那須与一

2023年2月 3日 (金)

亀岡の那須与一堂(2)

地域の人々によって300年守られてきた那須与一堂

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御堂には、焼け仏・阿弥陀如来坐像が安置されています。

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那須与一霊魂塔
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また、那須与一堂を守る会が主催し、市民公募で出演者を募集し、「与市 THE MUSICAL」というミュージカルが昨年1月、ガレリアかめおかで上演され、今年も3月に行われるとのことです。

いかにこの地の人たちで与一堂が大切に守り継がれてきたかが伝わってきます。

 

【公式】那須与一堂|京都府亀岡市 (nasunoyoichi.com)

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2023年1月23日 (月)

亀岡の那須与一堂(1)

那須与一堂公式HPによると、

亀岡市下矢田町の那須与一堂は、那須与一ゆかりの地として、地域の人々に親しまれてきたお堂です。

寿永3年(1184)、源平の合戦の一ノ谷の戦いに向かう源義経軍に従軍していた那須与一が、山城と丹波の境あたりで急に原因不明の病になり身体が動けなくなりました。

法楽寺の阿弥陀如来の噂を聞いてお参りしたところ、たちまち平癒し、その御利益から阿弥陀如来を深く信仰しました。

阿弥陀如来の霊符を身につけて出陣すると毎戦軍功をあげ、中でも屋島の戦いでの扇の的を射抜く武功を挙げることができました。

その後、武士を捨て法然の弟子となり、法楽寺を再興したといわれています。


社伝によると、江戸時代の享保元年(1716)に火災により焼失。そこへ住民たちが駆けつけたところ、焼け落ちたお堂に、まばゆい金色に輝く阿弥陀如来像が立っていたと伝わります。


その後、阿弥陀如来像は一旦近くの寺院に預けられていましたが、明治26年(1893)に地元の人々の手によって現在の場所に安置され、
那須与一の伝承から『那須与一堂』と名付けられ、現代に至っているそうです。

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周りは田んぼに囲まれています。

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この細い道を抜けていくと、那須与一堂の案内板があります。

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また、那須与市堂の前身である法楽寺は、安倍晴明が建立した寺院と伝わっているとのこと。

 

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2023年1月12日 (木)

「高松平家物語歴史館」で見た蝋人形

屋島の「高松平家物語歴史館」が2019年に閉館されたそうです。

以下、私が2005年に訪問した際に撮った写真ですが、とてもリアルな蝋人形でした。

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一の谷の合戦、那須与一が扇の的を射るシーン、安徳帝入水、壇ノ浦の合戦など、301体のろう人形で平家物語の名場面を再現しています。

 

閉館されたと聞いて大変残念に感じています。

 

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2022年12月21日 (水)

那須与一ゆかりの祈り岩

香川県高松市の源平屋島合戦古戦場にある那須与一ゆかりの祈り岩

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那須与一が、扇の的に命中するよう一心に祈ったという岩ですが、土に半分埋もれています。

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この岩は源平合戦の時、那須与一宗高が扇の的を射ようとして、この岩に向かい、

「南無八幡大菩薩、別してはわが国の神明日光権現、宇都宮那須湯泉大明神、願わくはあの扇の真中射させ給えかし」

と、神明の加護を祈ったといわれています。

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2018年2月 4日 (日)

五個荘の町(1)那須与一の孫・愚咄ゆかりの弘誓寺

荘町の古い町並みが続く金堂(こんどう)地区にある浄土真宗大谷派の古刹・弘誓寺は、本願寺三世覚如上人の高弟で、那須与一の孫・愚咄(ぐとつ)を開祖とし、正応3年(1290)に創建されました。
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正応5年(1292)には現在の寺号を受け、その後神崎郡躰光寺(たいこうじ)村に移り、天正9年(1581)には現在地の金堂に移転。
 
敷地は移転してきましたが、本尊と祖師親鸞上人真影は、代々受け継がれてきています。
滋賀県下で2番目に大きいという現在の本堂は宝暦5年(1755)に再建されたもので、国の重要文化財に指定されています。
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表門の前の川に錦鯉が泳いでいます。
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2018年1月23日 (火)

那須与一ゆかりの即成院

泉涌寺塔頭の即成院は、伏見長者と称された橘俊綱の創建で、元伏見大亀谷に所在していましたが、明治維新の廃仏毀釈で無住となり、泉涌寺塔頭の法安寺と合併し、明治35年に現在地に移されました。
ご本尊の阿弥陀如来坐像と二十五体の菩薩像が安置されています。
     山門                本堂
 
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   地蔵堂
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即成院は那須与一ゆかりの寺とされ、京都で病にかかった与一が、即成院の阿弥陀如来に祈願したところたちまち回復。以来、阿弥陀如来を肌身はなさず持っていたと伝えられています。

