小督

2013年4月 2日 (火)

小督と清閑寺

東山にある真言宗の清閑寺(せいかんじ)は、小督が出家した寺です。

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清閑寺

歌乃中山と号する真言宗智山派の寺である。ここから清水寺までの山路は、かつては歌の中山と呼ばれる名所で、桜や紅葉の美しさから数多くの歌が詠まれた。
延暦21年(802)に、天台宗の寺として比叡山の紹継法師によって創建され、一条天皇の時代(986~1011)に勅願寺となった。
「平家物語」の非恋で知られる高倉天皇と小督局ゆかりの寺で、平清盛の娘を中宮とする高倉天皇に寵愛されたために清盛の怒りに触れた小督局は、宮中を追われてこの寺で出家させられたと伝えられている。天皇は深く心を痛め、自分が死んだら局のいるこの寺に葬るよう遺言を残し、二十一歳の若さでこの世を去った。背後の山に、六條天皇と高倉天皇の御陵があり、高倉天皇陵の傍らには、天皇の死後、生涯にわたって菩提を弔ったといわれる局の墓がある。
庭にある大きな石からは扇を広げたような形で市内が一望でき、その石が丁度扇の要の位置に当たることから「要石」と呼ばれ、願いをかけると叶うといわれている。
かつては法華三昧堂や宝塔などが並んでいたが、現在は菅原道真が梅樹から彫ったという本尊・十一面観音像を安置する本堂を残すのみである。
(京都市)

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謡曲「小督」と清閑寺

歌の中山清閑寺」といわれるこの寺は、真言宗智山派に属し、延暦二十一年(802)紹継法師の創建によるものですが、古典「平家物語」に書かれた小督局が平清盛のために尼にさせられたところといわれています。
小督局は高倉帝の愛をうけましたが、帝の中宮建礼門院が清盛の娘だったため嵯峨に身を隠したのは有名で、これをもとにつくられたのが謡曲「小督」です。
しかし帝の心は変わらず「私が死んだら、小督のいる清閑寺に葬ってくれ」と遺言され、養和元年(1181)亡くなられたので、この寺に埋葬されたといわれます。
寺の背後の山中に御陵があり、傍らに小督の墓があり、またこの裏にある宝筐印塔は供養の塔だといわれています。山号の歌の中山は清水寺から清閑寺に至る山路をいいます。(謡曲史跡保存会)

小督の供養塔

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要石

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また当寺は、西郷隆盛と成就院の僧・月照が密議を交わした場所でもあります。

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境内からの眺め

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秋は紅葉が美しいお寺です。
お隣の清水寺へはたくさんの参拝客がありますが、こちらは訪れる人が少ないようです。

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2007年5月12日 (土)

法輪寺

嵐山の法輪寺は、嵯峨の虚空蔵(こくぞう)さんと呼ばれ七五三参りや針供養で知られています。その本堂奥の山中に小督塔があります。

高倉天皇は建礼門院がいながらも、琴の名手である小督を愛してしまいます。

清盛の怒りを買った小督は嵯峨に身を隠し・・・

能の「小督」では、高倉天皇の側近・源仲国が琴の音を頼りに小督を探しに来て、法輪寺で出会う場面が描かれ、「平家物語」では亀山のあたりから琴の音が聞こえてきたとある。(源平史跡177選参照)

小督の過去の記事についてはこちらImg_0394c Img_0395c Img_0398c

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2006年1月31日 (火)

小督の遺品

清閑寺にあったといわれる小督の遺品・愛用の車琴、すずり箱、小督の髪の毛を織り込んで作った真言宗のお経である「光明真言」の掛け軸が、現在、下京区の平等寺に伝わっています。また、車琴は嵯峨野の寂光寺にもあるそうです。

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2006年1月30日 (月)

小督と高倉天皇

小督に去られたこと、わずか3歳の安徳天皇(建礼門院との間に生まれた)に無理やり譲位させられたことなどの心痛から、高倉天皇は21歳の若さで崩御した。その後、小督は高倉天皇が眠る東山の天皇陵近くの庵で、天皇の墓守に殉じ、44歳で亡くなった。

東山の音羽山麓に高倉天皇陵があり、その近くの清閑寺に小督の供養塔があります。

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2006年1月29日 (日)

琴きき橋

小督がいなくなったことに、高倉天皇は再び消沈しています。そこで、天皇は側近の源仲国に小督を探し出すように命じた。ある日、仲国は嵐山の亀山で聞き覚えのある琴の音に耳を傾けた。(小督は宮中一の琴の名手、仲国は笛の名手であり以前、合奏したことがあったのだ。)それは、小督の爪弾く「想夫恋」であった。仲国は無理やり小督を帝のもとに連れ戻します。その後、二人の間には娘が生まれるが、それを知った清盛は小督を出家させ、追放してしまった。

琴の音を聞いた小橋は、仲国駒止めの橋といわれ、明治時代になって琴きき橋が建てられました。琴きき橋の遺跡は、車折神社嵐山頓宮前にあります。1b 2_b 3b

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2006年1月28日 (土)

小督(塚(2)

小督には、冷泉大納言隆房という恋人がいましたが、天皇が相手では逆らうことが出来ませんでした。高倉天皇は、小督を寵愛し、彼女にのめり込んでいきました。しかし、このことは建礼門院と高倉天皇との子を望む清盛の怒りを買うことになります。しかも隆房は清盛の五女の婿でありました。小督は帝に迷惑がかかることを恐れ、嵯峨野に隠棲します。

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2006年1月27日 (金)

小督塚(1)

嵐山の渡月橋から亀山方面に少し歩いたところに小督塚があります。清盛の娘・建礼門院徳子は高倉天皇のもとへ入内しますが、高倉天皇は、中宮の世話をする女房のもとで働く葵前という女性を愛してしまいます。しかし、たちまち二人のことが宮中の噂になり、清盛を恐れた高倉天皇は、葵を退けました。一方、葵はしばらくして病死していまいます。高倉天皇は、このことで、毎日落ち込んだ日々を送るようになり、これを心配した建礼門院は、天皇を慰めるために、小督という女性を自ら天皇に引き会わせます。2b

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