平康頼

2006年11月17日 (金)

厳島神社(9)康頼灯籠

その後、康頼と成経は都へ返されることが許された。
この理由として、「平家物語」では清盛の娘の徳子(建礼門院)の懐妊に伴う大赦をあげている。徳子は着帯後、物の怪に悩まされ、その霊祓いの意味もこめて大赦を行ったようである。


厳島神社にある「康頼灯籠」は、康頼が都へ帰った際、感謝の想いをこめて寄進したものとされている。C_176

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2006年11月15日 (水)

厳島神社(8)平康頼と卒塔婆石

1177年の平家打倒を企てた鹿ヶ谷の陰謀で、平康頼、俊寛、藤原成経(成親の子)は鬼界ヶ島(硫黄島)に流罪となった。
康頼と成経は信仰心が厚く、熊野三山を信仰していたので、鬼界ヶ島でも似ている地形に本宮、新宮、那智と名付け、熊野三所権現を祀った。
康頼は、都の母を恋しく思い、千本の卒塔婆石を書き、海に流すと、そのうちの一本が厳島神社の池の石に流れ着き、たまたま康頼の知り合いの僧侶が拾った。
その卒塔婆には

薩摩かた 沖の小島に我ありと 親には告げよ 八重の潮風

と書かれていた。
その後、康頼と成経は都へ帰ることを許された。
(「平家物語を歩く」参照)1c_63 2c_52

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