祇王・祇女・仏御前

若一神社(2)祇王の歌碑

平清盛に仕え、後に嵯峨野の祇王寺に隠棲した祇王の歌碑

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「萌出づるも枯るるも同じ野辺の草 いづれか秋にあはで果つべき」
(芽生えたばかりの草も枯れようとする草も、野辺の草は結局みな同じように、秋になると枯れ果ててしまうのです。)

人の世の無情を歌った平家物語史跡です。

祇王は、平家の家人・江部九郎時久の娘で近江国祇王村(現・滋賀県野洲市)に生まれ、母の刀自、妹の妓女とともに、京都で有名な白拍子となり、平清盛に寵愛されましたが、やがて清盛の寵愛は自らがとりなした仏御前に移り、母、妹ともに嵯峨往生院(現・祇王寺)へ仏門に入りました。

一陽斎豊国画・東錦絵(若一神社蔵)には、西八条邸の宴にて、仏御前の登場で、屋敷を追われることになった祇王が、涙ながらに清盛邸の襖に歌を一首書き残したという絵があるそうです。

西八条邸は時子、祇王、仏御前の三人が同時期に住んでいたことがあるのでしょうか。
清盛さま、モテモテでしたのね~(^_^;)

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妓王井川

祇王井川の水源跡の碑があるというので、訪ねてみました。

祇王井川は滋賀県で一番大きな川である野洲川から水を

引いているそうです。

近江富士とも呼ばれる三上山

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野洲川に架かる野洲川橋

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祇王井川水源跡の碑

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石碑の裏の説明には、祇王と清盛の名前が読み取れます。

現在は、ここより1Km近く上流から引かれているそうです。

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妓王井川の碑

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妓王井川は、このような細い川ですが、妓王の故郷を思う気持ちが

今でもこの川に注がれている感じがしました。

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妓王屋敷跡

妓王寺から数分のところに、妓王屋敷跡があります。

屋敷跡に曲がる道には↓の看板があります。

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この看板を過ぎるとすぐに屋敷跡の碑が見えてきます。

予想していたよりも敷地が広い。

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ここに、祇王祇女の母・刀自が住んでいたことから、

この地は祇王の故郷とされています。

以前は、祇王村(義王村)もあったそうです。

この一帯には、祇王の名のつく学校や地名が残っていて、

野洲小学校の柵には、清盛と妓王のレリーフがありました。

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町のあちこちに祇王の名を見るたび、祇王が今でもこの地に生きている

感じがしました。

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妓王寺

「平家物語」に登場する白拍子の姉妹、祇王・祇女の故郷の野洲からスタートです。

JR野洲駅の北約3kmにある浄土宗の寺院・妓王寺を訪れました。

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祇王・祇女姉妹は、この地に居館を構えた橘次郎時長の娘として生まれました。
時長は保元の乱で戦死。祇王は・祇女は、母の刀自と供に京に出て、白拍子となりました。
祇王は、平清盛に仕えることになり、清盛の寵愛を受けました。
水不足で苦しむ故郷の人々のために、清盛に水路を引くことを願い出ると、清盛はその願いを受け入れ、5年の歳月をかけた難関工事の末、12キロに及ぶ用水路を完成させたのでした。
その用水路のおかげで、村の水不足は解消し、近江でも有数の米どころとなりました。
しかし、同じ白拍子の仏御前の出現で、清盛の心を奪われ、祇王は屋敷を追い出されてしまいます。

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出家した祇王は、嵯峨に移り住み、庵で晩年を過ごし、38歳(35歳という説も)の若さで亡くなりました。
後に、妓王井川の恩恵に与った村人が、祇王の菩提を弔うために、このお寺を建てました。

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祇王、祇女、刀自(祇王、祇女の母)、仏御前の木像があります。
(実際には見ることはできませんでしたが、その写真がこれです。)

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境内には供養塔があります。

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ところで、「祇王」「妓王」という表記がありますね。
本来、「祇」は土地の神、「妓」は芸妓、芸者の意味がありますが、
「祇王」「妓王」では、妓は芸妓、祇は出家の意味として
使われているのではないかという説があります。
「祇王」は、「平家物語」や謡曲「二人祇王」の登場人物、
お寺では、京都の祇王寺
野洲の祇王井川、祇王村、祇王小学校
「妓王」は、野洲の妓王寺、妓王屋敷跡、妓王井川の碑
「義王村」は、祇王村と改称する前の名前に使われています。

実際は本当にそうなのか地元の方に尋ねてみたところ、
昔は読み書きが出来る人が少なかったことから、
次第にいろいろな字が使われるようになったのではないかと
いうことでした。

