高倉天皇陵
以前、「小督と清閑寺」という記事を書きましたが、
http://shizuka.cocolog-tnc.com/shizuka/2013/04/post-294d.html
今回は、その清閑寺の隣にある高倉天皇陵です。
高倉天皇は、愛する小督に去られたこと、わずか3歳の安徳天皇(建礼門院との間に生まれた)に無理やり譲位させられたことなどの心痛から、21歳の若さで崩御しました。
その後、小督は高倉天皇が眠る東山の天皇陵近くの庵で、天皇の墓守に殉じ、44歳で亡くなりました。
高倉上皇は、後白河天皇の第7皇子。母・平滋子は平清盛の妻・平時子の異母妹。中宮は清盛と時子の娘の平徳子(後の建礼門院)。安徳天皇、後鳥羽天皇らの父に当たります。
二条天皇の死後に立てられた二条天皇の子・六条天皇をわずか3歳で退位させ、天皇として擁立。後白河院が院政を敷き、安徳天皇に皇位を譲りました。
治承三年の政変によって後白河院が事実上の幽閉状態に置かれると、自ら院政を開始するが間もなく病に倒れ、治承5年(1181年)1月14日に崩御。清閑寺法華堂に奉葬されました。後に法華堂は消滅。明治29年(1896年)、六条天皇清閑寺陵と区別して現陵号を設定。陵域内には、小督局の墓と伝える宝篋印塔があります。
東山の音羽山麓、清閑寺の小督の供養塔の近くに高倉天皇陵が六条天皇陵と隣り合わせになってあります。
正面は一つですが、中で六条天皇の円墳と高倉天皇の方墳に分かれているそうです。
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