滝口入道・横笛

2017年12月29日 (金)

滝口寺(2)横笛高野山へ

次に横笛が訪ねて来たら心が動いてしまうかもしれないと思った入道は、嵯峨 から高野山へと移って行きます。
 
ある日、横笛は入道が高野山にいることを知ります。想いを捨てきれない横笛は、女人禁制の高野山にに一番近い天野の里へ移ります。しばらくして、入道もまたある僧から天野の里の横笛の話を聞き、彼女に歌を送ります。
 
そるまでは 恨みしかど梓弓 真の道に入るぞうれしき
 
それに対して、横笛は
 
そるとても 何か恨まん梓弓 引き止むべき心ならねば
と返しました。
 
入道を想う横笛は、次第に病に侵されていきます。
 
入道は、横笛にまた歌を送り、
 
高野山 名をだしに知らで 憂きをよそなる 我身なりせば(入道)
 
横笛はそれに答えます。
 
やよや君 死すれば登る高野山 恋も菩提の種とこそなれ(横笛)
 
病が重くなった横笛は、生涯入道のことを想いながら、わずか19歳でこの世を去りました。天野の里の人々は、彼女を弔うために、庵のそばに塚を作りました。(横笛のお墓は、和歌山県かつらぎ町天野にあります。)
 
その後、入道は高野山・大円院の8代住職となり、阿浄と称しました。
ある日、入道は、大円院の庭の梅の木に鶯がとまっているのに気がつきます。阿浄を見つめるようにさえずり、舞い上がった鶯は、急に弱々しくなり、井戸の中へと落ちていきました。阿浄は思わず「横笛」と叫び、井戸へ駆け寄ります。その鶯の姿が、入道には横笛に見えたのでした。
阿浄はその鶯の亡骸を胎内に納めて、阿弥陀如来像を彫ります。この像は、鶯阿弥陀如来像として大円院の本尊となり、梅の木を鶯梅(おうばい)、井戸を鶯井(うぐいすい)と呼んで、大切にしているそうです。
高野山の記事はコチラをご覧下さい。→高野山を訪ねて
 
滝口寺のお堂には、入道と横笛の木像が安置されています。
この世では結ばれない二人でしたが、心は永遠に結ばれているのかもしれません。
横笛の死については、他の説もあります。「源平盛衰記」では、17歳の横笛は嵯峨野の大堰川に身を投げます。そのことを知った入道は大堰川に駆けつけます。彼女の遺体を火葬し、彼女の骨を自ら首にかけて、寺を供養して歩き、高野山の奥の院に卒塔婆を立てて、弔ったといわれています。
現在滝口寺の本堂は修復中です。
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2017年12月22日 (金)

滝口寺(1)滝口入道と横笛

祇王寺からさらに石段を奥に進むと滝口寺につきあたります。
 
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滝口寺は、武士の身分から仏門に入った滝口入道と、建礼門院の仕女・横笛の悲恋の舞台として知られています。
 
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平重盛に仕えていた斉藤時頼は、建礼門院に仕える身分の低い横笛に恋していました。しかし、時頼の父は、時頼を身分の高い女性を結ばせたかったので、横笛とのことを反対していました。時頼は、父にそむくこともできず、横笛との実らぬ恋に絶望し、仏門に入り、滝口入道となります。
 
仏門に入った入道は、嵯峨の往生院(滝口」寺)で修行に励みました。
横笛は、時頼のことを諦めきれず、入道に会うために、嵯峨野を訪ねます。
ついに入道の居場所をつきとめますが、入道は自分の心が乱れないようにと、会うことを拒みました。嘆き悲しんだ横笛は、近くにあった石に指の血で歌を書き残しました。
 
深み思い入りぬる芝の戸の まことの道に我れを導け
 
境内には入道と横笛の歌問答旧跡があります。
 
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奥にあるのが、横笛が自分の血で歌を書いたという石です。

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2017年1月25日 (水)

高野山を訪ねて(10)滝口入道・横笛ゆかりの大圓院

大圓院は、延喜年間(901~923)に聖宝理源大師により開設されました。
この時は多聞院と呼ばれていました。
 
表門
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寛永2年(1625年)の建築
 
玄関
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本堂
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12世紀頃、第8代住職を務めた阿浄とは、高山樗牛の小説『滝口入道』で有名な滝口入道のことです。
出家前の名前は斎藤時頼で、平重盛に仕える平家の武将でした。
 
