下関の厳島神社
下関上新地の厳島神社は、「嚴島神社記録帳」によると、平家の守護神として安芸国嚴島神社の御分霊を安徳天皇の御座船に祀っていましたが、壇ノ浦の戦い後、磯辺に放棄されていました。後に里人に神託があって、「吾は嚴島姫の神也、早く祭るべし、かしこの磐之上にあり」と、ふしぎに思いながらそこに行って見ると、磯辺に御鏡太刀様の物をみつけ、1185年(文治元年)里人たちが社殿を建立し、更に安芸国厳島神社より御分霊をあらためて勧請しました。
壇ノ浦の合戦の後、各地に落ち延びた平家の武者たちは、隠れ住みながらも、嚴島三神を祀りました。そして、勝者である源氏においても、嚴島三神の神威を尊び、斎き祀ることを咎めることなく丁重な対応をとったといいます。(長門国嚴島神社HPより)
宗像三神(「厳島三神」)として以下の三つの神を祀っています。
市杵島姫命(いつきしまひめのみこと)
田心姫命(たごりひめのみこと)
湍津姫命(たぎつひめのみこと)
慶応2年(1866)の小倉戦争の戦利品として、奇兵隊が小倉城から持ち帰った大太鼓が、境内に飾られてあります。
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