文覚上人

2023年8月13日 (日)

文覚上人屋敷跡

昨年まわった鎌倉の史跡巡りより、文覚上人ゆかりの史跡を紹介します。

金沢街道から大御堂橋を渡ったところに文覚上人の屋敷跡の石碑があります。

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文覚上人の出家前の名は遠藤盛遠と言います。
以前は上西門院の警備をしていましたが、18歳の時に源渡の妻袈裟御前に想いをよせ、源渡を殺そうとして、誤って袈裟御前を殺してしまいました。
これを深く悔いて僧となりました。
その修行は凄まじいもので、厳寒の時も、猛暑の中でも外で寝て、滝に打たれ、死にかけたともありました。
養和2年4月、源頼朝の本願として、弁財天を江ノ島に勧請し、 ここで参籠し、37日もの間、食を断ち祈り続けたと言われています。
この場所がその文覚が住んでいた屋敷の跡です。(碑文より)


大蔵幕府跡からも近く、いかに文覚が幕府に対して権限を持っていたかを窺い知ることができます。

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文覚

生没年未詳。平安末~鎌倉初期の僧。俗名遠藤盛遠(えんどうもりとお)。摂津の渡辺党の遠藤茂遠(もちとお)の子。初め上西門院(じょうさいもんいん)に仕えたが、同僚の源渡(みなもとのわたる)の妻袈裟(けさ)に恋慕し、誤って彼女を殺したのが動機で出家し、諸国の霊場を遍歴、修行した。文覚は空海(くうかい)を崇敬し、1168年(仁安3)その旧跡である神護寺(じんごじ)に住み、修復に努めた。1173年(承安3)後白河(ごしらかわ)法皇の御所法住寺(ほうじゅうじ)殿を訪ね、神護寺興隆のために荘園(しょうえん)の寄進を強請して伊豆(いず)に流され、そこで配流中の源頼朝(よりとも)に会った。1178年(治承2)許されて帰京したが、流されてのちも文覚は信仰の篤い法皇への敬愛の情を失わず、翌1179年、平清盛(たいらのきよもり)が法皇を幽閉したのを憤り、伊豆の頼朝に平氏打倒を勧め、1180年には平氏追討を命ずる法皇の院宣(いんぜん)を仲介して、頼朝に挙兵を促した。1183年(寿永2)法皇から紀伊(きい)国桛田荘(かせだのしょう)を寄進されたのをはじめとして、法皇や頼朝から寺領の寄進を受け、神護寺の復興に努力した。1190年(建久1)には神護寺の堂宇はほぼ完成し、法皇の御幸を仰いだ。文覚はさらに空海の古跡である東寺(とうじ)の復興をも図り、1189年(文治5)播磨(はりま)国が造営料国にあてられ、文覚は復興事業を主催し、1197年には諸堂の修造を終えた。しかし1192年に法皇が没し、1199年(正治1)に頼朝が没すると、文覚は後援者を失い、内大臣源通親(みちちか)の策謀で佐渡に流された。1202年(建仁2)許されて帰京したが、後鳥羽(ごとば)上皇の怒りを買い、翌1203年、さらに対馬(つしま)に流され、やがて没した。(コトバンクより)

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2011年12月10日 (土)

紅葉の神護寺

11月、京都の高尾に紅葉狩りに出かけて来ました。

神護寺
は、「神願寺」と「高雄山寺」という二つの寺院が天長元(824)年に合併してできた寺です。

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開基は和気清麻呂。唐から帰朝した空海も住持を務めました。
しかし、平安時代末期には衰退し、仁安3年(1168年)神護寺を参詣した文覚が、寺が荒れ果てていることを嘆き、再興の勧進を始めました。その後、後白河法皇源頼朝らの援助を得て、寺の再興は進みました。

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寺宝として、伝平重盛像・伝源頼朝像・伝藤原光能像があり、12世紀末の似絵の名手藤原隆信の作とされていますが、1995年に頼朝像は足利直義、重盛像は足利尊氏、光能像は足利義詮の肖像画であるとする新説が発表され、論争が続いています。

この日は祝日に当たり、多くの観光客が訪れていました。
部分的には真っ赤に紅葉しているところもありましたが、見頃まではもう少しという感じでした。
(撮影 11月23日)

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2008年7月19日 (土)

東寺

京都のシンボルともいえる東寺の正式名は、教王護国寺といい、世界遺産に登録されています。
平安遷都の794年、羅生門の東に創建された守護寺が前身で、後に弘法大師に下賜されて、真言密教の道場とされました。
825年には空海が講堂を築造、翌年には五重塔の造営に着手、828年に綜芸種智院を建立。
空海の死後、荒廃した時期もありましたが、高雄にいた文覚が、後白河天皇の援助を得て、再興に着手、さらに頼朝の援助を受け、復興しました。
以後、盛衰を繰り返し現在に至ります。

弘法大師の命日にあたる毎月21日は、「弘法さん」として知られる市が開かれます。

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2006年8月27日 (日)

成就院(1)伝文覚上人荒行像

紫陽花の咲く6月に訪れた鎌倉。
紫陽花で有名な鎌倉・成就院へ出かけた。
境内の紫陽花を写していると、ふと一つの像に目が止まった。
伝文覚上人荒行像」・・・平安時代、文覚上人が自ら彫ったという木像。この木像は「日本のロダン」と称される彫刻家・萩原守衛の作品「文覚」の製作に多大な影響を与えたという。
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2006年8月 2日 (水)

文覚上人(3)文覚上人屋敷跡

その他、文覚は、平維盛の嫡男・六代の命乞いをするなど、隠れたところで活躍をした。
文覚の屋敷跡の石碑が、金沢街道から大御堂橋を渡ったところにある。大蔵幕府跡からも近く、いかに文覚が幕府に対して権限を持っていたかを知り得ることができる。C_94

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2006年8月 1日 (火)

文覚上人(2)頼朝の挙兵

伊豆に流された文覚上人は、そこで頼朝に出会い、挙兵を勧める。
挙兵を渋る頼朝に、文覚は頼朝の父・義朝のものだと言って、しゃれこうべを差し出した。
しかし、それは獄舎の前に落ちていたのを拾ったものだった。(後に文覚は本物の義朝の骨を頼朝に届けたという)
文覚の気迫に後押しされ、1180年、頼朝は挙兵し、1182年、文覚に命じ、江ノ島に弁才天を建てさせた。
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2006年7月31日 (月)

文覚上人(1)袈裟御前

俗名は遠藤盛遠。
もとは北面の武士であったが、同僚の源渡(みなもとのわたる)の妻・御前に恋してしまう。
袈裟御前に執拗に言い寄る盛遠に困り果てた袈裟はある決心をする。
わざと盛遠に夫を殺すように仕向け、自分が身代わりになったのだった。
そうとは知らぬ盛遠は、切り落とした首を見てみたら、袈裟のものであった。
ショックのあまり、盛遠は袈裟の首を持って鞍馬のあちこちを逃げ回った。
やがて出家し文覚となり、凄まじい荒行を行う。
その後、荒廃していた京都の神護寺を再興しようと後白河法皇に強訴した為、伊豆に配流された。

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