また、「屋島の戦い」の時も一心に阿弥陀如来に祈ったところ、見事に扇の的を射る事が出来たといわれています。
 
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本堂裏には与一の墓とされる石塔があります。
 
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即成院のHPによると
「源義経の家来であった那須与一は、義経の命を受け京に向かう道中、突然の病に倒れました。伏見で療養していた際、与一は、熱心に即成院の阿弥陀さまを信仰したそうです。そして、その霊験で病も癒え、「屋島の戦い」では、平家の船上に掲げた扇の的を見事一発の弓矢にて射抜くという素晴らしい武勲を立てたとされております。
与一はその後、即成院の阿弥陀さまの仏徳を感じ、京都に凱旋して戻り、すぐに出家し、残りの後半の人生を「源平の戦い」で、亡くなった方々の菩提を弔うという人生の選択肢をとり、京の地で平穏に暮らしましたが、最終的には即成院の阿弥陀さまの前で亡くなりました。そしてその後、境内には与一の遺徳を讃え、巨大な石塔のお墓が立てられました。」
 
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毎年、成人の日に「泉涌寺七福神巡り」が開催されます。

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2014年8月 9日 (土)

那須の与一の墓

北向八幡神社の東側に那須神社、道を挟んで那須与一宗高公之墓の石柱 があります。

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この急な階段を上って行くと、与市のお墓があります。

墓地にある墓石ではなく、お堂の中に祀られています。

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与市は、一の谷の合戦に赴く途中、北向八幡神社に武運を祈り、源平合戦後にこの地で亡くなったとの言い伝えがあります。

命日である毎月七日には、当社と墓所に多くの参拝者があるとのことです。

アクセス 須磨区妙法寺円満林 市バス「那須神社前」

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2014年7月30日 (水)

那須の与一ゆかりの北向八幡神社

屋島の戦いで船上の扇の的を射ぬいた源氏の弓の名手・那須の与一ゆかりの北向八幡神社が、神戸市須磨区にあります。

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本殿は、北向きに建立されており、通称「北向きさん」と呼ばれています。

一ノ谷の合戦の時、源義経は村人から、御神威が高く、飛ぶ鳥でさえ社殿の上空を飛べない社があると聞き、那須与一に武運長久を祈らせました。
与一は、戦乱の後、お礼参りに当社を訪れたましが、中風の為に当地で亡くなったと伝えられています。

(当社には、正月に射敵式という神事があったことから与一のことが結びついたのかも・・・)

境内には、土地の人が与一を祀った那須神社があります。

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荒熊神社
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ここを訪れたのは、2008年のこと。
ついつい記事にするにが後回しになってしまいました(^_^;)
画像はその時撮影したものです。

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2011年1月24日 (月)

山種美術館 「歴史を描く」展覧会

東京渋谷の山種美術館で、1月8日(土)~2月17日(木)まで、歴史がテーマの絵画展「歴史を描く」が催されてます。

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先日、この展覧会に出かけて来ました。

Photo

古典を忠実に学んだ伝統的な画風から、想像力豊かな作品まであります。
その中には、「伊勢物語」「平家物語」を主題にした作品、中村岳陵らの合作による絵巻「伊勢物語」、平家物語が主題の小堀鞆音「那須宗隆射扇図」、前田青邨「大物浦」、歴史上の人物編では、信長を描いた「出陣の舞」、菅原道真公を描いた「菅公之像」、(秀吉、家康、淀(茶々)などもあります。)神話や伝説を主題にした作品では、「日本武尊像」「伝説中将姫」、また、上村松園の作品も展示されています。

その中で、最も惹き付けられた作品は、源平合戦の屋島の戦い・那須与一が、舟の上で、平家方の女房が掲げる赤い扇の的を射ろうとしている場面を描いた「那須宗隆射扇図」です。海上の船団は、やわらかな色合いで霞んでいるのに対し、遠方の山々はくっきりと描かれています。
これは、西洋画や東洋山水画の空気遠近法と、平面的なやまと絵の手法がミックスされているそうです。
また、与一の身に付けている武具は、文様やひもに至るまで、繊細に描かれ、赤や緑の色が鮮やかでした。

展覧会の詳細
  ↓ ↓ 

http://www.yamatane-museum.or.jp/exh_next.html

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2006年10月30日 (月)

源平合戦の長い戦闘の一日、もう日が暮れかかった時、沖の平家の小船が源氏軍の方へ向かって来た。舟には若い美女が真っ赤な地色に金の日の丸が描かれた扇を竿に挟み船べりに立て、源氏に向かって手招きしている。
義経は、弓の名手・那須与一に「あの扇を射よ。」と命じた。
与一は「失敗すれば末代までの恥。」と一度は辞退するが、義経の命には逆らえなかった。
与一は馬を海に乗り入れたが、扇の的までは約70m。
風がおさまるのを待ち、
神経を集中し、「南無八幡」と念じて矢を放った。
矢は見事に扇を射抜き、扇はひらひらと海に落ちた。
この様子を見守っていた源平両軍が歓声を上げて与一を褒め称えた。

ドラマではこの扇を掲げる役は、義経の妹・能子でしたね。C_172

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