ここ大圓院には、入道と横笛の悲恋が伝えられています。
滝口入道が大円院の縁にいた時、一羽の鶯が梅の木にとまり、綺麗な声で一声鳴くとその木の下にある井戸にポトリと落ちて、死んでしまいました。この鶯は、横笛の化身であり、高野山の滝口入道に会いに飛んで来たといわれる寺伝があります。
入道は、その鶯が横笛だと気づき、横笛の菩提を弔うため、阿弥陀如来の胎内に亡くなった鶯(横笛)を収め、「鶯の弥陀」として大圓院の本尊としました。
 
横笛碑
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鶯になった横笛がとまりにきた「鶯梅(おうばい)」という紅梅。
 
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鶯になった横笛が落ちたとされる鶯の井戸
 
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1600年(慶長5年)頃、柳川藩主・立花宗茂の帰依により宗茂の法号である大円院殿をもらい、寺名を「大圓院」に改称しました。
 
鐘楼
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貞享5年(1688)鋳造

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2012年5月25日 (金)

横浜三渓園の横笛庵

横浜の三渓園横笛庵という建物があります。

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建物内に横笛の像が安置されていたことから横笛庵と呼ばれていますが、横笛の像は、戦争の際に失われてしまいました。

横笛は、高倉天皇の中宮 建礼門院に仕え、平清盛の従者である斉藤時頼(滝口入道)と悲恋に終わった女性です。 横笛が、他の人々の恋が実ることを願って、時頼から寄せられた千束の恋文で作った己の像は、縁結びの像」として知られていました。

(案内板、三渓園HP参照)


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2008年9月26日 (金)

滝口寺

祇王寺から石段を少し昇って滝口寺

ここは、「平家物語」の滝口入道こと斉藤時頼と建礼門家の侍女・横笛悲恋の地として知られています。

身分の違いから許されなかった恋

境内には、入道に会えない横笛が、指を切って、そので書いたという横笛が残されてます。

本堂には、入道と横笛の木像が安置されています。

横笛は、川に身を投げたとも、出家したとも言われていますが、
あの世では、再び入道と巡り合うことができたのでしょうか?

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2007年5月 5日 (土)

横笛と入道の悲恋 大堰川(おおいがわ)

春の嵐山へ行って来ました。

嵐山のシンボルである渡月橋がまたがる大堰川(おおいがわ)は、横笛の悲恋の舞台です。
建礼門院の侍女・横笛と平重盛に仕える武士・斉藤時頼は愛し合っていましたが、身分違いということから、時頼の父に反対され、横笛に対する気持ちを断ち切るため、時頼は嵯峨に出家し、滝口入道となります。
嵯峨にまで時頼を追いかけて来た横笛を入道は追い返し、、絶望した横笛は大堰川に身を投げたいう話が伝わっています。

横笛については高野山まで入道を追った後、出家し、奈良の法華寺において生涯を終えたとの話もあります。
これについては過去の記事 滝口入道と横笛をご覧ください。Img_0390c Img_0402c

2006年6月21日 (水)

法華寺(2) 本堂

桃山時代に建築された本堂には、光明皇后がモデルという木造十一面観音立像(国宝)、乾漆維摩居士坐像(重文)、横笛像などが安置されている。

横笛像は、横笛が滝口入道との間に交わされた文がらをもって自らの姿を作ったものとされています。

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2006年6月19日 (月)

法華寺(1)横笛堂

奈良の法華寺の境内には、平家物語に登場する建礼門院の雑士女・横笛が出家後、移り住んだという横笛堂がある。横笛は斉藤時頼(後の滝口入道)とのかなわぬ恋の行く末、出家し、この横笛堂で仏門に励んだといわれている。

滝口入道と横笛については1/16~1/25に掲載してありますのでご覧下さい。
http://shizuka.cocolog-tnc.com/shizuka/2006/01/index.html

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2006年1月22日 (日)

滝口寺(7)滝口入道と横笛

横笛の死については、他の説もあります。「源平盛衰記」では、17歳の横笛は嵯峨野の大堰川に身を投げます。そのことを知った入道は大堰川に駆けつけます。彼女の遺体を火葬し、彼女の骨を自ら首にかけて、寺を供養して歩き、高野山の奥の院に卒塔婆を立てて、弔ったといわれています。

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2006年1月21日 (土)

滝口寺(6)滝口入道と横笛

阿浄はその鶯の亡骸を胎内に納めて、阿弥陀如来像を彫ります。この像は、鶯阿弥陀如来像として大円院の本尊となり、梅の木を鶯梅(おうばい)、井戸を鶯井(うぐいすい)と呼んで、大切にしているそうです。

滝口寺のお堂には、入道と横笛の木像が安置されています。この世では結ばれない二人でしたが、心は永遠に結ばれているのかもしれません。3_b

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