修善寺の旅(8)赤蛙公園
赤蛙公園は、修善寺温泉街の西の端、滝下橋のほとりにある小公園です。
昭和19年に作家の島木健作が病気療養のため修善寺を訪れた際、桂川の中州から向こう岸に渡ろうとする1匹の赤蛙に目が留まり、短編 「赤蛙」の構想を得たところといわれています。
島木健作
小説家。明治36年9月7日、札幌生まれ。本名朝倉菊雄。2歳のとき父を失って一家は離散し、苦学しながら20歳で北海中学を卒業、東北帝国大学法文学部の選科に入ったが、東北学連に加わって学業を棄(す)て、1926年(大正15)日本農民組合香川県連合会木田郡支部の書記となり、農民運動に投じた。1928年(昭和3)三・一五事件で検挙、起訴され、翌年控訴審の公判廷で転向を声明したが、1930年有罪が確定して下獄した。1932年仮釈放ののち、1934年4月『文学評論』に『癩(らい)』を発表して注目された。7月に『中央公論臨時増刊新人号』に載せた『盲目』も世評をよび、その年のうちに第一創作集『獄』を出版して新進作家としての地歩を固めた。1937年6月『再建』を刊行したが発禁となる。翌月の日中開戦を挟んで、10月には帰農を主題にした『生活の探求』を発表、1938年6月刊の続編とともに、戦争下の青年、知識層に広く迎えられる。この年末、農民文学懇話会設立に参画。『満洲紀行(まんしゅうきこう)』(1940)などの旅行記もある。晩年、宿痾(しゅくあ)の肺患の床に小康を得て最後の長編『礎(いしずえ)』(1944)を書き上げたのち、『黒猫』『赤蛙(あかがえる)』などの短編を残したが、昭和20年8月17日、敗戦の翌々日、鎌倉にて没した。それらの短編は、没後、新潮社から刊行された『出発まで』(1946)に収められている。(コトバンクより)
赤蛙公園では、4月は桜、5月下旬~6月上旬ごろは、蛍を見ることができるそう。
ここでは、阿野全成殿に出会いました😃
ブログランキングに参加しています。
応援よろしくお願いします!

























最近のコメント