所在地  滋賀県野洲市中北90 

アクセス 名神栗東ICまたは竜王ICから20分
      JR琵琶湖線「野洲駅」下車 バス 10 分 江部下車徒歩15分

料金   200円(要予約)

時間   9:00~16:00

お問い合わせ 野洲市観光物産協会 TEL:077-587-3710     

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近江路・歴女ブロガーの旅紀行(1)妓王の故郷・野洲

一泊二日の近江路の旅から昨夜戻って来ましたwink

細かい記事は後でアップすることとして、

まずは、二日間のハイライトからrun

一日目  9月29日(水) 快晴

この日の朝は、一番の新幹線で米原へ

琵琶湖線網干行に乗り換え、8:12 野洲に到着。

共に「大河ドラマの舞台を訪ねて」をやっているブロガー仲間の

滋賀在住のmerryさんが車で案内してくれることになりました。

ここから近江の旅がスタートです。

野洲駅から車で、「平家物語」で有名な美しい白拍子の姉妹

妓王・妓女(祇王・祇女)の故郷へ向かいます。

野洲川にかかる橋

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野洲小学校には、清盛と妓王をデザインした柵を発見!

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のどかな田園地帯の一角にある妓王寺を見学

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こちらの拝観には、予め予約が必要なので、ご注意ください。

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清盛の寵愛を受けた妓王が、旱魃で苦しむ故郷・野洲に

清盛に頼んで水路を掘らせ、妓王に感謝した村人が

妓王の菩提を弔うために建てたお寺といわれています。

妓王、妓女、母の刀自、仏御前の木像

(木像は見ることはできませんでしたが)

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境内には供養塔が残っています。

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妓王寺のすぐそばには妓王屋敷跡

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次に妓王井川周辺をまわってみました。

祇王井川の水源地跡の碑

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妓王井川の碑

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野洲の町のあらゆるところに「妓王」の文字が。

いかに妓王が、この町に貢献したかがわかりますね。

そうそう、「妓王」なのか「祇王」なのか・・・はまた後日paper

次は竜王・かがみの里へ向かいますcar

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祇王寺

久し振りに嵯峨野の祇王寺へ行って参りました。
こちらは、「平家物語」に登場する白拍子の
祇王ゆかりのお寺です。

平家全盛の頃の話である。

当時、白拍子の祇王、祇女という姉妹がいました。
姉の祇王は、
平清盛の寵愛を得て、妹の祇女も有名になり、
幸せに暮らしていました。

ところが、加賀出身の白拍子・仏御前が現れてから、清盛の心は
仏御前に移ってしまいました。
祇王は館を追い出されることになり、母・刀自、妹の祇女と
ともに、ここで庵を結びました。
後に、世の無情を感じた仏御前が突然この庵を訪ねて来て
4人の女性は念仏三昧の余生を過ごすこととなります。


茅葺の本堂には、仏壇があり、そこに清盛、祇王、祇女
刀自、仏御前の木像が安置されています。
現在の本堂は。明治28年に再建のされたものです。


杉苔で覆われた庭、竹林で一時の涼を味わいました。

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祇王寺(3) 祇王の歌

仏御前に追い出されることになった祇王は清盛邸の襖に涙ながらに歌を書き残しました。

萌え出づる枯るるも同じ野辺の草 いづれか秋にあはで果つべき

(いずれは清盛に「飽きられる」とが掛けられています)

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祇王寺(2)祇王と仏御前②

祇王寺の本堂には、祇王、祇女、母刀自、仏御前、清盛の像が安置され、境内には清盛供養塔、祇王らの墓があります。(北陸の仏御前の史跡についてはラメールさんのHPで紹介されています。)

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祇王寺(1)祇王と仏御前①

仏御前にその座を奪われた祇王は、母と妹の祇女とともに出家し、嵯峨の庵に移り住みました。後に、祇王と同じような運命をたどることを恐れた仏御前もこの寺に出家し、4人で共に余生を送りました。 2_c_4 3c_6 1_b

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西八条第跡

平清盛は、白拍子の祇王を愛妾として西八条第に住まわせていました。そこへ加賀の国の仏御前が現れ、清盛な前で舞を披露したいと申し出ました。清盛は門前払いをしましたが、祇王がとりなし、仏御前を呼び入れます。すると清盛はすっかり仏御前に心移りをし、祇王を追い出してしまいました。

西八条第は六町を有する広大な邸宅でしたが、平家が都落ちの際、火が放たれ、灰になってしまいました。今は京都駅から近い梅小路公園になっています。b

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