平維盛

2012年12月13日 (木)

富士川の合戦・飯森浅間神社

岳南鉄道の岳南原田駅から歩いて15分ほどのところにある原田公園の近くには、富士川合戦の際、源氏軍が食糧を置いたという飯森浅間神社があります。

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飯森浅間神社  略記

御祭神・木花之佐久夜昆賣命(このはさきくやひめのみこと)
当神社は『治承4年(西暦1180年・平安時代後期)源平両軍対陣の際、源軍は 当神社に食糧を置き、兵士此れを守備せしより『飯守明神』と称した』と伝えられ 現存する文書・記録が乏しく、創建の年代・現社名改称の経緯・その他信仰の変遷等を伺い知ることはできないが、かなりの古社である。
本殿に奉鎮されている当神社奉遷宮の棟札によれば『浅間社・神明社・宝前鎮座嘉永三戌年(西暦1850年)五月吉祥日・宇東川町内安全祈祷・地頭水野出羽守り』 とあるが、この当時御造営された本殿の老朽著しく、明治41年本殿・昭和5年拝殿を 御造営し現在に至る。
昭和8年2月18日村社に列せられ、明治40年神鎮幣帛料供進神社に指定されるなど 原田村の鎮守として広く信仰をあつめている。

相殿神(御祭神以外に本殿内に祀られている神)三座

天照大御神(神明宮)

嘉永3年(西暦1850年)の棟札に浅間宮と列して記載されていることから、古くより 浅間宮と共に奉祀されている。日本の大氏神である。

菅原道眞公(天満宮)

本殿には菅原道眞公の御神像が安鎮されているが、当神社嘉永嘉水年間の御造営に際し 浅間宮・神明宮とは別して棟札が納められていることから、明治41年(西暦1908年)の 御造営にあたり合祀されたものと思われる。
しかし、その経緯は定かではない。

大山津見神(山神社)

宇東川会館建設のため昭和28年合祀される。
旧鎮座地は、飯森浅間神社東側(約100来)の所であった。

平成8年10月吉日
宇東川1丁目3班当番組一同

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岳南鉄道というのがあるのを、この時初めて知りました。

なかなか行く機会がないところなので、東京の帰りに寄ることができて良かったです。

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2006年1月26日 (木)

維盛生存説

那智で入水したとされる維盛にはいくつかの生存説がある。まず一つ目は、奈良県吉野郡野迫川村である。一の谷の合戦後、維盛は、熊野別当湛増に平家の援助を頼みに行くが断られてしまう。その代わり、維盛を娘と結婚させ、彼を匿ってくれた。その後、頼朝の平家追討の追っ手の中、熊野山中を彷徨い、野迫川平に辿り着いた。そこで61歳の生涯を終えた。

吉野郡野迫川村の「平維盛歴史館」には、里人が建てた維盛塚、平家物語をテーマにした人形が展示されている資料館があります。

平維盛歴史館HP http://www.vill.nosegawa.nara.jp/kankou/taira1.htm

他にも、富士郡芝川町にも伝説が残っている。維盛は入水せずに、富士川の合戦で生き延びた多くの家来が住む稲子にやって来て、隠れ住んだ。西ヶ谷戸には、彼の墓や位牌があるという。

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2006年1月25日 (水)

滝口入道と平維盛(3)

維盛は、高野山にて出家、入道に導かれ熊野三山参詣の後、那智の沖にて入水することとなるが、妻子への想いが断ち切れない維盛は、なかなか入水に踏み切れない。しかし、入道の「還来穢国度人天」という言葉を聞いた途端、入水を決心し、入道の打ち鳴らす鐘の中、水の中へと消えて行った。「還来穢国度人天」とは、法事讃の一句で、極楽浄土に成仏した者は再びこの世に戻り、人天を済度することができるという。維盛は妻子と再び巡り会えることを信じて、命を絶ったのだろう。

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2006年1月24日 (火)

滝口入道と平維盛(2)

かつて維盛は、光源氏とも称されたほどの美男子で、宮中の女性の憧れの的であった。そんな維盛の変わり果てた姿に入道は驚いた。維盛は都落ちの際、一門のほとんどが妻子を伴ったのに対し、都に妻子を残してきたのだった。それは、家族を辛い目に遭わせたくないという気持ちから泣く泣くそうしたのであったが、周りの人々からは中傷され続けた。維盛は、入道に屋島を出た経緯、家族を今でも忘れられないと告げた。

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2006年1月23日 (月)

滝口入道と平維盛(1)

ある日、平清盛の孫で、平重盛の長男である平維盛が入道のもとを訪ねて来た。

維盛は、富士川の戦いで、水鳥の羽音に驚き、戦わずして頼朝軍に敗退。これには清盛の怒りを買い、武将としての評価を落とした。倶利伽羅峠でも、木曽義仲軍に敗退。三草の戦いでは義経に敗退。一の谷の戦いには参加できず、その後、病のため屋島に残っていた。頼朝と通じているなどと嫌疑をかけられ、平家の中での信用をなくす。そこへ、平家軍大敗、一門の多くが討たれたとの知らせを受け、ついに屋島から逃亡する。向かった先は父・重盛に仕えていた入道がいる高野山であった。

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