長藤
12_20140504_701293

 熊野の長フジ 国指定天然記念物一本、県指定天然記念物五本

  国指定樹は、境内西北隅に位置し、幹は根元より分かれて二支幹となっている。根元で約1.8㍍もある。
  本堂前の境内地にある五本のフジは県指定樹であるが、国指定に劣らないフジの巨木である。ともに、樹齢は定かでないが老木であることは間違いない。
  花房が1㍍以上にも伸びて 紫色の美しい花をつける。一般的には「熊野の長フジ」と呼ばれている。そのいわれは、平安時代の終わりごろ、熊野御前が植えたとの伝承がある。熊野御前については謡曲熊野や平家物語にも登場する。親孝行で有名な美女である。
                                                                                                            

平成十八年三月 磐田市教育委員会

Img_8141 Img_8149

 今年はちょうど見頃じゃないでしょうか。

Img_8165 Img_8146

熊野(左)と熊野の母(右)の墓
Img_8145 Img_8153

応援のポチッのご協力お願いします。wink

にほんブログ村 歴史ブログ 歴女・女性歴史ファンへ
にほんブログ村


偉人・歴史人物 ブログランキングへ

 

| | コメント (4)

2014年2月27日 (木)

紅葉谷~弥山本堂・平宗盛の梵鐘

紅葉谷のロープウェイ乗り場まで、毎回バスを利用していましたが、この時は紅葉狩りの観光客で長蛇の列ヾ(*゚A`)ノ
紅葉谷公園を通って乗り場まで歩いて行くことにしました。
1_2012111117383325e 2_201211111738329db 3_20121111173832ce1 4_20121111173831a2d

ロープウェイで獅子岩展望台に到着

5_20121111174120aca 6_201211111741203ed 7_20121111174119225 8_201211111741197ae

ここに来ると、海の上に浮かぶ島なのか、雲の上に浮かぶ島なのかがわからなくなります。
いつ見ても幻想的な景色です。

9_2012111117411855f


夕陽が光の矢を射しているよう
10_201211111741387ec

今まではここで終わりでしたが、今回は本堂まで歩いて行くことに。

この片道30分の山道のアップダウンが、予想以上にハードでした。
途中何度も腰が痛くなり、休みながらやっとの思いで本堂に到着!

弥山本堂
11_20121111174819a5f

806年、弘法大師(空海)の開基 

本尊虚空蔵菩薩

脇侍 不動明王・毘沙門天

唐から帰国した弘法大師が霊地を探し求めて宮島に立ち寄った際、山の姿が須弥山に似ているところから弥山と名づけ、御堂を建て100日間の求聞持の修法を行ったところといわれています。

清盛の次男・平宗盛が寄進した大梵鐘が安置されています。

宗盛の梵鐘
12_20121111174818ed3 13_20121111174818bd0 14_201211111750011bd

重要文化財

治承元年(1177)平宗盛の寄進の刻銘があります。
この鐘は、島の多々良潟というところで宗盛が鋳造させたといわれ、 現在は弥山本堂に移されています。

15_20121111174817fc8

弥山霊火堂
17_20121111175531cda 18_20121111175530edd 19_20121111174818aee

806年に弘法大師が修法を行った際の霊火が、1200年たった今も「消えずの火」として燃え続けています。
この火にかけられている大茶釜で沸かした霊水を飲むと、万病に効果があるとされています。

応援のポチッのご協力お願いします。wink

にほんブログ村 歴史ブログ 歴女・女性歴史ファンへ
にほんブログ村


偉人・歴史人物 ブログランキングへ

| | コメント (4)

2010年10月23日 (土)

宗盛塚 平家終焉の地

野洲町大篠原は、平家終焉の地であります。
国道8号線から一歩細い道を入った奥に、ひっそりと墓標が立っています。

Img_0940_b

壇ノ浦で、平家一門を倒した義経は、宗盛・清宗父子を捕らえ、頼朝に報告するため、鎌倉へ向かいますが、手前の腰越で留められてしまいます。
鎌倉入りを許されず、京に戻る途中、頼朝の命により、宗盛父子を斬首。
鏡の宿を過ぎたここ篠原が平家終焉の地になりました。

