崇徳院

2008年6月28日 (土)

白峯神宮(1)崇徳天皇を祀る神社

京都市上京区今出川通にある白峯神社のご祭神は、崇徳天皇と淳仁天皇。

崇徳天皇は、鳥羽天皇の皇子としてご生誕、保安4年に第75代の天皇に即位されましたが、保元の乱により、讃岐に配流され、長寛2年に45歳で崩御、白峰山陵に奉葬されました。

讃岐に配流されてからは、髪も剃らず、爪も切らずに日本国の大魔縁になって朝廷を呪い続けたと伝えられています。
崩御されてから大火事や不穏な事件が頻繁に起きたため、崇徳天皇の祟りと恐れられ、明治天皇が崇徳天皇の霊を鎮めるために、白峯神宮を創建しました。

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2007年6月 8日 (金)

安井金比羅宮

崇徳天皇御廟から歩いてすぐのところにある安井金比羅宮は、崇徳天皇、讃岐から勧請した大物主神(おおものぬしのかみ)、源頼政を祀る。
主祭神である崇徳天皇が讃岐の金比羅宮でいっさいの欲を断ち切って参籠されたことから、断ち物の祈願所として信仰されている。
境内にある石碑(写真右)は縁切り・縁切り石といい、高さ1.5m、幅3mもの巨石である。
中央の穴を右から左にくぐると縁切り、逆は縁結びとなる。(御札がたくさん貼られているため石のようには見えませんが)
また境内に奉納され絵馬を集めた絵馬館もある。

縁切りは男女の縁、タバコ、酒、病気などにもいいとのこと。Img_0448c Img_0449c Img_0450c

2007年6月 1日 (金)

崇徳院御廟

祇園の東大路通から裏通りに入ると祇園甲部歌舞伎場がある。
その裏にひっそりと建つ
崇徳院御廟は、阿波内侍によって建てられた。
阿波内侍は、藤原信西の娘で、母親の朝子は後白河法皇の乳母である。
内侍は崇徳天皇に寵愛され、讃岐に配流された崇徳帝が亡くなった後、出家し、御廟を建てた。
内侍は晩年、大原で建礼門院に仕え、最期を看取ったという。Img_0447c Img_0446c

2007年5月25日 (金)

崇徳院地蔵(人喰い地蔵)

京みやげの老舗・聖護院八ツ橋の本店近くの積善院内にある崇徳院地蔵は通称・人喰い地蔵とも呼ばれている。

保元の乱に敗れた崇徳上皇は、兄の後白河や清盛によって讃岐に流され、その地で都を呪いながら1164年に亡くなった。
その頃、京では大火や流行り病が続き、清盛も高熱の病で亡くなったため、上皇の祟りと恐れられた。
崇徳の怒りを鎮めようと地蔵尊が造られたが、「崇徳院」がなまっていつしか「人喰い」地蔵とも呼ばれるようになった。Img_0439c Img_0440c

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