源範頼の別荘地「龍泉寺」(2) 本堂
しかし、建久4年(1193年)5月28日、曾我兄弟の仇討ちにより、頼朝が討たれたとの誤報が入ると、範頼は北条政子に「後にはそれがしが控えておりまする」と述べた発言が源頼朝に謀反の疑いを招き、け伊豆修禅寺で自刃に追い込まれたといいます。その際、範頼が愛馬が、範頼の首をくわえ、範頼の別荘のあった龍泉寺まで走り続け、池のまわりを三回まわって倒れたと伝えられています。
蒲冠者源範頼公桜
稲荷山龍泉寺のあるこの辺りは平安時代蒲氏の別荘地でした。
源範頼公(1154~1193)は鎌倉幕府を開いた源頼朝の弟で
「蒲御厨」(旧蒲・和田・飯田の範囲)で生まれ育ちました。
範頼公ゆかりの桜が埼玉県北本市東定寺(天然記念物石戸蒲桜)と
三重県鈴鹿市上野町の御曹司桜(石薬師蒲桜)にあります。
平成十五年二月九日上野町の方々のご厚意により
「石薬師蒲桜」の苗が範頼公の古里に移植されました。
龍泉寺に植えられたこの桜を「範頼公」と命名し、
範頼公とともに当地で愛されるようにと願っています。
平成十五年八月二十四日範頼公没後810年記念(碑文より)
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