義経は、元服後も何度か「鏡の宿」に立ち寄っていますが、義経が自ら元服した「鏡の宿」を血で穢すのを避けて、わざと通り過ぎたと伝えられています。

平家終焉の地           宗盛の墓    清宗の墓

Img_0942_c Img_0943_b Img_0944_b Img_0945_b

平家が滅亡した地は壇ノ浦ではなくここ野州市である。
平家最後の最高責任者平宗盛は源義経に追われて1183年7月一門を引きつれて都落ちをした。
西海を漂うこと二年、1185年3月24日壇ノ浦合戦でついに破れ、平家一門はことごとく入水戦死した。
しかし一門のうち建礼門院、宗盛父子、清盛の妻の兄弟平時忠だけは捕えられた。
宗盛父子は源義経に連れられ鎌倉近くまでくだったが、兄の頼朝に憎まれ追いかえされ、再び京都へ向かった。
途中、京都まであと一日程のここ篠原の地で義経は都に首を持ち帰るため平家最後の総大将平宗盛とその子清宗を斬った。
そして義経のせめてもの配慮で父子の胴は一つの穴に埋められ塚が建てられたのである。
父清盛が全盛の時、この地のために掘った祇王井がいまもなお広い耕地を潤し続け、感謝する人々の中に眠ることは宗盛父子にとっても野州町が日本中のどこよりもやすらぐ安住の地であろう。

現在ではかなり狭くなったが、昔、塚の前に広い池があり父子の首を洗ったといわれ、「首洗い池」、またあまりにも哀れで蛙が鳴かなくなったことから「蛙鳴かずの池」とも呼ばれている。(野州市観光物産協会)

 
蛙不鳴池および首洗い池

Img_0941_c

西方に見える池を蛙不鳴池と云い、この池は、元暦二年(1185)源義経が平家の大将、平宗盛とその子清宗を処刑したその時その首を洗った「首洗い池」と続きで、以後 蛙が鳴かなくなったとの言い伝えから、蛙鳴かずの池と呼ばれている。別名、帰らずの池とも呼ばれ、その池の神が日に三度池に陰を映されたのに、お帰りを見た事がないとの言われからである。昔は横一町半(約二二〇m)あった。首洗い池は、蛙不鳴池の東岸につながってほぼ円形をしていた。最近までその形を留めていた。
(野洲市大篠原自治会 大篠原郷土史会)

宗盛塚の前には、花や水などのお供え物があり、800年以上経った今でも参拝者が後を絶ちません。

人気ブログランキング参加中
 投票お願いします!
人気ブログランキング

FC2ブログランキング参加中
 投票お願いします!
FC2ブログランキング

| | コメント (4)

2006年5月 6日 (土)

熊野(ゆや)御前(4)

毎年5月3日、熊野の命日に行興寺の境内で、熊野御前の供養祭が行われる。

私が行った日がまさにその日で、供養祭を見ることが出来た。

FC2ブログランキング参加中!

投票にご協力お願いします⇒FC2 Blog Rankin

22_c C_3 16_c

| | コメント (10) | トラックバック (0)

熊野(ゆや)御前(3)

熊野の献身的な介護のかいもなく、熊野の母は亡くなった。その後まもなく宗盛も源平合戦で命を失うことになる。熊野は尼になった後、33歳で亡くなった。
静岡県磐田市の行興寺には、熊野御前(左)とその母(右)の墓が
ある.。

FC2ブログランキング参加中!

投票にご協力お願いします⇒FC2 Blog Rankin

6c 2c_1 3c 5c

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2006年5月 5日 (金)

熊野(ゆや)御前(2)

しかし、宗盛は熊野の申し出を聞き入れなかった。
ある日、無理やり清水の花見に連れて行かれた熊野は、宴の席でこう詠んだ。

いかにせん 都の春も惜しけれど 馴れし東の花や散るらん

この歌に胸をうたれた宗盛は、熊野が故郷へ帰るのを許した。C_4 7_c_1 14c

FC2ブログランキング参加中!

