源範頼

2026年2月 8日 (日)

修善寺の旅(2)源範頼の終焉の地・日枝神社の信功院跡

修善寺の日枝神社は、隣にある修禅寺の鬼門に当たり、もとは修禅寺の山王社(鎮守)で弘法大師の建立といわれています。

1_20260208153701

明治初年(1868)の神仏分離令により分離されました。

境内には、源範頼が幽閉されていた信功院があった場所でもあります。

源範頼は、義経とは対照的に、常に頼朝に従順な態度を示し、異心なきを誓っていましたが、建久4(1193)年、曾我兄弟の仇討ち事件への対処方が疑われ、伊豆国修禅寺に幽閉されました。

その後、梶原景時に攻められ自刃したと伝えられています。

2_20260208153701

建久4年(1193年)5月28日、曾我兄弟の仇討ちが起こり、頼朝が討たれたとの誤報が入ると、嘆く政子に対して範頼は「後にはそれがしが控えておりまする」と述べた。この発言が頼朝に謀反の疑いを招いたとされる。ただし政子に謀反の疑いがある言葉をかけたというのは『保暦間記』にしか記されておらず、また曾我兄弟の事件と起請文の間が二ヶ月も空いている事から、政子の虚言、また陰謀であるとする説もある。

8月2日、範頼は頼朝への忠誠を誓う起請文を頼朝に送る。しかし頼朝はその状中で範頼が「源範頼」と源姓を名乗った事を過分として責めて許さず、これを聞いた範頼は狼狽した。10日夜、範頼の家人である当麻太郎が、頼朝の寝所の下に潜む。気配を感じた頼朝は、結城朝光らに当麻を捕らえさせ、明朝に詰問を行うと当麻は「起請文の後に沙汰が無く、しきりに嘆き悲しむ参州(範頼)の為に、形勢を伺うべく参った。全く陰謀にあらず」と述べた。次いで範頼に問うと、範頼は覚悟の旨を述べた。疑いを確信した頼朝は、17日に範頼を伊豆国に流した(『吾妻鏡』)。

8月17日、伊豆国修禅寺に幽閉される。

『吾妻鏡』ではその後の範頼については不明だが、『保暦間記』『北條九代記』などによると誅殺されたという。ただし、誅殺を裏付ける史料が無いことや子孫が御家人として残っていることから後述のような異説の背景になっている。

8月18日には、範頼の家人らが館に籠もって不審な動きを見せたとして結城朝光、梶原景時父子、仁田忠常らによって直ちに討伐され、また20日には曾我兄弟の同腹の兄弟(異父兄弟)である原小次郎(北条本『吾妻鏡』や『曽我物語』では「京の小次郎」)という人物が範頼の縁座として処刑されている。
(Wikipediaより)

3_20260208153701

4_20260208153701

5_20260208153701

信功院跡
修禅寺の八塔司の一つである信功院があった所です。
建久4年(1193年)、源範頼は兄である頼朝の誤解により、この信功院に幽閉されました。
翌年、梶原景時率いる五百騎の不意打ちに合い、範頼は防戦の末に自害したと云われています。
信功院は後に庚申堂となり、今は、文政元年(1818年)建立の庚申塔が一基残っています。

ブログランキングに参加しています。

応援よろしくお願いします!

にほんブログ村 歴史ブログ 歴女・女性歴史ファンへ
にほんブログ村

 

偉人・歴史人物ランキング
偉人・歴史人物ランキング

2026年1月31日 (土)

修善寺の旅(1)源範頼、頼家が幽閉された修禅寺

修善寺温泉街の中心にある修禅寺

1_20260131173801

地名は「修善寺」ですが、寺名は「修禅寺」と表記が異なります。

807年(大同2年)に空海が創建したと伝えられています。

2_20260131173901

当時は周辺の地名が桂谷であったことから、桂谷山寺と言われていましたが、鎌倉時代初期には修禅寺の名称が定着し、寺領も修禅寺と呼ばれるようになりました。

手水舎から出ているのは温泉です。

3_20260131173801

4_20260131173901

現在の本堂は1883年(明治16年)に再建したもの。

5_20260131173801

岡本綺堂の「修禅寺物語」の舞台、また、源頼朝の弟の源範頼と、頼朝の息子で鎌倉幕府2代将軍の源頼家が当寺に幽閉され、その後この地で殺害された寺としても知られています。

但し、範頼に関しては殺害を裏付ける史料が残っていないことや子孫が御家人として残っているということから生存説が伝わっています。

6_20260131173801

修禅寺
 修善寺温泉発祥の寺で、平安初期の大同2年(807年)弘法大師が開基したもので、当時は地名が桂谷と呼ばれていたところから「桂谷山寺」と言われ、伊豆国禅院一千束と正史に記されたほどの格式の高い寺であった。
 鎌倉初期になって建長年間(1250年頃)に蘭渓道隆(臨済宗鎌倉建長寺開山の宋禅僧)が住し、桂谷の風致が支那の廬山に似ていることから「肖廬山」と号した。
 南北朝時代の康安元年(1361年)に畠山国清と足利基氏との戦禍を受け、応永9年(1401年)には火災を蒙り、伽藍を全焼して寺は荒廃し衰退した。
 その後、延徳元年(1489年)に至り、韮山城主の北条早雲が再興し、叔父の隆渓繁紹禅師が住して曹洞宗に改宗だれ山号も「福地山」と改められ今日に至っている。
   伊豆市

7_20260131173801

訪ねたのは4月下旬、美しい新緑に包まれた境内が出迎えてくれました。

8_20260131173801
9_20260131173801

ブログランキングに参加しています。

応援よろしくお願いします!

