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2006年2月17日 (金)
建礼門院右京大夫(5)
やっと想いで右京大夫を手に入れた隆信であったが、次第に彼女への気持ちは冷めていくのでした。
越えぬればくやしかりける逢坂を なにゆゑにかは踏みはじめけむ
年月は過ぎ、定家から「新勅撰集」を編集するにあたって、建礼門院の女房時代の召名と後鳥羽院の女房時代の召名のどちらの名をとるか問われ、右京大夫は昔の名の方を選びました。昔、わずか5、6年呼ばれた建礼門院右京大夫という名、のちに20年も呼ばれた後鳥羽院時代の名・・・彼女は資盛との思い出深い名の方を選んだのでしょうか?
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2006年2月16日 (木)
建礼門院右京大夫(4)
右京大夫には資盛の他に藤原隆信という恋人がいたという。隆信は、藤原定家の異父同母の兄弟にあたり、右京大夫より14、5歳年上の似絵の名手であった。その絵が歴史の教科書に載っている後白河天皇や源頼朝の絵だと伝えられている。隆信は、右京大夫に自分を受け入れてくれという歌を贈ります。既に資盛という恋人がいた右京大夫は、隆信からの求愛を続けましたが、熱烈なアプローチについに彼を受け入れてしまうのでした。
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2006年2月14日 (火)
建礼門院右京大夫(3)
資盛の死を知らされた右京大夫は、夫・平道盛の後を追って入水した小宰相のように死ぬことも、建礼門院のように出家することも出来ず、昔の資盛の領地を訪ねて思い出にひたったり、自分の死後、誰が資盛を弔ってくれるのかを心配していた。
いかにせむ 我がのちの世はさてもなほ むかしの今日を とふ人もがな
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より以前の記事一覧
- 建礼門院右京大夫(2) 2006.02.13
- 建礼門院右京大夫(1) 2006.02.12
- 建礼門院の最期 2006.02.11
- 建礼門院としば漬け 2006.02.10
- 大原御幸(2) 2006.02.08
- 大原御幸(1) 2006.02.07
- 長楽寺(6)寂光院へ 2006.02.06
- 長楽寺(5)安徳天皇御影 2006.02.05
- 長楽寺(4)建礼門院御影像 2006.02.03
- 長楽寺(3)建礼門院十三重御塔 2006.02.02
- 長楽寺(2)建礼門院 2006.02.02
- 長楽寺(1)建礼門院 2006.02.01
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