投票にご協力お願いします⇒FC2 Blog Rankin

| | コメント (7) | トラックバック (0)

2006年5月 4日 (木)

熊野(ゆや)御前(1)

熊野(ゆや)御前は平安末期に、遠州池田荘の庄司・藤原重徳の娘として生まれた。
平宗盛に寵愛された熊野は、都に住むこととなった。しかしある日、母の病気の知らせを受け、宗盛にお暇をいただきたいと申し出た。

静岡県磐田市行興寺には、国指定、一本、県指定5本の長藤がある。うち国指定(写真右)は樹齢850年を数え、熊野御前のお手植え とされている。

2b_97b_111c

FC2ブログランキング参加中!

投票にご協力お願いします⇒FC2 Blog Rankin

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2005年8月 4日 (木)

熊野の長ふじ

平安時代末期、遠江池田の荘に生まれ歌人として活躍した熊野(ゆや)御前は、平宗盛の寵愛を受けた。熊野御前とその母の墓のある行興寺には、熊野が植えて愛でたといわれる推定樹齢800年の国指定天然記念物の藤の木がある。見頃は4月下旬~5月上旬で、その花房は約1.5mにもなる。05050509p5050215c 05050510p5050229c

                                                                                                     

| | コメント (4) | トラックバック (0)

その他のカテゴリー

イベント | 丹後局 | 亀井六郎 | 京菓子 | 仁田忠常 | 今井兼平 | 今若(全成) | 伊東祐親 | 伊東祐隆 | 佐藤継信・忠信 | 八条女院 | 八重姫 | 北条政子 | 北条時政 | 北条氏 | 千葉氏 | 土佐坊昌俊 | 堀河天皇 | 大姫 | 大庭景親 | 大河ドラマ展 | 安徳天皇 | 富樫泰家 | 小督 | 尼御前 | 山吹御前 | 崇徳院 | 嵯峨天皇 | 巴御前 | 常盤御前 | 平宗盛 | 平康頼 | 平忠度 | 平忠盛 | 平敦盛 | 平時子(二位尼) | 平時忠 | 平景清 | 平業盛 | 平清宗 | 平清盛 | 平盛俊 | 平知盛 | 平知章 | 平経正 | 平維盛 | 平親範 | 平道盛 | 平重盛 | 平重衡 | 平頼盛 | 建礼門院 | 弁慶 | 待賢門院 | 後嵯峨天皇 | 後白河天皇 | 後醍醐天皇 | 後鳥羽上皇 | 文覚上人 | 斉藤実盛 | 日蓮 | 曾我兄弟 | 木曽義仲 | 松尾芭蕉 | 梶原景季 | 梶原景時 | 比企氏 | 法然上人 | 浄瑠璃姫 | 清和天皇 | 渡辺綱 | 湛増 | 源実朝 | 源平グッズ | 源朝長 | 源満仲 | 源為義 | 源範頼 | 源経基 | 源義光 | 源義家 | 源義朝 | 源義経 | 源頼信 | 源頼光 | 源頼家 | 源頼政 | 源頼朝 | 源頼義 | 滋賀のイベント・観光情報 | 滝口入道・横笛 | 熊谷直実 | 熊野御前 | 白河天皇 | 祇園祭 | 祇王・祇女・仏御前 | 美福門院 | 義経ゆかりの地を訪ねて | 藤原師長 | 藤原秀衡 | 袈裟御前 | 西行 | 近江路・歴女ブロガーの旅紀行 | 近衛天皇 | 那須与一 | 金売り吉次 | 長田忠致 | 阿古屋 | 阿波内侍 | 静御前 | 高倉天皇 | 鬼一法眼 | 鳥羽天皇