磐田の東福山・西光寺(4)蓮光寺と薬師如来
昔、見付西坂の地に光堂山・蓮光寺がありました。
このお寺は約800年前、安元2年(1176)遠江国守・平重盛により建立された名刹でしたが、明治44年(1911)西光寺と合併し、薬師如来坐像等が移されました。
この薬師如来は遠江四十九薬師霊場第48番札所として病気平癒を願う人々の信仰を受けています。
藤原時代(平安時代)作。
応永16年(1409)補修の銘文。磐田市指定文化財
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昔、見付西坂の地に光堂山・蓮光寺がありました。
このお寺は約800年前、安元2年(1176)遠江国守・平重盛により建立された名刹でしたが、明治44年(1911)西光寺と合併し、薬師如来坐像等が移されました。
この薬師如来は遠江四十九薬師霊場第48番札所として病気平癒を願う人々の信仰を受けています。
藤原時代(平安時代)作。
応永16年(1409)補修の銘文。磐田市指定文化財
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静岡県磐田市の西光寺は、文永2年(1265)に、真言宗の傾木和尚により建立され、建治・弘安年間、布教のため見付の地を訪れた一遍上人を迎え改宗、時宗の修行道場となりました。
2代将軍・徳川秀忠と江の五女、源和子(みなもとのまさこ)は、後水尾天皇の中宮として入内、東福門院と称されました。
上洛の途中、西光寺で休息された際、守り本尊の木像・地蔵菩薩立像、木像阿弥陀三尊立像を寄付、七堂伽藍を建立され、この時より西光寺の山号は、皇后のお名前を頂き東福山となりました。
元和7年(1621)の類焼により西光寺は全焼してしまうのですが、不思議なことに、皇后より頂いた阿弥陀三尊仏と地蔵尊は、焼失することなく残っていたのだそうです。
市内に残る代表的な江戸時代の門で、磐田市指定文化財となっています。
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2代将軍・徳川秀忠と江の五女、源和子(みなもとのまさこ)は、後水尾天皇の中宮として入内、東福門院と称されました。
上洛の途中、西光寺で休息された際、守り本尊の木像・地蔵菩薩立像、木像阿弥陀三尊立像を寄付、七堂伽藍を建立され、この時より西光寺の山号は、皇后のお名前を頂き東福山となりました。
元和7年(1621)の類焼により西光寺は全焼してしまうのですが、不思議なことに、皇后より頂いた阿弥陀三尊仏と地蔵尊は、焼失することなく残っていたのだそうです。
市内に残る代表的な江戸時代の門で、磐田市指定文化財となっています。
いろんな歴史上の人物の名が出てきますね。
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広島の竹原は、平安時代、京都下鴨神社の荘園として栄えた歴史から「安芸の小京都」と呼ばれています。
竹原駅から歩くこと15分レトロな街並みが現れます。
境内にある守護堂には、唐の育王山から迎えられた平重盛の持念佛である木造十一面観音立像がまつられています。
西方寺は小早川隆景が京都の清水寺の舞台を模して建てたといわれています。
普明閣は、正式には西方寺大悲閣といい、宝形造、二重屋根の堂の前面に高楼を張り出す構造をしています。
普明閣からは、竹原の町並み、瀬戸内海を一望できます。
その他、竹原のスポットを紹介します。
照蓮寺
小早川氏代々の子弟が学んだ寺です。
胡堂
頼山陽の銅像
電車の本数が少ないので、すぐに次の訪問地に移動してしましましたが、またいつかゆっくり訪ねてみたい街です。
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法楽寺は、大阪市東住吉区山坂にある真言宗泉涌寺派大本山の寺院で、山号は紫金山、院号は小松院。通称「たなべのお不動さん」ともいわれています。
法楽寺の開基は、保元や平治の乱で戦死した兵士の霊を敵味方の区別なく葬りたいとする清盛の嫡子、小松内大臣・平重盛の厚い信仰心から治承二年(1178)創建し、源義朝の念持仏であった如意輪観世音菩薩を安置し、壮麗な伽藍が営まれたことが起源という説と、この寺を基点として河内源氏の動静を重盛が探ったとする説とがあります。
院号の小松院は、小松の大臣(おとど)と呼ばれた重盛にちなみ、紫金山(しこんざん)との山号は、当山に奉安する「紫金二顆の仏舎利」に由来するとされています。紫金二顆の仏舎利とは、純金のような輝きをはなつ二粒の仏舎利を意味します。
この二粒の仏舎利の由緒について、法楽寺では『平家物語』「金渡」の説話に関係があるとしています。
『平家物語』「金渡」
すべてこの大臣は滅罪生善の御志深くおはしましければ
我が朝にはいかなる大善根を為置いたりといふとも子孫相続いて後世弔はれん事有難し
他国にいかなる善根をもして後世を弔はれん
とて安元の比ほひ鎮西より妙典といふ船頭を召し上せ人を遥かに退けて対面あり金を三千五百両召し寄せて
汝は聞ゆる大正直の者なればとて五百両をば汝に得さす