にほんブログ村 歴史ブログ 歴女・女性歴史ファンへ
にほんブログ村

 

偉人・歴史人物ランキング
偉人・歴史人物ランキング

2022年7月27日 (水)

源範頼の別荘地「龍泉寺」(2) 本堂

龍泉寺の本堂
2022030623282825b-1


しかし、建久4年(1193年)5月28日、曾我兄弟の仇討ちにより、頼朝が討たれたとの誤報が入ると、範頼は北条政子に「後にはそれがしが控えておりまする」と述べた発言が源頼朝に謀反の疑いを招き、け伊豆修禅寺で自刃に追い込まれたといいます。その際、範頼が愛馬が、範頼の首をくわえ、範頼の別荘のあった龍泉寺まで走り続け、池のまわりを三回まわって倒れたと伝えられています。

20220306232832168-1

20220306232948d44

蒲冠者源範頼公桜
稲荷山龍泉寺のあるこの辺りは平安時代蒲氏の別荘地でした。
源範頼公(1154~1193)は鎌倉幕府を開いた源頼朝の弟で
「蒲御厨」(旧蒲・和田・飯田の範囲)で生まれ育ちました。
範頼公ゆかりの桜が埼玉県北本市東定寺(天然記念物石戸蒲桜)と
三重県鈴鹿市上野町の御曹司桜(石薬師蒲桜)にあります。
平成十五年二月九日上野町の方々のご厚意により
「石薬師蒲桜」の苗が範頼公の古里に移植されました。
龍泉寺に植えられたこの桜を「範頼公」と命名し、
範頼公とともに当地で愛されるようにと願っています。
平成十五年八月二十四日範頼公没後810年記念(碑文より)


20220306232951d4b

20220306234138d0b

20220306232949ba4-1

ブログランキングに参加しています。

応援よろしくお願いします!

にほんブログ村 歴史ブログ 歴女・女性歴史ファンへ
にほんブログ村

 


偉人・歴史人物ランキング

 

 

2022年7月19日 (火)

源範頼の別荘地「龍泉寺」(1) 範頼桜

浜松市南区飯田町の稲荷山龍泉寺のあるこの辺りは平安時代、源範頼の別荘地でした。

20220306232546d1b 20220306232545d74

20220306232548558

この境内は源頼朝公の弟、範頼公の別荘地であった。
当時京都の稲荷神社から稲荷明神を迎えお祠りしていた。
その後、享徳3年(1254)この別荘地を寺とし、稲荷山龍泉寺と称した。
以後、範頼公を寺の開基として境内の南東に供養塔(五輪塔)を建立し奉祠している。
この塔から50m南には、範頼公の愛馬を葬った駒塚がある。
また、境内北西には範頼公近臣 勝間田五郎の冑中守本尊摩利支尊天をお祠りしてある。
本堂前には平成15年8月24日範頼公没後810年を機に範頼公ゆかりの桜御曹司社「石薬師蒲桜」の幼苗が三重県鈴鹿市上野町から贈られ、「範頼桜」と命名され定植されている。(駒札より)

20220306232551e25 2022030623254943d

幼い頃を蒲神明宮(浜松市東区)で過ごした範頼は、兄の頼朝の挙兵後、弟の義経とともに西国で平氏追討の任につき、平氏滅亡後は九州の経営に当たりました。

202203062328265ce 20220306232829a87

ブログランキングに参加しています。

応援よろしくお願いします!

にほんブログ村 歴史ブログ 歴女・女性歴史ファンへ
にほんブログ村

 


偉人・歴史人物ランキング

 

 

2012年11月12日 (月)

修善寺の旅(1)源範頼ゆかりの日枝神社

2010年の秋に旅した修善寺編をスタートします。

すでにアップしたつもりでいたのですが、まだでした~(^_^;)


まず最初に訪れたのが、源範頼ゆかりの日枝神社です。



ここは、兄・頼朝に、謀反の疑いをかけられ、修善寺に幽閉された範頼が自害した場所です。















源 範頼(みなもと の のりより)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武将。河内源氏の流れを汲む源義朝の六男。源頼朝の異母弟で、源義経の異母兄。遠江国蒲御厨(浜松市)で生まれ育ったため蒲冠者(かばのかんじゃ)、蒲殿(かばどの)とも呼ばれる。その後、藤原範季に養育され、その一字を取り「範頼」と名乗る。治承・寿永の乱において、頼朝の代官として大軍を率いて源義仲・平氏追討に赴き、義経と共にこれらを討ち滅ぼす大任を果たした。その後も源氏一門として、鎌倉幕府において重きをなすが、のちに頼朝に謀反の疑いをかけられ誅殺された。(Wipediaより)

