1160年(永暦元年)、後白河法皇が院の御所(法住寺殿)の鎮守社として、もとは智積院南側に創建したのが始まりです。その後社地は転々としており、江戸時代になって豊国廟社が壊されたのと同時期に旧廟前に移り、現在の社地となったのは、豊国廟が再興された1897年(明治30年)になってからです。
1958年(昭和33年)後白河天皇を増祀し、1959年(昭和34年)に神社名を現在の新日吉神宮と改めました。
楼門
江戸時代には、豊臣家や豊臣秀吉に関するものはすべて壊され、禁止されたのですが、京都での秀吉の人気は高く、秀吉を隠れて崇拝する人々が集ったのが新日吉神宮だったといいます。
境内の樹下社(このもとのやしろ)は豊国神社(ほうこくじんじゃ)とも呼ばれ、この樹下社に、秀吉を信仰をする人々が訪れました。
かつて新日吉神宮が、豊国廟社の跡地に建っていたこと、樹下社の「樹下」と、秀吉の旧名・木下藤吉郎の「木下」、秀吉の幼名「日吉」だったため、新日吉の樹下社にすることでカモフラージュしたそうです。
拝殿
本殿
新日吉神宮の本殿脇にいるのは、狛犬ではなく狛猿。
猿の姿をした神様のお使いで、「魔が去る」とか、「何よりも勝る」との語呂合わせがあるといわれています。
神猿はなぜか金網に入れられています。
その理由として、「神の使いが盗まれてしまわないように」「猿たちが夜な夜な動き出すのを防ぐため」と伝えられています。
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11月、京都の高尾に紅葉狩りに出かけて来ました。
神護寺は、「神願寺」と「高雄山寺」という二つの寺院が天長元(824)年に合併してできた寺です。
開基は和気清麻呂。唐から帰朝した空海も住持を務めました。
しかし、平安時代末期には衰退し、仁安3年(1168年)神護寺を参詣した文覚が、寺が荒れ果てていることを嘆き、再興の勧進を始めました。その後、後白河法皇や源頼朝らの援助を得て、寺の再興は進みました。
寺宝として、伝平重盛像・伝源頼朝像・伝藤原光能像があり、12世紀末の似絵の名手藤原隆信の作とされていますが、1995年に頼朝像は足利直義、重盛像は足利尊氏、光能像は足利義詮の肖像画であるとする新説が発表され、論争が続いています。
この日は祝日に当たり、多くの観光客が訪れていました。
部分的には真っ赤に紅葉しているところもありましたが、見頃まではもう少しという感じでした。
(撮影 11月23日)
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城南宮は白河上皇が造営した鳥羽離宮にあった鎮守社で、歴代の天皇、上皇たちがしばしば行幸しました。
ここは平清盛が安徳天皇を天皇に即位させるために、後白河法皇を幽閉したところでもあります。
また、京都御所の裏鬼門を守る神とされたことから、方除け、厄除けの神として信仰されるようになりました。
寝殿を取り囲む神苑「楽水苑」と呼ばれ、春の山、平安の庭、室町の庭、桃山の庭、城南離宮の庭から成り、春には約150本のしだれ梅が咲き乱れます。
この苑内では、平安時代の衣装をまとい、小川を流れる杯が前を行き過ぎるまでに和歌を詠むという「曲水の宴」が春と秋に催されています。
境内の「菊水若水」は江戸時代から知られる霊水で、今でも伏見の名水として知られています。飲むとあらゆる病気が治るといい、法皇の歯痛も治ったと伝わっています。,
新熊野神社は平安時代末期、後白河天皇によって創建された神社です。
後白河天皇は退位後も、三十三間堂東側の法住寺において院政を敷かれていました。
熊野信仰が盛んなこの時代、上皇は熊野詣に大変熱心で34回も参詣されたといわれています。当時、法住寺は法住寺殿と呼ばれ、その鎮守社として創建されたのがこの新熊野神社、鎮守寺として創建されたのが三十三間堂です。その造営には平清盛が当たりました。
「新熊野」と書いて「いまくまの」と読むのは、紀州の古い熊野し対して、京の新しい熊野という意味があるとのことです。
南紀の旅の記事はまだ途中なのですが、紅葉を見に京都へ行って来ましたので、ここで京都の記事をUPします。
泉湧寺の近くに今熊野観音寺というお寺があります。
今熊野観音寺は熊野権現のお告げを受けた空海がお堂を建てたのが始まりで、熊野権現を篤く信仰していた後白河天皇が今熊野の地に熊野那智権現を勧請したので新那智山とも呼ばれています。
頭痛持ちで苦しんでいた後白河天皇の枕元に観音様が現れて頭痛が治ったという話が伝えられていて、頭痛封じ、ボケ封じ、知恵授けのご利益で名高いお寺です。
また紅葉の名所としても知られ、境内一面に広がるモミジが見事でした。
私は頭痛持ちなので、頭痛封じの枕カバーを買いました。
効果は?
まだ使ってないのでわかりません。(笑)
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