三千両をば宋朝へ渡し千両をば育王山の僧に引き二千両をば帝へ参らせて田代を育王山へ申し寄せて重盛が後世弔はすべしとぞ宣ひける
妙典これを賜はり万里の煙浪を凌ぎつつ大宋国へぞ渡りける
育王山の方丈仏照禅師徳光に逢ひ奉りてこの由申しければ随喜感嘆してやがて千両をば育王山の僧に引き二千両をば帝へ参らせて小松殿の申されつるやうを具に奏聞せられければ帝大きに感じ思し召して五百町の田代を育王山へぞ寄せられける
されば日本の大臣平朝臣重盛公の後生善所と祈る事今にありとぞ承る
(現代語訳)
平重盛公は、自身の来世の為に善根功徳を積んでおきたいが、日本では子子孫孫に先祖の後生を祈ると言うことは難しい、ということから、正直者で有名であった妙典(みょうでん)という船頭に黄金三千五百両を託して、宋の仏教の聖地、育王山(いおうさん)との結縁を求めます。
その内の一千両は育王山の僧達へ、二千両は宋の皇帝に贈って、伽藍を維持するための田畑を皇帝から育王山へ下賜して貰うためのものであり、残りの五百両は妙典への手間賃でした。
妙典が、困難な船旅を経て宋へ渡り、育王山の方丈、佛照(ぶっしょう)禅師に逢って重盛公の意志を伝えると、禅師は大変に喜びます。そこで妙典は、重盛公の指示通り、育王山の僧達に一千両を贈り、そして皇帝には二千両を贈って、重盛公の意を詳細に伝えます。すると、皇帝も重盛公の志に感じ入り、五百町の田畑を育王山に下賜し、重盛公のより良い来世の為としたのでした。
この時、佛照禅師が、重盛公の仏法に寄せる志の篤さに感じ、育王山伝来の佛舎利二顆を贈ったというのが、法楽寺伝来の二粒の仏舎利であるというのです。
元亀2年(1571年)、織田信長軍の侵攻による兵火で伽藍は焼失してしまいました。正徳元年(1711年)から本格的に復興を開始し、堂塔は大和国・宇陀松山藩織田氏殿舎が移築され、現在に至るまで山門・本堂に残されています。
その大和松山藩主は、信長の次男・信雄を祖とするので、信長に焼かれた寺院を、その遠孫の殿舎で復興したことになります。
また、織田家は平資盛の子孫とされているので、不思議な縁を感じますね。
(法楽寺HP、大阪市東住吉区HP、Wikipedia参照)
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正林寺へ向かう坂の途中にある三嶋神社。
元々は大きな神社だったようですが、地域開発のために境内を手放さなければならなくなったということで、今はマンションの裏側に小さな祠と案内板がひっそりと残っています。
案内板によると、
後白河天皇の中宮・建春門院が皇子のないのを憂い、摂津の三嶋神に祈願したところ霊夢を感じ、後の高倉天皇をお生みになりました。
後白河天皇は深く三嶋神を崇敬され、時この辺りの邸宅を構えていた平重盛に命じて社殿を造営させ、三嶋大明神を勧請したことにはじまります。
以来、皇室の尊崇篤く、たびたび安産加護を祈願し、現在も安産の神として信仰されています。
祠の隣にあるのは揺向石(ようこうせき)といい、
1174年、義経が三嶋神社を参拝した際、夢の中に白髪の翁が現れ、「汝志久しく可からず、早々に奥州に下る可し」との御神託があり、夢から覚めてみると翁のいたところにこの石がありました。
以来、この石は揺向石と呼ばれ、妊婦が三嶋神社を参拝し、男子を授かることを祈願してこの石を撫でると、牛若丸のような立派な男の子が授かると伝えられています。
またこの辺りの地名は馬町といい、頼朝に献上するための馬をつなぎ留めた場所とされています。
イベント 三浦義村 丹後局 亀井六郎 京菓子 仁田忠常 今井兼平 今若(全成) 伊東祐親 伊東祐隆 佐竹義重 佐藤継信・忠信 俊寛 八条女院 八重姫 六代御前 北条政子 北条時房 北条時政 北条氏 北条泰時 北条義時 北条長時 千葉氏 和田義盛 土佐坊昌俊 堀河天皇 大姫 大庭景親 大河ドラマ展 安徳天皇 安達泰盛 安達盛長 富樫泰家 小督 尼御前 山吹御前 崇徳院 嵯峨天皇 巴御前 常盤御前 平宗盛 平康頼 平忠度 平忠盛 平敦盛 平時子(二位尼) 平時忠 平景清 平業盛 平清宗 平清盛 平盛俊 平知盛 平知章 平経正 平維盛 平親範 平道盛 平重盛 平重衡 平頼盛 建礼門院 弁慶 待賢門院 後嵯峨天皇 後白河天皇 後醍醐天皇 後鳥羽上皇 文覚上人 斉藤実盛 日蓮 曾我兄弟 木曽義仲 松尾芭蕉 梶原景季 梶原景時 比企氏 法然上人 浄瑠璃姫 清和天皇 渡辺綱 湛増 源実朝 源平グッズ 源朝長 源満仲 源為義 源範頼 源経基 源義光 源義家 源義朝 源義経 源頼信 源頼光 源頼家 源頼政 源頼朝 源頼義 滋賀のイベント・観光情報 滝口入道・横笛 熊谷直実 熊野御前 畠山重忠 白河天皇 祇園祭 祇王・祇女・仏御前 美福門院 義経ゆかりの地を訪ねて 藤原師長 藤原秀衡 袈裟御前 西行 近江路・歴女ブロガーの旅紀行 近衛天皇 那須与一 金売り吉次 長田忠致 阿古屋 阿波内侍 静御前 順徳天皇 高倉天皇 鬼一法眼 鳥羽天皇
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