源範頼

2012年11月12日 (月)

修善寺の旅(1)源範頼ゆかりの日枝神社

2010年の秋に旅した修善寺編をスタートします。

すでにアップしたつもりでいたのですが、まだでした~(^_^;)


まず最初に訪れたのが、源範頼ゆかりの日枝神社です。



ここは、兄・頼朝に、謀反の疑いをかけられ、修善寺に幽閉された範頼が自害した場所です。















源 範頼(みなもと の のりより)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武将。河内源氏の流れを汲む源義朝の六男。源頼朝の異母弟で、源義経の異母兄。遠江国蒲御厨(浜松市)で生まれ育ったため蒲冠者(かばのかんじゃ)、蒲殿(かばどの)とも呼ばれる。その後、藤原範季に養育され、その一字を取り「範頼」と名乗る。治承・寿永の乱において、頼朝の代官として大軍を率いて源義仲・平氏追討に赴き、義経と共にこれらを討ち滅ぼす大任を果たした。その後も源氏一門として、鎌倉幕府において重きをなすが、のちに頼朝に謀反の疑いをかけられ誅殺された。(Wipediaより)

修善寺とは違って、訪れる人がなく、ひっそりとしていました。

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2006年7月 4日 (火)

源範頼の生い立ち

源義朝の六男で、頼朝の異母弟、義経の異母兄にあたる。
母は遠江池田宿(静岡県磐田市)の遊女で、遠江蒲御厨(浜松市蒲町)で生まれたことから蒲冠者と呼ばれた。その後、藤原範季に養育され、「範季」から一字取って「範頼」と名乗った。
頼朝の挙兵後は、義経と共に木曽義仲討伐、平家追討のために力を尽くしたが、義経の死後、頼朝に謀反をかけられ、伊豆の修善寺で殺された。

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範頼の関する浜松の史跡は過去の記事、2005年8月6日「源範頼」をご覧下さい。

http://shizuka.cocolog-tnc.com/shizuka/2005/08/index.html

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2006年7月 3日 (月)

源範頼の末裔の屋敷 

浜松市雄踏町に一般公開されている中村家住宅という重要文化財があります。

中村家の初代・中村正範(まさのり)は源範頼の末裔の武士で大和国広瀬郡中村郷に住んだ。1481年に14代正實(まさざね)が今川氏に招かれ、遠国江磐田郡に領地を賜り、1483年に宇布見に屋敷を構えた。
1574年には徳川家康の側室・お万の方が家康の第二子である於義丸(後の結城秀康)を当屋敷で出産し、その時の胞衣塚が庭にある。
以降、中村家は今切軍船兵糧奉行や代官を勤めてきた。
31代幸八は昭和24年から衆議院議員として長く政界で活躍した。

(中村家パンフレット参照)

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                               胞衣塚 2c_19 2c_20 C_32 1c_15

              

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2005年8月 6日 (土)

源範頼

源義朝の六男で、義経の異母兄。母は遠州池田宿の遊女。

蒲御厨(かばのみくりや)で生まれたため、蒲冠者(かばのかじゃ)ともいわれている。

koyasujinjya_torii 子安神社(浜松市子安町)の鳥居  

                 

koyasujinjya_honden

子安神社 本殿 

 範頼が、娘の出産の無事を祈って建てたという。

b 子安神社 由緒  

                          

 

蒲神明宮は浜松一の古社である。範頼はこの辺りで育った。

蒲神明宮 

                             b b b             b  b      b         

                  

 

 稲荷山龍泉寺(浜松市飯田町)この辺りに蒲氏の別荘があった。        b b b         b          b         

b

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