修善寺とは違って、訪れる人がなく、ひっそりとしていました。

応援のポチッのご協力お願いします。

人気ブログランキングへ

2006年7月 4日 (火)

源範頼の生い立ち

源義朝の六男で、頼朝の異母弟、義経の異母兄にあたる。
母は遠江池田宿(静岡県磐田市)の遊女で、遠江蒲御厨(浜松市蒲町)で生まれたことから蒲冠者と呼ばれた。その後、藤原範季に養育され、「範季」から一字取って「範頼」と名乗った。
頼朝の挙兵後は、義経と共に木曽義仲討伐、平家追討のために力を尽くしたが、義経の死後、頼朝に謀反をかけられ、伊豆の修善寺で殺された。

FC2ブログランキング参加中!

投票にご協力お願いします⇒FC2 Blog Ranking

範頼の関する浜松の史跡は過去の記事、2005年8月6日「源範頼」をご覧下さい。

http://shizuka.cocolog-tnc.com/shizuka/2005/08/index.html

2006年7月 3日 (月)

源範頼の末裔の屋敷 

浜松市雄踏町に一般公開されている中村家住宅という重要文化財があります。

中村家の初代・中村正範(まさのり)は源範頼の末裔の武士で大和国広瀬郡中村郷に住んだ。1481年に14代正實(まさざね)が今川氏に招かれ、遠国江磐田郡に領地を賜り、1483年に宇布見に屋敷を構えた。
1574年には徳川家康の側室・お万の方が家康の第二子である於義丸(後の結城秀康)を当屋敷で出産し、その時の胞衣塚が庭にある。
以降、中村家は今切軍船兵糧奉行や代官を勤めてきた。
31代幸八は昭和24年から衆議院議員として長く政界で活躍した。

(中村家パンフレット参照)

FC2ブログランキング参加中!

投票にご協力お願いします⇒FC2 Blog Ranking

                               胞衣塚 2c_19 2c_20 C_32 1c_15

              

2005年8月 6日 (土)

源範頼

源義朝の六男で、義経の異母兄。母は遠州池田宿の遊女。

蒲御厨(かばのみくりや)で生まれたため、蒲冠者(かばのかじゃ)ともいわれている。

koyasujinjya_torii 子安神社(浜松市子安町)の鳥居  

                 

koyasujinjya_honden

子安神社 本殿 

 範頼が、娘の出産の無事を祈って建てたという。

b 子安神社 由緒  

                          

 

蒲神明宮は浜松一の古社である。範頼はこの辺りで育った。

蒲神明宮 

                             b b b             b  b      b         

                  

 

 稲荷山龍泉寺(浜松市飯田町)この辺りに蒲氏の別荘があった。        b b b         b          b         

b

その他のカテゴリー

イベント 三浦義村 丹後局 亀井六郎 京菓子 仁田忠常 今井兼平 今若(全成) 伊東祐親 伊東祐隆 佐竹義重 佐藤継信・忠信 俊寛 八条女院 八重姫 六代御前 北条政子 北条時房 北条時政 北条時頼 北条氏 北条泰時 北条義時 北条長時 千葉氏 和田義盛 土佐坊昌俊 堀河天皇 大姫 大庭景親 大河ドラマ展 安徳天皇 安達泰盛 安達盛長 富樫泰家 小督 尼御前 山吹御前 崇徳院 嵯峨天皇 巴御前 常盤御前 平宗盛 平康頼 平忠度 平忠盛 平敦盛 平時子(二位尼) 平時忠 平景清 平業盛 平清宗 平清盛 平盛俊 平知盛 平知章 平経正 平維盛 平親範 平道盛 平重盛 平重衡 平頼盛 建礼門院 弁慶 待賢門院 後嵯峨天皇 後白河天皇 後醍醐天皇 後鳥羽上皇 文覚上人 斉藤実盛 日蓮 曾我兄弟 木曽義仲 松尾芭蕉 梶原景季 梶原景時 比企氏 法然上人 浄瑠璃姫 清和天皇 渡辺綱 湛増 源実朝 源平グッズ 源朝長 源満仲 源為義 源範頼 源経基 源義光 源義家 源義朝 源義経 源頼信 源頼光 源頼家 源頼政 源頼朝 源頼義 滋賀のイベント・観光情報 滝口入道・横笛 熊谷直実 熊野御前 畠山重忠 白河天皇 祇園祭 祇王・祇女・仏御前 美福門院 義経ゆかりの地を訪ねて 藤原師長 藤原秀衡 袈裟御前 西行 近江路・歴女ブロガーの旅紀行 近衛天皇 那須与一 金売り吉次 長田忠致 阿古屋 阿波内侍 静御前 順徳天皇 高倉天皇 鬼一法眼 鳥羽天皇

2026年2月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28

カテゴリー

無料ブログはココログ